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園原潤の詩集「午前中の着地」

園原潤の特異な言語感覚

大熊「ところで、歌詞の話をしなかったね。歌詞というか、言葉は園原が書いてたの?」

園原「トリスタンは上田君が全部タイトルを決めてた。詩も彼の言葉で、英語は(海賊艇Kの)マリさん。マングースの歌詞は全部自分が書いた」

大熊「その後、園原は詩集を出したよね」

園原「忘れてた! よく言ってくれた。藤富保男さんという詩人と仲良くなってね。北園克衛を研究してると言ってて、『時間』という雑誌で書いたりしてた」

大熊「詩はマングースをやってた頃から好きだったの?」

園原「一番好きなのは稲垣足穂。それもあって上田君と話が合ったんだよね。

詩を書き始めたのは、ある展覧会で北園克衛を紹介してる人がいて、それが藤富さんだった。〈北園克衛が好きなんです〉と言ったら、〈僕も詩をやってる〉という話になり、面白い人だなと思って。詩集を買って読んだら、ダジャレみたいなのも使ったふざけたユーモア系もやってて良かったんだ。あと好きだったのは、E・E・カミングス。俳句みたいな短い詩がかっこいいと思って。そういうのもあって、藤富保男に惚れ込んだ。年上だけど平気で飲みに誘って仲良くなったよ」

大熊「だいぶ後の話だよね」

巣山「バンドで活動しなくなった頃だね」

園原「その時に藤富さんが〈詩を出しただけで終わっちゃうから、冊子でいいから何か作りなさい〉と言ってくれて、詩集を出すことになった」

大熊「白石君とは、その後付き合いはあったの?」

園原「いっとき彼がDJをやってた時に見に行ったことはあった」

――1997年のMUSICA NOVAは?

※編集部注 白石隆之と園原潤のユニット。1997年にアルバム『MUSICA NOVA』をリリース

園原「あれはMLDとかの関係。俺が持ってたマルチトラックを見て、白石もやり始めて。その時はテープで音のやりとりをしてた。しばらくやってた時に白石がDJをやり始めて、〈作品もちゃんと出したいから、また一緒にやろう〉と声をかけてもらってやったのがMUSICA NOVA」

 

伝説のEP-4〈5・21〉ライブの思い出

大熊「マングースとトリスタンについて他に何か思い出はある?」

園原「吉祥寺マイナーでやってた時に見てたのはその周りの奴らばっかで、それ以外で言及してくれた人はいなかったな。大熊と広瀬と知り合ったことで充分満足してたから」

――他に参加したメンバーのことを教えてください。

大熊「根本姉妹の妹の智雅子さんがまだ高校生だった頃、一時期マングースでサックスを吹いてた。ベースも弾いてたかな」

園原「マングースに参加する前は『ロッキング・オン』に投稿してたタイプの人だったね」

大熊「その後、日本画家になったんだね。姉の美奈子さんは、すきすきスウィッチにいたよね」

巣山「その友達の滋田みかよがトリスタンでベースだった」

――滋田さんは一色進さんのバンド、タイツのメンバーでしたね。

園原「滋田が加わり、トリスタンは再びライブを始めたんです。第2期トリスタンというか、トリスタン・ディスコ・ネオと自分で言ってるんだけど」

巣山「キッチンのイベントの時、ライブが終わった後にバカボンさんが声をかけてくれたな。ベースがかっこいいねって」

大熊「(渋谷)エッグマンだったっけ?」

園原「そう。キッチン・レコードのショーケースイベント(1983年9月に開催された〈KITCHEN RECORDS REVIEW〉)で、大熊がキーボード、他のメンバーは巣山と俺と大熊と滋田だった」

大熊「みかよちゃんは田島と比べても遜色ないよね」

巣山「あのベースは全然アリだと思う」

園原「その後、ヴァリエテの影響もあったと思うけど、もっとポップなものがやりたくなって、それがスパナになった。その頃、渋谷のTAKE OFF 7かな、ピチカート・ファイヴと一緒にライブをやったことがあって、高浪(慶太郎)さんに誉められたのは覚えてる。

あと、1983年5月にEP-4の例の〈5・21〉のライブが渋谷パルコであったね(この時のリハーサルテイクを『Relative Motion -Dance with Tristan Tzara-』の最後に収録)。あの時は白石、滋田、巣山の4人でやったな。そのメンツで六本木のインクスティックでもやりましたが、白石はこれが最後でした。彼はライブよりスタジオワークが好きだったからね」

※1983年、佐藤薫らが〈EP-4 5・21〉とだけ印刷したステッカーを街中に貼ってゲリラ的な宣伝を行い、当日に京都、愛知・名古屋、東京・渋谷の3都市でライブイベントを開催した有名なエピソード

