レッド・ホット・チリ・ペッパーズの9作目『Stadium Arcadium』がリリースされたのは2006年5月5日。日本を含む世界各国のチャート1位を獲得した大ヒット作だ。また映画「デスノート」の主題歌にもなったシングル“Dani California”はファン層をさらに広げた事実も大きい。そんな名盤についてライター石井恵梨子に論じてもらった。 *Mikiki編集部
新たな〈レッチリ世代〉を生んだ金字塔
ポストロックにジャズ、ダブステップなども取り入れた気鋭のスリーピース、YUNOWAに取材した際、「世代的にレッチリなんで」と言われて、ふおっ?と思ったことがある。
自分の話をするなら、『母乳』(1989年)のエネルギーにぶっ飛ばされ、『Blood Sugar Sex Magik』(1991年)の完成度に震え上がったのが10代の頃だ。バンドを去ったジョン・フルシアンテの代わりにデイヴ・ナヴァロがいた時期の、唯一の来日公演である第1回フジロック(1997年)には喜び勇んで駆けつけた。そういう時代が青春だった私こそレッチリ世代だと思っていた。
話を聞いていくと違うのだ。みんな夢中だった「デスノート」の映画主題歌として“Dani California”を聴いたのが10代の頃。歴代のスターたちを模したMVをYouTubeで見たり、「Mステ」に登場したレッチリの生演奏に触れたりして、こんなバンドがいるのか!と開眼した経験を持つのが90年代生まれのレッチリ世代。彼らにとっての金字塔は2006年の『Stadium Arcadium』である。
もちろん主題歌や「Mステ」云々は日本のプロモーターの努力のおかげだが、レッチリがその器に相応しい、アメリカを代表するロックスターだとすでに認知されていたことは大きい。今となれば信じられない話だろうが、80〜90年代のレッチリはスターというより道化の枠にいたバンドで、『Californication』(1999年)のメロウ路線もファンの間では賛否があったものだ。傑作『Blood Sugar〜』の筋骨隆々としたグルーヴに比べて、まるで演歌のごとき泣きメロと枯れ具合はどうなんだ、と。ただ、率先してむせび泣くジョンのギターを真正面から否定するのも、これまた難しいことだった。
最小限の音によるファンクとメロウ路線の美しい折衷
当時に話を絞れば、ジョンは若き天才だが、突然バンドを離脱し、死相の漂うソロアルバムを延々と作っている情緒不安定の人でもあった。その彼が戻ってきた。またフラフラとどこかに消えてしまいそうな頼りない笑顔のままで。最初は静観し、彼が好きなだけギターを弾き好きなようにコーラスを重ねまくった『By The Way』(2002年)を聴き、もう大丈夫だと全員が胸を撫で下ろした。そこから数年で生まれたのがこの『Stadium Arcadium』だ。ジョンは36歳、アンソニー・キーディスやフリーは44歳。前2作のメガヒットに精神を蝕まれるほど若くはなく、肉体的には脂が乗りまくっていた時期だろう。2枚組というボリュームにびっくりしたが、実際のところレコーディングしたのは38曲、その中から28曲に絞った結果だった。
ジョン復帰後のメロウ路線を引き継ぎつつ、全体がやけにすっきりしているのが特徴。泣きの要素は案外少なく、『Stadium Arcadium』のあと『By The Way』に戻るとギターもコーラスもどれだけメロメロなのかと少し呆れるほどだ。ダビングは最小限、演奏はほぼライブと同じ。ドラム/ベース/ギター/ボーカルがそれぞれの持ち場でそれぞれの仕事をするだけ。アルバムタイトル曲“Stadium Arcadium”は、奇しくも2作前のアルバムタイトル曲“Californication“とよく似たコード進行で始まるが、ベースの動き方、ギターのフレーズを聴き比べると、徹底的に引きの美学が貫かれているのがわかる。もはや骨格だけ、スカスカなのにレッチリ。音数の少なさは自信の表れだ。
いっぽうで、しばらくなりを潜めていたファンクナンバーが戻ってきたのも本作の特徴のひとつだった。 “Torture Me”の爆発力はいつ聴いても最高だし、“Charlie”や“C’mon Girl”、“21st Century”に“So Much I”などは、いつまで経っても比較される『Blood Sugar〜』期と2000年代メロウ路線の、最も美しい折衷なのだろう。
