2023年1月19日に東京・渋谷のWWWで開催された〈ウ山あまね 1stアルバム “ムームート” Release Party〉。君島大空(独奏)、カール・ストーン、諭吉佳作/men、俚謡山脈という多彩なアーティストが集結し、ウ山のデビューアルバム『ムームート』のリリースを祝った。当日、会場は若いオーディエンスであふれかえり、転換をほとんど挟まずに進行、独特な熱気に満ちあふれていた。そんなイベントの様子を伝えながら、音楽ライターのnamahogeが、ウ山の音楽の〈コミュニケーション〉について考えた。 *Mikiki編集部
〈解釈〉を拒む孤独でパーソナルな歌
ウ山あまねの『ムームート』は、限りなくパーソナルな歌に聞こえる。それは、建設的なコミュニケーションのための言語ではなく、理解を要求しない密室の言語の歌だ。たとえるなら、空気の組成の違う異星人のモノローグ、音律の狂った平行世界の日記帳、夢の中の散らかったベッドルーム……。
『ムームート』は、いわゆる〈解釈ゲーム〉の悦びを提供する作品ではない。翻訳不可能な言葉だが整然としたウ山の論理に、私たちがアクセスすることはできない。こちらが意味の尻尾を掴もうとしても、相手に極私的な領域に逃げ込まれてしまっては、解釈は空転するのみだ。
しかし、ウ山のエモーションの轟音がこだまする洞窟からは、超然とした孤高というより、むしろ寂しげな孤独を感じてしまう。
〈松明で照らし壁に掘る文字は 君しかいないのに 君しかいないのに〉(“Hiuchiishi”)。
以前筆者が取材したインタビュー記事から引く。「根本的には僕自身をどのように括ってもらっても構わなくて。例えば僕の音楽性を〈演歌〉と呼ばれてもいいというか……。解釈した末に何かが〈演歌〉と繋がったんだとしたら、それはそれでいいかな、と」。リスナーとのコミュニケーションの不全性について、ある種の諦念を吐露していたのは、1年半前のことだった。
伝える/諦めるのあいだにある誠意とコミュニケーションの問題
『ムームート』の独自の言語と異形の音像は、アイロニーというよりは切実な不能感の表現であるように筆者は思う。……というと〈解釈〉じみてしまうのだが、同作が難解でありつつも、あくまでポップスの領域に踏みとどまろうとする事実が雄弁に語るのは、たとえばいつか発見されることを期待して壁に文字を掘る衝動のような、孤独を克服するための純粋な熱意だろう。ウ山は佐藤優介との対話にて、「殺意」を「原動力」に同作を制作したという一方、「一聴していい曲だなと思えるものを作りたい」と述べている。
伝えること/諦めることのあいだで宙ぶらりんになった誠意を、異形のUMAの怪電波ではなく、この世界の生活者としてのごくシンプルな自意識の表出と捉えた上で、1月19日に渋谷WWWで行われた『ムームート』のリリースパーティーを、筆者は一貫して、ウ山の音楽から聞こえるコミュニケーションの問題に照合して観てしまったのである。