ゆめであいましょうのアルバム『水のはて』が2022年8月24日(水)にリリースされる。

2008年に宮嶋隆輔が活動を開始したバンド、ゆめであいましょう。2018年からは宮嶋のほかに蒲原羽純、山本静雄、伊﨑悠介、伊﨑峻子からなる5人編成になっており、東京・大久保のひかりのうまを中心にライブをし、ポップスの制作も行っている。

ゆめであいましょうは、2019年、んミィとのスプリット7インチシングル『ひかりのうた/おだやかにひそやかに』をharusai Recordsからリリースした。2020年にはhikaru yamadaが監修したPヴァインのコンピレーションアルバム『tiny pop – the tiny side of life』および『tiny pop – here’s that tiny days』に参加し、〈シティポップリバイバルも失われた過去もすべて吹き飛んでしまう〉〈劇薬のようなDIY歌謡曲〉と評された。

そんな彼らが今回、待望のバンド編成でのファーストアルバム『水のはて』をリリースする。レーベルは、ひかりのうまの店長・谷口マルタ正明が主宰するClub Lunaticaだ。アルバムの録音・ミキシング・マスタリングは、ムーンライダーズの夏秋文尚が担当した。

また、本作のトレーラーが本日8月4日に発表された。

リリースに向けて、頭士奈生樹、柴山伸二(渚にて)、セキモトタカフミ(どろうみ)、んミィ(金曜日)、shim_izu(harusai Records)、そして私、天野龍太郎が寄せたコメントは次のとおり。

 「水のはて」によせて
 
 とにかく、とても心地よかった。
 ゆったりしたテンポ、なつかしくて哀愁あるメロディー、ささやくような歌、サイケデリックなギター、やさしい音質。すべてが心地よかった。どの曲にもなぜか「春」を感じた。空間がどことなく霞んでいて、花の開花を予感させたり、冷たくはないが肌寒く、ときおり激しい嵐も起きる。そんなふうな「春」を感じな がら聴いた。まさしく今が春であることも関係しているだろうが、それだけでもないだろう...
 その心地よさの原因を、「日本的」と言ってみる。それはブリティッシュフォークやアメリカンサイケとは、やはり異質だからだ。それは日本的であることをあえて打ち出してそれを武器にする、というような表層的、戦略的なものではなく、あるいは無意識的に日本的であるのでもなく、おそらく長い間のリスニングと試行錯誤を通して彼らが得た日本的、である気がする。彼らはすでにバンドとしては10年以上活動を続けているし、個々人としてはさらに長い経歴があるだろう。それに加えて宮嶋氏の詩と曲は、日本的なものを大量に含んでいる。それらが私の日本的と感応して、この心地よさなのだと、言えないだろうか。
 文学に幻想文学があるように、音楽にも幻想音楽なるジャンルがあっても良いのかもしれない。幻想文学から受けとる幻想性と近い音楽。幻想文学が記憶や思考や感情の幻想性を誘発するように、そういう特性を持つ幻想音楽があると思う。
 もし今後、日本幻想音楽なるジャンルが認められるとしたら、ゆめであいましょうのこのアルバムは、香り高い幻想性を持つアルバムとして、必ず名作の地位を得るだろう。
 令和4年3月
 ─ 頭士奈生樹

 すべてのミュージシャン、バンドにとって1stアルバムとは、それまでの10年間の蓄積である。
 一番やりたかったこと。一番伝えたかったこと。すべてあらゆる大きなものが 1stアルバムに結晶する。
 ゆめであいましょう「水のはて」もまた例外ではない。
 その淡い憂いをおびた音の万華鏡は、彼らが育んだ夢への最初のいざないであり媚薬のような甘い匂いがする結晶なのだ。
 ─ 柴山伸二/渚にて

 歌に誘われるまま光の渦へと飛び込んだ先には、いつか訪れた名前の知らない町があった。そこですれ違う走馬灯は一瞬と永遠に貫かれたきらめきを、それぞれの面影に忍ばせている。そして夢から目覚めた時、この手の中に目には見えない新しい力が握られていることを私は確かめる。
 ─ セキモトタカフミ

 不思議な歌だ。「光る貝殻 今はもう使えない」っていつ、何に使うつもりだったんだろう。「水のはての ここへきて」ってどこなんだろう。また、同時に懐かしくもある。いつかどこかで、この衒いのない、正直なメロディーを口ずさんでいたような気さえする。ゆめであいましょうを聴いていると、自分も彼らを包んでいる「時のヴェール」の内側に忍び込めたらなと思う。でも今はこの素晴らしいアルバムがある。このアルバムのおかげで、ほんの少しだけ近づけたような気がする。ほんの少しだけ、中を覗くことができたような。ゆめであいましょうが大好きだ。
 ─ んミィ