――本日はありがとうございました。

 


RELEASE INFORMATION

マングースの右足 『マングースの逆襲』 SUPER FUJI(2024)

リリース日:2024年3月20日(水)
品番:FJSP497
​仕様:CD
価格:2,805円(税込)

TRACKLIST
1. フットワーク
2. RADIO BOUND
3. 子供倶楽部
4. NO FEEL FINE
5. 吸血蝙蝠449
6. 最後のパレード
7. やだ!ノーサンキュー
8. フットワーク・モア
9. キリクチ
10. 形式的な午後
11. ナイト・スキップ
12. PACK F**K ME
13. もっと吸血蝙蝠
14. すでに
15. キリクチはそのままに

M1-7 1980年5月 吉祥寺マイナー
M8, 9, 11 1980年 吉祥寺マイナー
M10, 12, 13, 15 1980年9月 柏クレイジーホース
M14 1980年 スタジオ・ライブ

編集・マスタリング:George Mori
デザイン:ダダオ
解説:園原潤インタビュー

ソノハラジュン G, Vo
カンダアキヒコ B, Sax
スヤマタカキ Ds
ヒロセタカオ Vo (M8, 9, 11)

 

TRISTAN DISCO 『Relative Motion -Dance with Tristan Tzara-』 SUPER FUJI(2024)

リリース日:2024年3月20日(水)
品番:FJSP498
​仕様:CD
価格:2,805円(税込)

TRACKLIST
1. introduction
2. social dance
3. afternoon composition
4. relative motion
5. cut end-kirikuchi
6. mode variation
7. surplus life
8. DADA-dance with Tristan Tzara
9. be on the decrease -減少する空間-
10. relative motion 93
11. caterpillar
12. silent science
13. nuance
14. mis hearing
15. be on the decrease -減少する星-

M01-08 1981年12月 ライブ 吉祥寺with
M09-11 1983年9月 ライブ 渋谷エッグマン
M12-15 1983年5月 スタジオセッション

編集・マスタリング:George Mori   
デザイン:ダダオ  
解説:園原潤インタビュー

■TRISTAN DISCO1981
ソノハラジュン:Guitar
スヤマタカキ:Drums
タジマアツオ:Bass
オオクマワタル:Keyboard
ウエダマサヒロ:Vocal
ヤマザキ:Sax

■TRISTAN DISCO 1983
ソノハラジュン:Guitar, Vocal
スヤマタカキ:Drums
シゲタミカヨ:Bass
オオクマワタル:Keyboard (M9-11)
シライシタカユキ:Keyboard, Guitar (M12-15)

 


PROFILE: マングースの右足
長野の高校で一緒だった園原潤、巣山隆樹、神田昭彦の3人が上京し揃ったのを機に1980年春からバンド活動を開始。同年6月から吉祥寺マイナーなどに出演するようになり、ボーカルに広瀬隆雄(松岡正剛「遊」の界隈におり、大熊ワタルの舞踏・即興ユニット闇射のメンバー)を加え、ロックバンドスタイルで注目を集めるようになる。8月の広瀬脱退後よりロックの枠を超えた表現そのもののオリジナル性を追求するように進化。11月、神田が脱退し、その冬に根本智雅子(すきすきスウィッチの根本美奈子の妹)をサックスとベースに迎えてからは自主ライブ企画を始め、他流セッションも積極的に行う。ちょうどこの時期、現代音楽家の佐野清彦に認められ、上田雅寛主宰レーベル、YLEMと接触を持ち、1981年夏にコンピレーションアルバム『沫』へ演奏が収められた。しかし、ニューウェーブ、オルタナティブ、アバンギャルドなどの言葉が日常化していくことを嫌い、1981年5月、渋谷・屋根裏にて園原、巣山の2人でのライブを最後に活動を休止、トリスタン・ディスコへ発展していく。

PROFILE: TRISTAN DISCO
1980年に園原潤と巣山隆樹を中心にスタートしたマングースの右足は、吉祥寺マイナーなどでのライブ活動からその界隈に多くの知己を得て、1981年にトリスタン・ディスコへと発展する。園原はスタジオワークに没頭、そこでダブやフィードバックを取り入れたエレクトロニクス作品も創作するようになる。日本エレクトロ黎明期のコンピレーションアルバム『沫』に参加した白石隆之(BGM)が加わりトリスタン・ディスコ・ネオとも言える、さらなる進化をした。また園原は白石主導のMLDに参加し、その関係はMUSICA NOVA(1997年)まで続くことに。本作は、この2つの時期のライブとスタジオセッションを収めたものである。