80年代を彩った数々のアイドル・ソングから鮮やかに浮かび上がる揺るぎない編曲の美学

 待ちに待ったこの機会。これまで1000曲以上の楽曲を手がけてきた編曲家・山川恵津子の功績を振り返る作品集がビクターエンタテインメントとポニーキャニオンから2タイトル同時リリースされた。題して〈編曲の美学〉。山川恵津子とは何者かを語るうえで簡にして要を得まくった作品名だと言えよう。加えて彼女の音楽の魅力を紐解くうえで有益なテキストとなり得る初の著書も刊行され、周りはちょっとした祝賀ムードに包まれている。

VARIOUS ARTISTS 『編曲の美学 山川恵津子の仕事 Victor Entertainment編』 Tower to the People/ビクター(2024)

VARIOUS ARTISTS 『編曲の美学 山川恵津子の仕事 PONYCANYON編』 Tower to the People/ポニーキャニオン(2024)

山川恵津子 『編曲の美学 アレンジャー山川恵津子とアイドルソングの時代』 DU BOOKS(2024)

 「現在、80年代のレコーディング方法や仕事のスタイルってほとんど残っていないから、その頃のことを書いてみれば? って言われたことがあって。クローズドな世界の話だし、みんな興味深く聞いてくれるわけです。いざ本にするにあたって、聞き取りという方法もあったけど、私が話すスピード感や言葉のニュアンスが面白いから、自分で書いてみては?って編集者から提案されたんで思わず引き受けてしまったという。ふだん本なんてまったく読まないのに」と彼女は笑う。編曲家稼業の愉楽と悲哀を軽妙な語り口で綴ってみせたこの書籍。当時の仕事日記的文章をはじめ、彼女の半径数メートル圏内で起きていた出来事をとおしてあの時代の音楽界ならではのダイナミクスが伝わってきて読み応えがハンパない。ギャラなどの話も包み隠さずシャキシャキ語ってくれることも含め、全身編曲家としての美学が様々なエピソードの隙間から零れ落ちてくるあたりが何よりの読みどころだ。そして彼女の美学の結晶といえる音盤について。自身のユニット、東北新幹線の名曲をはじめ、いまやシティーポップの文脈で再評価著しい楽曲群がトータル5枚のディスクに並んでいる。

 「最初から歌い手ではなく職業作家になりたかったんですが、東北新幹線の頃は歌謡界と別世界にいて、いつまでも同じ場所にいられない、早くメインストリームに行かないといけない、って思っていて。ただ向こうに行く方法がわからない。来る仕事も大滝(詠一)さんや(山下)達郎さんなど歌謡とは異なるミュージシャンからの依頼ばかり。でもいつか扉が開くときが来るからそれを見落とさず、向こう側へ飛び乗らねば、って考えていました」

 歌謡界の扉を開く仕事となったのが、ビクター編に収められている岡本舞子の諸作。80sガールポップに明るい方はご存じだと思うが、これはもう掛け値なしの傑作。テンションコードを散りばめたメロディーやソウル・ミュージックの影響色濃いリズムが採り入れられたそれらは当時のニューミュージック系作品と比べてもなんら遜色のないハイクオリティーぶりで、単なる歌謡曲ではない文字どおりJ-POPと呼べるサウンドが展開していた。

 「岡本舞子の楽曲の作詞は阿久悠さん。でも彼には私の洋楽テイストはお好みじゃなかったようで、何度かやり直しもありましたよ。ただ何度言われても、洒落ちゃう。途中でこの人何言ってもダメだ、と諦めたんじゃないですかね(笑)。でも歌謡曲って先に進み過ぎていてもダメなんだってことも学びました。いまシティーポップと呼ばれる80年代サウンドってアイドル・ポップスも込みなんですよね。それを知って、あぁ私も、最先端の洋楽のスタイルを融合させながら独自に発展したJ-POPカルチャーの渦中に居たんだなってことを実感できました」

 そんな彼女の仕事の流儀は、言うまでもなく近年の作品においてもしっかり認識することが可能だ。13歳のバイリンガル・シンガー、SAKUraをプロデュースした“漕ぎ出せ♪ショコラティエ~これって恋ですか?~”といった最新ワークスにおいても、現代のシーンに通用する音楽をクリエイトするために新しい音色を追い求め続ける音作りの職人としての矜持が滲んでいるし、「私の基本に温故知新という方法論は存在しない」とキッパリ言い切る揺るぎない姿勢をキッチリ読み取ることができる。それから無視できないのが新曲の存在。彼女がヴォーカルをとる曲が散りばめられているのだが、なかでも伊藤蘭に提供した“なみだは媚薬”のセルフカヴァー版が素晴らしく、ティン・パン・アレーがバックアップした“ラムはお好き?”を連想させるような、細野晴臣のトロピカル期と大滝詠一のニューオーリンズR&B熱中時代のテイストが溶け合った極上の逸品に仕上がっている。これはたぶん、あなたの歌声をもっと聴かせてほしいという声が多く寄せられるんじゃないか。

 「ぜひ寄せていただきたいと思います。皆さんが声を挙げてくれないと動けないので、私。だから強く発言してもらって、断れないようにしてもらえれば(笑)」

 


山川恵津子(Etsuko Yamakawa)
1956年生まれ。作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、スタジオミュージシャン。フェリス女学院大学音楽学部声楽科卒業。1980年、ギタリストの鳴海寛と〈東北新幹線〉を結成、アルバム『THRU TRAFFIC』は早すぎたシティポップの名盤として現在高く評価されている。その後、作曲家・編曲家として活動。1986年、小泉今日子の“100%男女交際”で女性史上初の第28回日本レコード大賞編曲賞を受賞。その他、受賞作多数。

 


TOWER RECORDS INFORMATION
『編曲の美学 山川恵津子の仕事』発売記念トーク&サイン会
トークゲスト:松武秀樹

2024年6月29日(土)タワーレコード渋谷店5Fイベントスペース
開演:12:30
有名曲のデモ音源、別ヴァージョンなど初公開音源をかけながら、J-POP~アイドル音楽のサウンド至上主義を牽引したプロフェッショナル達が語る、音楽制作現場の舞台裏と真実。ヒットを生み出す技とメカニズム!
https://towershibuya.jp/2024/6/29/198969