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園原 潤

海賊艇KにYLEM、80年代初頭の東京アングラシーン

大熊「この頃よく一緒にいたのが広瀬(隆雄)。幼馴染だったんだけど、東京で再会して」

園原「(マングースの右足の)ボーカルの?」

大熊「そう。マイナーに入り浸ってた頃〈現場がヤバくなってるから見に来い〉って誘ったの」

園原「僕らより先だね。もう海賊艇Kと絡んでた?」

※編集部注 吉祥寺マイナーなどで自主企画を行っていた集団。代表は森美来(野本耕作)。1980年にコンピレーションアルバム『都市通信』をリリース

大熊「それは知らないけど、彼は仕掛け人タイプというか、〈アイツとコイツを組み合わせよう〉とかいって動いてた。マングースにも広瀬から誘われたんだよ。新しいことをやってるバンドがあるからって」

園原「ライブの後に〈良かった〉と声を掛けてくれたのが最初だったな。その後、電話をくれて〈参加したい〉と言ってきたんだよね。でもドラムは天才・巣山がいるし、センスの良いベーシストもいるから空きがなくて、僕がギターに専念することにして広瀬がボーカルになった」

大熊「彼がいた期間は短かったよね」

園原「ライブをやったのも3回くらいかな」

大熊「新宿ロフトのライブは印象的でよく覚えてる」

園原「あの時は革パンツにあえてゴム草履を履いて。巣山なんて女の格好をしてた」

巣山「スカートを履いたんだったかな?」

大熊「園原はエフェクターを並べて、ギターを弾きながらいろいろいじってたよね。今じゃ珍しくないけど、面白いなと思った」

園原「この頃使ってたのはコルグのシンセ。大熊君はヤマハのシンセと合わせて音を作ってたね。海賊艇と繋がったのは広瀬。海賊艇の印刷屋の森(美来)兄弟と渡辺マリさんを紹介してくれた」

大熊「海賊艇は『都市通信』などを作った後、実家が倒産して夜逃げしたんだよね」

園原「マリさんの実家が浅草の有名なパン屋でね」

VARIOUS ARTISTS 『都市通信』 カムイレコード/海賊艇K(2020)

大熊「(チラシを見ながら、『マングースの逆襲』に収録された)5月31日のライブも海賊艇のイベントだったんだ。その後、YLEMのオムニバスアルバム『沫』にマングースの曲が1曲入ったよね」

※編集部注 イーレム。上述の1981年のコンピレーションアルバム『沫』をリリースした上田雅寛のレーベルで、ライブイベントも主催していた

園原「あれ(“ネックレス”)は、YLEMの上田(雅寛)君と絡むようになって〈マングースも入れてよ〉と言ったら、〈いいよ、かっこいいのを入れてよ〉って軽いノリで収録された。上田君は、どっちかと言うと詩の人だったね」

大熊「現代音楽家の佐野(清彦)さんが気に入ってくれたんだっけ?」

巣山「『遊』で対談もしたね。俺に興味を持ってくれて〈何か一緒にやらないか〉と言われたんだけど、それっきりだった」

※編集部注 松岡正剛が編集長だった雑誌で、1971~1982年に工作舎から刊行されていた

 

巣山隆樹

EP-4佐藤薫とのレコーディング

園原「“ネックレス”の頃は、マングースからトリスタン(・ディスコ)へのちょうど変わり目だったのかな? 音は完全にディスコやソウルになってきてるよね」

大熊「YLEMのLPはすぐ入手困難になって長らく幻の音源だったけど、CD化されてたんだね。マングースの曲、いま聴いてみるとかなり面白い」

VARIOUS ARTISTS 『沫 Foam』 SUPER FUJI(2011)

巣山「音は佐藤薫さんが録ってくれたんだよ」

※編集部注 京都のニューウェーブバンドEP-4の主宰者

園原「ロジックだか、代々木上原とかあの辺のブースがちゃんとあるスタジオでね」

大熊「録音の時のことは覚えてる?」

巣山「ドラムをタイトにタイトに!って言われたのはすごく覚えてる(笑)」

園原「普段だったらもっとファンキーにやるところをディスコ調にしてね」

巣山「リズムが当時流行ってた〈ドッツードッツー〉みたいな感じで、スネアも深い音にして」

――その場で佐藤さんが指示を出したんですか?

園原「そう。それに対して足したり、〈これはやりたくない〉と言ったり。あの曲は〈ダダンダダンダンダダン〉から始まってるじゃん。あれは、俺の地元の中津川のお祭りのリズムを使ってるんだよね。〈ダダダダダダン わっしょい~ ダダダダダダンダ〉って俺が叩いてみせたの」

巣山「それを佐藤さんも気に入ったみたいで」

園原「ただディスコで始まるんじゃ面白くないしね」