ジュン・パーカー(Jun Parker)は、オーストラリア・ビクトリア州を拠点に活動するネオシティポップアーティストだ。日本で生まれ育ち、15歳でオーストラリアに移住したジュンは、2つの国の間で自身の音楽的アイデンティティを模索し続けてきた。ジュンの音楽は、70年代日本のフォークソングからシティポップ、AORまで幅広い影響を受けており、懐かしくも新しい独自の音楽を追求している。

ジュンは、幼少期から両親の影響で70〜80年代のJ-POPに親しんできた。中学生の頃にはすでに、因幡晃や伊勢正三といった日本のフォークシンガーたちに夢中になり、その後も多様な音楽ジャンルを探求。高校時代にギターを弾き始め、バスキングでパフォーマンスの腕を磨いた彼は、2017年以降、YouTubeに山下達郎や荒井由実など、シティポップのカバー動画をアップし始める。

 2022年7月に、デビューシングル“つつまれながら(Embracement)”をリリースし、同年10月には2ndシングル“Say Goodbye”をリリース。“つつまれながら(Embracement)”は渋谷クロスFMやむさしのFMなど、日本のラジオ局でフィーチャーされた。2023年3月リリースの3rdシングル“Dancing In The Dark”では、日本の音楽プロデューサー/作曲家/編曲家、佐藤清喜とのコラボレーションを実現。2023年6月に、南米チリのレコードレーベル〈Sello Casa Robot〉よりシングル“All Because Of The Moon”をリリースし、同月、ビクトリア州で初のツアーも行っている。

そんなジュンが2024年7月7日(日)、〈短冊CDの日〉に合わせて、ニューシングル『Summer Silhouette / If You’d Only Known』をリリースする。同月、日本でのフェス出演も決定しているジュンにインタビューを行い、自身の音楽スタイルを確立するまでの経緯や、アイデンティティとしての日本文化、大陸を跨いだグルーバルなコラボレーションなどについて、詳細に語ってもらった。

JUN PARKER 『Summer Silhouette / If You’d Only Known』 Sello Casa Robot/Jun Parker Music(2024)

 

伊勢正三や因幡晃、70年代日本のフォークに夢中だった思春期

――ジュンさんは日本で生まれたんですよね?

「そうです。15歳の時にオーストラリアに移住しました」

――それまでオーストラリアに行ったことはありましたか?

「行ったことはありませんでした。ただ、父がアメリカ出身ということもあり、中学生の頃から海外で英語を学びたいと思っていました。〈なぜ英語を話せないのか〉とよく聞かれましたしね(笑)。自分のアイデンティティについて考えていたんです。

そして、色々なことが重なってオーストラリアに行くことになり、それ以来ずっとこちらで働いています」

――音楽の原体験について教えてください。

「音楽好きの両親だったので、カセットテープがたくさんありました。小学校の時にそれらを聴き始めたことが、ポップミュージックへの最初の入り口でした。両親がくれたウォークマンで繰り返し聴いていましたね。

その後、中島みゆきや谷村新司、井上陽水、長渕剛といったフォークシンガーたちのCDを買い始めました。そういった日本のフォークを掘り下げた結果、因幡晃を知ったんです。彼は秋田出身のフォークシンガーで、70年代に高い人気を誇りました。高校卒業後、ミュージシャンになるまでは鉱山で働いていたようです。高い声で歌うのが特徴で、失恋について女性の視点で歌っています。彼の音楽に魅了された私は、両親にライブに連れて行ってもらうよう頼んだほどです。中学2年生の時、因幡晃のコンサートを見に行って、とても感動しました。

あとは、かぐや姫のメンバー、伊勢正三が結成したデュオ〈風〉に夢中になり、彼らの曲を何度もリピートしました。風にはウェストコーストロックの影響が感じられて、そこがとても好きでしたね。

そこから、日本のフォーク系ミュージシャンたちが影響を受けた音楽についても知りたいと思うようになったんです。当時はインターネットの黎明期だったこともあり、さまざまな情報を検索しました。それでボズ・スキャッグスやネッド・ドヒニー、ボビー・コールドウェル、クリストファー・クロスなどのAORを発見し、聴くようになったんです。

そこからやがて、日本のシティポップも聴き始めました。シティポップを最初に聴いたのは高校時代で、山下達郎やオメガトライブ、山本達彦などです」

――70〜80年代の音楽をリアルタイムで聴いてきたわけではないと思いますが、ご両親の影響が大きかったのでしょうか?

「いえ、ほとんど自分で発見したものです。両親は安全地帯やライオネル・リッチーのCD、そういったJ-POPや洋楽のコンピレーションをたくさん持っていましたが、基本的に私は子供の頃から常にレトロなものが好きで、70〜80年代の音楽はもちろん、当時の映画も研究していたんです。なので、私はシティポップも聴いていますが、音楽的影響の根幹にあったのは、日本のフォークソングだと言えます。また、現在の音楽活動の拠点はオーストラリアですが、育ちは日本なので、J-POPが音楽的ルーツです」