ブライアン・ジェイムスが死去した。
Facebookページの投稿によると、ブライアン・ジェイムスは妻や子どもたち見守られながら昨日3月6日に安らかに亡くなったという。死因は明かされていない。70歳だった。
ブライアン・ジェイムスは1955年、英ロンドン生まれのギタリスト。ロンドン・SSなどのプロトパンクバンドやグラムロックバンドで演奏を始め、ザ・ダムドのオリジナルメンバーとしてバンドに参加。1stシングル“New Rose”や名曲“Neat Neat Neat”をはじめ多くの曲を作曲し、パンクの名盤『Damned Damned Damned』『Music For Pleasure』(いずれも1977年)を制作したが、1977年末にバンドを脱退してしまう。
その後アラン・パウエル、トニー・ムーアとのバンド、タンツ・デア・ユース(Tanz Der Youth)で短期間活動したのち、イギー・ポップのバンドに参加、ソロシングルも発表した。そして、1981年にザ・ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチをスティーヴ・ベイターズと結成。1989年の解散まで活動した。
1988年にはザ・ダムドがオリジナルメンバーでライブをおこない、ブライアンは1991年までバンドに参加した。また1990年には、初のソロアルバム『Brian James』を発表している。
1990~2000年代はザ・ドリッピング・リップスへの参加、ウェイン・クレイマーやダフ・マッケイガン、スチュワート・コープランド、クレム・バークとのザ・ラケッティアーズでの活動、ザ・ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチの再結成などをおこなう。2006年には自身のバンド、ザ・ブライアン・ジェイムス・ギャングを結成した。
2010年代には、ザ・ダムドのラット・スケイビーズとの共演やザ・ダムドの曲の再録をおこなっていた。2022年にはザ・ダムドが再びオリジナルメンバーで結集、ブライアンを含むラインナップでライブを実施した。
初期ザ・ダムドの名曲の数々を書き、名盤を生んだブライアン。彼の曲とギターがなければ、ザ・ダムドはロンドンパンクを代表するバンドにならなかったかもしれない。偉大な才能の死に哀悼の意を捧げたい。