音や音楽を起点として未来を想う
たとえば、コンサートホールに代表されるような、外界から隔絶された空間で音楽作品を享受する。〈聴く〉という行為の意味は、いつからそのように限定されてしまったのか。境界を越え、森羅万象に耳を傾けることこそ、その土地の風土や文化をはじめとする環境とつながり、豊かな感受性を育む鍵である――。
本書の3人の著者を代表する存在である鳥越けい子は、〈サウンドスケープ〉の概念を提唱したカナダの現代音楽作曲家であり環境思想家、また教育家でもあるR.マリー・シェーファーに師事したサウンドスケープ研究の第一人者である。本書は、鷲野宏、星憲一朗という彼女と志を共にする実践者とともに、それぞれの活動の報告を通じて現代社会におけるサウンドスケープ的思考の存在意義を世に問うていく。
電子音楽を発信・享受する場所を求めて茶の湯、古刹、湯治場といった環境に身を投じた星、東京の日本橋川と神田川で、運河に船を浮かべてルネサンス期の音楽を橋の下で聴くというラディカルな手法で都会の喧噪に隠れた江戸、そして明治・大正期のレイヤーを呼び起こす鷲野、そして自らの地元である善福寺池の周辺に潜む古の面影に音や歌を通じてアクセスしようと試みる鳥越。それぞれ手法は違えど、共通しているのは音や音楽はあくまでも手段や仕掛けであり、音や音楽を聴く(刺激される)ことで、それまで気づかなかったその場の音に耳を傾け、その土地の歴史、文化を身体感覚で(再)発見しようとしていることだ。そして、ただノスタルジックな気分に浸るのではなく、その思考を未来へと向かわせようとしていることも重要である。また、三者の活動に共通しているのが水(湯・運河・池)というエレメントだというのも興味深い。
耳を澄ませば、自らの感性が解き放たれ、世界がより広く、生き生きとして感じられる。本書は、〈聴くこと〉の無限の可能性を示唆してくれる一冊である。