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ジェームス・ブラウンと北島三郎さんが同じ人に見えるんです

――洋楽っぽいリズムにしなやかに対応している姿、コブシをグルングルン回しながら演歌を歌っている姿、どちらもよく見慣れた光景ではありますが、ところで新曲“感情8号線”は、両方の要素がうまくミックスされた仕上がりになっていて、アルバムのハイライトになっています。

「そう、だから俺はね、ソウルミュージックと演歌はすごく近いものだと思ってる。ジェームス・ブラウンと北島三郎さんが同じ人に見えるんですよ」

――ワハハ!

「北島さんに何度か言いかけたことがあるんだけどね。

ジェームス・ブラウンが『ハンマープライス』(とんねるずがMCを務めたオークションバラエティー番組『とんねるずのハンマープライス』)に出てくれたとき、〈ゲロッパ〉ってサインを書いてもらったんだけど、〈ア~オ!〉ッって叫ぶアメリカのソウルのゴッドファーザーと、〈オワ~~〉ってコブシを回す演歌のボスが俺にはダブって見えた。なるほど、リズムや作り方とかが異なるだけで、音楽を聴き手へ届ける方法はどんなトップもいっしょなんだと。

いまだに悔やまれるんですよ、エンターテインメントのミュージシャン部門としておふたりの真ん中に入って、お互いの音楽論を語ってもらうというような企画を実現させたかった」

――最高ですねぇ。架け橋になる役はノリさんがやっぱり適任だと思います。

「JBと北島さん、あとハナ肇さんとペレがおんなじに見えるんです」

――(笑)。

「同じぐらいの威力があるっていうかね。顔面のね。まぁ、すごい人ってどなたも威力がすごいんだけど」

――そういう場合のつなぎ剤として〈ソウル〉がある。

「〈魂〉だね。よくわれわれが言う〈帝京魂〉。戦いを挑むのに魂を持って向かっていく。歌うときの姿勢も同じ。いつもそういうふうに考えてます」

 

どんな場合もテレビが傍らにあったから

――〈ソウル〉ってことで思い出すことがあるんですけど、85年にとんねるずでニューヨークに行かれたじゃないですか。そのときのインタビュー映像で、NYに来て本場のソウルミュージックに触れて、僕たちが歌うべきものは、ジャパニーズソウルミュージックの演歌だと気づいたと。そういう前振りをしてから、ニューシングルの“雨の西麻布”のプロモーションをされていたのがすごく印象に残っているんですよね。

「そんな古い話、よくご存じで。お歳はもう60超えてんの?」

――まだ50代前半です。

「そうかそうか。あの頃、そういうところにかならずテレビ、つまりバラエティー番組があったりしたんです。番組企画でニューヨークに行ったりできたんで、いろんな環境にすんなりと入っていけた。もしもプライベート旅行だったならすごく時間がかかっただろうけど、ロケしながら向こうの音楽に触れられたし。日本に帰ったら今度は演歌で行くんだ!とか言えてたっていうのは、ようやく自分たちのアイディアがうまく回り始めていた時期かもしれない」

――あの時代のテレビ業界の空気が背中を後押ししてくれていた、ってことでもあるんでしょうか?

「どうでしょうね。じゃあ今度はロックでいってもいいし、パンクでいってもいい、ただその次はなんだ?って考えたら演歌だった、ってことかな。

どんな場合もテレビってものが傍らにあったりしたから。面白い楽曲を作って、プロモーションビデオを作って、それを発表する『みなさんのおかげです』や『生ダラ(とんねるずの生でダラダラいかせて!!)』があって。

『生ダラ』では向こうのヤバいラッパー出したり、グラフィックアートやったりしてましたし。dj hondaくんとかDJ YUTAKAくんが向こうで黒人のラッパーたちを思いっきり揺さぶっていた時代。日本代表がそういうこと成し遂げていて、ヤバいことになってんだな、これ、とか思いながら見てた。その時代にはもうなんとなく見え始めていたんだよね」

――周りから世界中の最新情報が自然に入ってくるような環境でもあったわけですね。

「日本にいてもいろいろ入ってきてたよね。ディスコのVIPルームに行くと、マイケル・ジャクソンの新しいPVが流れていて、ナニコレ!?って驚いたりして。わ~、これ絶対、自分の番組で真似してパロディー作ろ!っとか、繋がっていくわけ。夜な夜なそういう情報を収集していましたよ。とにかく家で大人しくしている時間がなかった。

70年代後半から80年代は、『ソウル・トレイン』の時代だったけど、あれも〈ソウルとんねるず〉につながっているし。またそこから発展したのが、野猿だったりして。夜の社交場には、番組のネタがいっぱい隠れていたからね」