 軽薄な本のタイトルのようではあるけれど、「音楽家は見た目が大切である」と常々思っている。見た目、つまりは佇まいこそが奏でる音楽の在り方を物語っているからだ。「ゆめであいましょう」の姿はその証である。
 それと同様に、彼らがThe Bandや赤い鳥のように理想的な集合体であることは、重なり合いつつも異なる各々の音楽性や役割の結晶である楽曲たちによっても示されている。
  国や時代を超えて聞かれるべきこのアルバムのジャケットやブックレットにメンバーの姿はない。その佇まいに思いを馳せるというのもこの作品には相応しいのかもしれない。
 ─ shim_izu(harusai Records)

 「水のはて」のえもいわれぬ反響と清らかなアコースティックギター、「花の季節」の“女のあわれを引き受けて”という歌いだしの鮮烈な言葉、「見知らぬ街」のひずんだエレクトリックギター、「鏡」のかわいらしい軽快なビート、「ばら」のはかないメロディ......。それらすべてがライブで演奏されるゆめであいましょうの音楽をすこしだけ思い起こさせながらも、それとはまるで異なる響きをまとっている。ここには録音されたものとしてのゆめであいましょうの音楽が確実にあって、レコードに定着されることで濾過され、ある意味で純化されているからこそ、その澄み切った音は時間性と空間性をすっかりうしなっている。この『水のはて』というアルバムは、1960年代から届いた残響なのだろうか。それとも、1970年代にだれかが録ったプライベートテープなのだろうか。あるいは、1990 年代にわずかなひとびとのあいだで聞かれた、ささやかなDIYレコードなのだろうか。そのうたやギターの音は、うすい層が積み重なった時間のひだとひだの隙間からこぼれでて、あふれでてくる。これらは、いつからここで鳴っているのだろう? 彼らは、いつからここでこの音楽を奏でているのだろう? そんなふうに思ういっぽうで、その音は、たしかに今、ここにあるものとして鳴っているからこそ、不明瞭で幻想的な謎として、わたしが体験しなかった過去への郷愁、なつかしさをおぼえさせる。図書館の本に書きこまれた落書きのように。静かに水を運ぶ暗渠のように。古書に挟まれた栞やレシートのように。街角にある、だれも見向きしない史跡の案内板のように。オフィス街の狭間にたたずむ、今にも朽ち果てそうな家屋のように。住宅街で取り壊されずに放置されたままの、木造アパートのように。
 ─ 天野龍太郎

なお、『水のはて』は現在、Club LunaticaのSTORESで先行販売中。同店や、ひかりのうまの店頭、ライブ会場でアルバムを購入すると、メンバーへのインタビューを収めた小冊子「『水のはて』の行き帰り」(編集:高橋そ 聞き手:山田光/高橋そ)が先着でプレゼントされる。ゆめであいましょうというバンドを理解するのに最良のサブテキストになっているので必読だ。

ゆめであいましょうが活動開始から10年を超えてついに作り上げたデビュー作『水のはて』。ぜひ手に入れてほしい。

 


RELEASE INFORMATION

ゆめであいましょう 『水のはて』 Club Lunatica(2022)

リリース日:2022年8月24日(水)
品番:CL-042
フォーマット:CD
価格:2000円(税込)

TRACKLIST
1. 水のはて
2. みささぎ
3. かげふみ
4. 花の季節
5. 見知らぬ街
6. 鏡の舟
7. 鏡
8. オープン・ユア・アイズ
9. ばら

録音/ミキシング/マスタリング:夏秋文尚(ムーンライダーズ)

 


PROFILE: ゆめであいましょう
宮嶋隆輔によって2008年より活動開始。2018年から宮嶋、蒲原羽純、山本静雄、伊﨑悠介、伊﨑峻子の5人編成。東京・大久保ひかりのうまを中心にライブ活動を行う。同名義でポップスの制作も展開し、2020年にコンピレーションアルバム『tiny pop – here’s that tiny days』(Pヴァイン)に参加、〈シティポップリバイバルも失われた過去もすべて吹き飛んでしまう〉〈劇薬のようなDIY歌謡曲〉と評される。2022年8月、バンド編成での待望のファーストアルバム『水のはて』(Club Lunatica)をリリース。そのメロディー、声、アレンジは謎めいた美しさを発しながら、真にオリジナルな音楽の在りかを示している。