音楽の、音楽家なるもののひろがり

 篠田昌已読本と高田漣の著書。どこがどうつながって併せての紹介か。たしかに。2人をどうやってつなげるかはアクロバットだ。

 篠田昌已、1958年12月8日生まれ、1992年34歳の誕生日の翌日に亡くなる。生活向上委員会、じゃがたら、篠田昌已ユニット、コンポステラ、東京チンドンと短いあいだにあれよあれよとめまぐるしい活動を。商業主義的なジャンルとは一線を劃し――という言いかたもふさわしいとはおもえないが――、サックス/クラリネットでこの列島における音楽のけものみちをたどった。

大熊ワタル, 篠田昌已 『我方他方 サックス吹き・篠田昌已読本』 共和国(2022)

 「我方彼方 サックス吹き 篠田昌已読本」(共和国)は、没後30年の時点からあゆみをみわたす。大熊ワタルによる略伝。篠田昌已本人の語り。大熊ワタル、関島岳郎、平井玄、齊藤芽生、佐藤幸雄が、ともにすごした日々を。細川周平、松沢呉一、平井玄、藤村俊之が追悼を。〈篠田昌已におくる言葉〉は50人をこえる人たちが。巻末には資料。ちょっとでも気になったら、〈言葉〉を開いてみたまえ。執筆者の名はわざとここには記さない。字数のせいもあるが、開いて、眺めてみて、いま活躍している人たちと篠田昌已とが描きだすものをみてほしいから。

高田漣 『ギターというモノ/ギタリストというヒト』 DU BOOKS(2022)

 高田漣「ギターというモノ ギタリストというヒト」は、タイトルどおり、ギターをめぐって記される、文字どおりギタリストじしんによる検証、といったらいいか。ですます調で、はじめの部分は自伝でもあり、すっとはいれる。〈プルースト、ベイトソン、ソンタグ、高田渡〉と副題にあって、こうしたひとたちの文章や生きかたが、ときにマジで、ときにレトリックで、ときに謎として、参照される。1973年生まれ、この列島がまだ安定し、上昇していた時期、ロックがまだ元気だった時代に生まれたギタリストが、何を考えていたか、考えてきたか、いまやっていることがどんなみずからの歴史・地層のうえでか、垣間みられる(ような気がする)。

 この2冊、ならべてみることで感じられるもの? わたしには、ある。音楽の、音楽家なるもののひろがり、豊かな外縁のひろがり、だ。どうだ?