
原点はオーストラリアの路上でのバスキング
――楽器を弾くようになったのはいつですか?
「高校1年生の時にギターを弾き始めました。音楽教育を受けたことはなく、弾き方やコードは自己流で学びました。当時はYouTubeがなかったので、本屋で買った教則本を片手に練習しました。
そして、好んで聴いている音楽をギターで弾いていたら、どの曲も似たようなコードを使っていることに気づいたんです。それは主にメジャーセブンスで、何とも言えない切なさを感じさせる響きでした。伊勢正三や因幡晃など、日本の70年代の音楽の感傷的なムードが好きだったので、ギターを使って彼らのような音楽を作ることが目標となりました」
――人前で演奏するようになったのはいつですか?
「17、18歳の時にバスキングを始めました。それが初めてのパフォーマンスです。その頃、タウンズビル(クイーンズランド州)という小さな街の大学で学んでいました。街にはナイトクラブやバーで溢れた通りがあり、そこが私たち大学生にとっての主な娯楽の場だったんです。時折、そこにギターを持って行き、路上で演奏しました。ニール・ヤングの“Heart Of Gold”を演奏して、聴いていた人から20ドルをもらったこともあります。当時の私としては大金に感じられました(笑)。
バスキングは日本に一時帰国した際も、相模原でやっていました。とはいえ、自分のオリジナル曲を演奏する、本格的な音楽活動開始に至るには、まだ時間がかかりましたね。バスキング以外にもデジタルカメラを使って録画もしました。“Ain’t No Sunshine”や“Let’s Get Together”などの洋楽曲に加え、日本のフォークソングのカバーです。また、70年代の伝説的なサーフロックバンド、カラパナにも非常に興味を持ち、カバーしていました」
――シティポップも歌っていたんですか?
「いえ、そこまで多くなかったです。というのも、シティポップの曲はあまりバスキングに向いていないんです。アレンジも高度に洗練されていて、コード進行も複雑ですから。バンドセットでないと成立しない曲が多い。
バスキングで披露していた邦楽は、主に70年代の日本のフォークソングでした。特に、かぐや姫の“22才の別れ”はオーストラリア人にも好評でしたね」
――ジュンさんは邦洋問わず、相当な数の曲をカバーされています。ジェイムス・テイラーの“Don’t Let Me Be Lonely Tonight”のカバーは、本人のInstagramでもシェアされていますよね。
「そうなんです、あれには驚きました(笑)」

自治体の支援プログラムを受け本格始動
――より本格的なミュージシャン活動へと繋がる転機はあったんですか?
「大学を卒業後、仕事の送別会で演奏のオファーがあったんです。その時、一緒に働いていたマネージャーがライブスペースを所有していて、彼女が私にチケット販売型のパフォーマンスをしてみないかと提案してくれたんです。でも、当時はまだ自信がなく、結局実現はしなかったのですが、それでもその提案が非常に励みとなり、より真剣に音楽活動をするきっかけとなりました。
そして、2017年にジェラルトンのパブで演奏した荒井由美の“雨のステイション”のライブ動画を、初めてYouTubeにアップしました。それ以降、ビクトリア州南西部のローカルミュージシャンたちとシティポップのカバーを始めて。2021年にビクトリア州南西部のモイン・シャイア・カウンシルのアーティスト支援プログラムによるサポートを受け、新進気鋭のアーティストとしてのキャリアをスタートさせました。
支援プログラムでは、自分のオリジナル曲をプロデューサーやサウンドエンジニアの前で演奏し、フィードバックを受ける機会に加えて、プロのスタジオでオリジナル曲を録音し、人前で披露する場も提供されました。この経験が私に大きな自信を与え、音楽活動にさらに真剣に取り組むきっかけとなったんです。
その後、より本格的にオリジナル曲の制作に励むようになります。自分の音楽スタイルと声を持つことの重要性をより深く理解したんです。現在の目標は、日本の音楽を基盤にしつつも、国際的なリスナーにアピールできる曲を作ることです」