都市の忘れ音の、タイムカプセル――記憶の景観

 実際に街の中でどうひびくかは、まったく予想がつきませんでした。ピレネ・ビルのオープンの日に時報が鳴り出すと、歩行者のなかの何人かは足をとめて笑顔をみせてくれました。人々の素直な反応をみていると、とても勇気づけられます。このビルのサウンド・シンボルとしてはうまくいったのかもしれませんが、この街のサウンド・マークとして定着するまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
 より多くの人々の心のなかで鳴り響く風景になることを願って……。

 楽曲、ライブやコンサートや何らかの音源で鑑賞される音楽ではなく、街なかで誰ともなく、いや、誰の耳にもはいってくるサウンドをつくる。そんな人物が、はじめてなりひびく場にいて、往き交う人びとのようすをみている。

 じっとみている、(の)だろうか。当該の建物をふくめ、まわりの建物や歩く人びと、空もふくめて、ひとつの風景を、ぼんやりみている、(の)だろうか。

 つくった音を〈きく〉のが目的ではない。それもある。そのとき、その場、気温・湿度、陽のありよう、そんなものもふくめて、そこでのひびきを〈きく〉。とともに、それを〈耳にする〉〈きく〉人たちのすがたをみる、ながめる。ながむ・ながめる、は、こうした時空間のひろがりを意識したことばだった、とあらためておもいつつ。

 吉村弘が短い文章、「“ピレネ”の時報」のさいごの部分を引いた。「松本駅近くにある商業ビル“ピレネ”のサウンドを仕掛けるプロジェクトに加わった」、その紹介である。

 先の、さいごにおかれた文章にいたるまで、著者はサウンドをつくるなかでの暗中模索、1日3回、5つのスピーカーから約30秒間ならされること、まわりの音の状況についてやわらかい文章で、記される。

 長い時間かかって音はしだいに風景の一部に同化していきます。このことはまた、どんなつまらない音でも長い間には風景に溶け込んで気がつかなくなっていることの方が多いのかもしれません。気がついたときにはじめて音公害として問題化されるのです。

 松本という街についての音環境について考察をしたあと――

 山から吹きこむ風の音と水のひびきに共振するサウンドを思いえがきながらシンセサイザーでつくってみました。二つの音型が二回繰り返されるもので、とてもシンプルなものになりました。それも水のように澄んだ音で、一瞬の風とでもいったサウンドにしあがりました。

 1986年3月に「波の記譜法 環境音楽とはなにか」(小川博司、庄野泰子、田中なお子、鳥越けい子編著、時事通信社、1983)収録の小文。アメリカのレーベルから再リリースされたアルバム『GREEN』がつくられた年だ。

吉村弘 『Green』 Light In The Attic(2020)

 『GREEN』は8曲からなる。どの曲も〈EE〉という文字がはいった英語がタイトルとなっていておもしろい。みずからは「この音楽をつくりながら、ふとねむってしまったがありました」と、また、〈ねむりをさそう音楽〉のはなしをすこししてから、こんなふうにライナーノートをとじる。

 〈GREEN〉というタイトルは色のイメージではなく語感のひびきが好きで、それに似たひびきの単語を曲名にしています。GREENという自然のサイクルを感じさせる、いごこちのいい風景となるような音楽であればと思っています。

 1940年生まれの吉村弘が亡くなったのは2003年。2020年は、だから生誕80年の記念の再リリースといえようか。個人的につながりを持ったのは晩年だったけれど、当然、わたしのなかのおもかげはそこから齢をとっていない。

 『GREEN』をLP/CDとしてリニューアルしたのはアメリカ合衆国、シアトルのLIGHT IN THE ATTIC RECORDS。2018年には『環境音楽 KANKYŌ ONGAKU』がリリースされている。御存知の方もおられよう。2枚組でちょっと豪華なCDブック。ジャケットは1983年、槇文彦が鹿児島、指宿で設計した岩崎美術館。

VARIOUS ARTISTS 『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music, 1980-1990』 Light In The Attic(2019)

 1枚目の冒頭におかれているのが芦川聡、つづいて尾島由郎、松武秀樹、久石譲から日向敏文へと12曲。2枚目が清水靖晃、イノヤマランド、吉村弘から菅谷昌弘、細野晴臣まで11曲。土取利行、深町純、YMOもあって、かなり多彩。サブタイトルにあるとおり、1980-1990年の、〈日本産〉の〈環境音楽〉が、〈Ambient, Environmental & New Age Music〉のコンピレーションとなっている。

 収録したオリジナル・アルバムのジャケット、アーティスト写真、アーティストについてについて執筆しているのは、みずからミュージシャンでもあるスペンサー・ドーラン。これがまた、けっこう詳しい。マニアック(すれすれ)なかんじ。イントロダクションもドーランの手によるが、エピグラフは芭蕉の「The temple bell stops- / but the sound keeps coming / out of the flowers(鐘消えて 花の香は撞く 夕かな)」だったり。この句、御存知かな?

 このコンピレーションに収められている吉村弘作品は、『ナイン・ポストカード』(1982年)から3曲目、“Blink”。

 ちゃんと認識しておきたい。この列島ではじめての〈環境音楽〉レーベル、サウンド・プロセス・デザインの〈波の記譜法〉シリーズ、記念すべき第1作のアルバムは、この『ナイン・ポストカード』だった。会社のたちあげは作曲家の芦川聡で、2枚目がじしんの『Still Way』。これも1982年だが、リリースの翌年、本人は事故のため、急逝してしまった――。