多種多様なキャラクターを演じわける役者としての優れた表現力や独特な佇まいが、ひとたびマイクを握れば音楽の世界でも活きる俳優たち――。専業のアーティストとはまた一味違った趣に溢れる彼らの歌が、時にその時代を象徴する大ヒットや長く聴き継がれる名曲となることは少なくありません。そんな役者ならではの歌の魅力に迫るべくスタートした連載〈うたうたう俳優〉。音楽ライターにして無類のシネフィルである桑原シローが、毎回、大御所から若手まで〈うたうたう俳優〉を深く掘り下げていきます。

第2回は、自身が主演とプロデュースを務める戦国スペクタクルドラマ「SHOGUN 将軍」が、米国テレビ界の〈アカデミー賞〉とも言われる〈エミー賞〉で史上最多18部門(プライムタイム・エミー賞で4部門、クリエイティブ・アーツ・エミー賞で14部門)に輝き、大きな反響を呼んでいる国際派俳優・真田広之をピックアップします。 *Mikiki編集部

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千葉真一とデュエットした子役時代

主演とプロデュースを務めたドラマ「SHOGUN 将軍」が〈第76回エミー賞〉で史上最多の18部門を受賞するという快挙を成し遂げた真田広之。俳優、映画人としての多大な功績が称えられるいまだからこそ、彼の歌手活動のキャリアについてぜひ振り返っておきたいと思う。

1960年、東京に生まれた彼のレコードレビューは1968年とかなり早い。5歳のとき、下沢広之という芸名で子役デビューし、千葉真一主演の東映作品「浪曲子守唄」で千葉と親子役で共演した。そのときの関係性がそのままレコードになったかのようなシングル“握手をしよう”は、千葉とのデュエット曲で、ふたりの和気藹々としたやり取りが微笑ましいラブリーな歌謡曲だ(なお同年にリリースされた千葉のシングル“男の子守唄”においても息子役としてセリフで参加している)。

その後、千葉が主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)の門を叩き、1978年、17歳のときに映画「柳生一族の陰謀」で再デビューを果たすと、「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」や「戦国自衛隊」など次々に話題作への出演が決定。「忍者武芸帖 百地三太夫」をはじめとする主演映画も製作されはじめ、疾風のように新時代のアクションスターとして名を馳せていく。

 

ひたむきに青春を走り続けるヒロユキ

そんな真田が本格的に歌手活動をスタートさせたのがまさにこの頃、青年期を迎えた1980年代に入ってからで、そのキャリアもまた映画と共にあった。多くの主演作の主題歌を自身で歌っており、“青春の嵐(ハリケーン)”(1981年/「吼えろ鉄拳」主題歌)や“愛よ炎に染まれ”(1981年/「燃える勇者」主題歌)などのシングルが映画公開にあわせてリリースされていくのだった。

1981年発表のファーストアルバム『青春の冒険者 ~真田広之ファースト~』の帯に書かれていた〈ひたむきに青春を走り続けるヒロユキ。〉という惹句。この頃の楽曲群から伝わってくるのはまさしくこのイメージだと言っていい。

当時サニー千葉と婚姻関係にあった野際陽子が作詞を務め、新進気鋭のシンガーソングライターだった杉真理が作曲した〈真田広之〉名義でのデビューシングル“風の伝説”(1980年)、CMキャラクターを務めた森永製菓〈小枝〉のCMソング“熱い瞳のままで”(1982年)など、いずれも甘いマスクにフィットするような爽やかテイスティーな作風となっていて、ひたむさを前面に押し出した歌唱がそれらを彩っている。

真田広之 『ゴールデン☆ベスト 真田広之 ~EPIC YEARS~』 Sony Music Direct(2011)

ただしそこに暑苦しさや嫌味っぽさといった類の印象を受けることが皆無なのは実に不思議。熱血キャラが炸裂しているのにどこかさらりとした感じが漂っていたりもするし。吉田拓郎が作曲した“砂漠の都会に”(1982年/ドラマ「影の軍団III」エンディング曲)のような男臭いバラードを歌っても、彼の純朴さの部分が際立ってしまったりする。それってやっぱり生まれついての品の良さがなせるわざなのだろうか?なんて考えることもしばしば。