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園原 潤

ヴァリエテからメトロファルスまで、キッチン・レコードの記憶

園原「サウンドプロデュースというと、キッチン・レコードにいたバンドのヴァリエテはすごく才能があると思ってた。2代目ボーカルの有近真澄さんは星野哲郎さんという有名な作詞家の息子で。

その有近さんとヴァリエテを組んでた、日向隆一と名乗ってた山田(多理)さんがその後いなくなってしまって、それが一番名残惜しい。音のセンスがめちゃくちゃ良かったから」

※編集部注 キッチン・レコードは菅原一進が主宰していたレーベル。ヴァリエテは、後にメンバーチェンジしてアルファのレーベルEDGEからデビューしたバンド

大熊「何をやってた人?」

園原「ギターも弾くけど、どっちかと言うと映画音楽的な作曲が得意で。俺と共通してたのは、大江健三郎が大好きだったこと。文学好きでありながら、(フェデリコ・)フェリーニの映画音楽のニノ・ロータとかああいうのも好きだった。ピチカート・ファイヴが出てきた時に〈良いな〉と思ったけど、その前に山田さんたちを知っちゃってたんだよね。センスの良い奴らだったな」

大熊「その辺の人たちとは何か一緒にしたの?」

園原「俺はヴァリエテがいた最初の頃のキッチン・レコードと関係してて、アイデアマンみたいな感じで関わってた。メトロファルスのプロデュース的なこともしたな。ボーカルの伊藤ヨタロウの家にスタジオがあって。メトロファルスはバカボン(鈴木)とか、テクニシャンがいっぱいいたバンドだったね。

俺はいろんなところに顔を出して、いい加減なことを言っても割と聞いてもらったりしてた。音を作りに行ってたね」

※編集部注 ホット・ランディングのメンバーだった伊藤ヨタロウらが1981年に結成したバンド。大友克洋がジャケットを描いたEP『SAKAMOGI SONG』(1982年)やアルバム『Barizanveaux』(1983年)をキッチン・レコードからリリース。1984年にコロムビアからメジャーデビューし、2012年に休止するまで長年にわたって活動した

――ルナパーク・アンサンブルも?

※編集部注 大熊ワタル、ロリイ、木村真哉らによるアバンポップバンド

大熊「録音やミキシング、ダブ処理も一緒にやってもらったりしたね。ルナパークって初期はメンバーが流動的だったので、よく園原にベースとかを弾いてもらったりしてた」

園原「法政大学の学館ホールの企画にルナパークが出た時、『メトロポリス』って無声映画を掛けながらベースを弾いてた。結構関わってるね」

大熊「マイナー/ピナコテカの佐藤さんが〈大熊君のソロ作を出そうよ〉と言ってくれて、デモテープを作った時も園原に手伝ってもらった。

そういえば、園原の下宿が本郷の東大の近くの長屋だったよね。傾きかけた部屋でいろいろ音を鳴らしてたな。その頃、僕がポルノ映画(『タクシー・ドライバー 白昼の陶酔』鴨田好史監督、1983年、新東宝)の音楽を頼まれた時、予算が3万円しか出なくて、録音スタジオを使うどころじゃなかった(笑)。で、〈園原スタジオ〉で録音してたら、監督が〈見学に行きたい〉と言い出したからごまかして。あそこに来られたらヤバかった(笑)」

園原「ただのベニヤ張りの長屋だから、スタジオじゃないもんな(笑)」