
ヴァリエテからメトロファルスまで、キッチン・レコードの記憶
園原「サウンドプロデュースというと、キッチン・レコードにいたバンドのヴァリエテはすごく才能があると思ってた※。2代目ボーカルの有近真澄さんは星野哲郎さんという有名な作詞家の息子で。
その有近さんとヴァリエテを組んでた、日向隆一と名乗ってた山田(多理)さんがその後いなくなってしまって、それが一番名残惜しい。音のセンスがめちゃくちゃ良かったから」
大熊「何をやってた人?」
園原「ギターも弾くけど、どっちかと言うと映画音楽的な作曲が得意で。俺と共通してたのは、大江健三郎が大好きだったこと。文学好きでありながら、(フェデリコ・)フェリーニの映画音楽のニノ・ロータとかああいうのも好きだった。ピチカート・ファイヴが出てきた時に〈良いな〉と思ったけど、その前に山田さんたちを知っちゃってたんだよね。センスの良い奴らだったな」
大熊「その辺の人たちとは何か一緒にしたの?」
園原「俺はヴァリエテがいた最初の頃のキッチン・レコードと関係してて、アイデアマンみたいな感じで関わってた。メトロファルス※のプロデュース的なこともしたな。ボーカルの伊藤ヨタロウの家にスタジオがあって。メトロファルスはバカボン(鈴木)とか、テクニシャンがいっぱいいたバンドだったね。
俺はいろんなところに顔を出して、いい加減なことを言っても割と聞いてもらったりしてた。音を作りに行ってたね」
――ルナパーク・アンサンブル※も?
大熊「録音やミキシング、ダブ処理も一緒にやってもらったりしたね。ルナパークって初期はメンバーが流動的だったので、よく園原にベースとかを弾いてもらったりしてた」
園原「法政大学の学館ホールの企画にルナパークが出た時、『メトロポリス』って無声映画を掛けながらベースを弾いてた。結構関わってるね」
大熊「マイナー/ピナコテカの佐藤さんが〈大熊君のソロ作を出そうよ〉と言ってくれて、デモテープを作った時も園原に手伝ってもらった。
そういえば、園原の下宿が本郷の東大の近くの長屋だったよね。傾きかけた部屋でいろいろ音を鳴らしてたな。その頃、僕がポルノ映画(『タクシー・ドライバー 白昼の陶酔』鴨田好史監督、1983年、新東宝)の音楽を頼まれた時、予算が3万円しか出なくて、録音スタジオを使うどころじゃなかった(笑)。で、〈園原スタジオ〉で録音してたら、監督が〈見学に行きたい〉と言い出したからごまかして。あそこに来られたらヤバかった(笑)」
園原「ただのベニヤ張りの長屋だから、スタジオじゃないもんな(笑)」