
細川俊夫 オペラ「ナターシャ」世界初演
古典と実験の両方の要素がはいった新制作オペラ
――7つの地獄をめぐる旅
新国立劇場で8月に世界初演が予定されているオペラ「ナターシャ」を踏まえて、作曲家・細川俊夫と、台本を担当した作家・多和田葉子がそろって5月15日に記者懇談会をおこなった。そこで明らかになったいくつかの興味深い事柄をお伝えしよう。
この二人に共通する特徴は、主にドイツと日本を活動の足場としてきたことだろう。それを反映してか、今回の上演では〈多言語〉がひとつのキーワードとなる。ドイツ語、日本語、ウクライナ語、英語、中国語、フランス語、ポルトガル語などおよそ36か国語による言葉の海のような状況になるということだ。それらすべてを完全に聴き取って意味を把握するのは当然難しいが、それを「音響によって結びつける」というから、これはかなり野心的な試みと言えるだろう。
物語は、若い男アラト(日本語)が、故郷を追われてきたナターシャ(ドイツ語、最初はウクライナ語)とバルト海の海岸で出会い、メフィストの孫と名乗る人物(ゲーテの引用だが、本当の悪魔ではなく、おどけているが怖い存在)に誘われて、7つの地獄をめぐる旅をするというもの。
その地獄とは、森林地獄、快楽地獄、洪水地獄、ビジネス地獄、沼地獄、炎上地獄、干ばつ地獄である。それぞれの場所では、環境破壊や異常気象、拝金主義によって荒廃した精神、デモ隊とアジテーション、福島やチェルノブイリの問題などが扱われ、ミニマルミュージックやシンセサイザー、お金の音を暗示する響きや水の音、ハ短調によって書かれた調性音楽の美しいアリア(感動してもらわないと困る、と細川は少し笑いながら語っていた)、さらには多様な宗教音楽が使用されるという。
つまり今回のオペラは、多言語によって意味が消失することを覚悟しながらも、古典と実験の両方の要素を盛り込み、そこから別の新しい何かが生まれてくる可能性を信頼することによって、制作されたものである。その過程では、指揮の大野和士を含めたリモートによってミーティングが繰り返し行われてきたという。
多和田葉子は、「多声社会としての舞台」(「多和田葉子の〈演劇〉を読む」論創社刊に所収)で、こう述べている――「能には亡霊はもちろんのこと、蝉や猩猩(しょうじょう)など奇妙な動物が出てくる。人間でないもの、つまり『人外』が大きな顔をして登場する。人間と人外の出逢いという観点から観ると、リヒャルト・シュトラウスの作品の中では『影のない女』が面白い。人間とは何かというテーマを掘り下げたければ、人外の立場から人間を客観視してもらうのが一番である」
つまりこのオペラは、人外(ファウストの孫)という視点を用いながら、地球規模で現代の人間の置かれた危機的な状況を俯瞰しようという作品といえるだろう。それにしても、7つの地獄がどのように展開されるのか――オペラに不可欠なエンターテイメント性も盛り込まれた、これはなかなか楽しみな舞台になりそうだ。
LIVE INFORMATION
ナターシャ
<新制作 創作委嘱作品・世界初演>
全1幕〈日本語、ドイツ語、ウクライナ語ほかによる多言語上演/日本語及び英語字幕付〉
2025年8月11日(月・祝)新国立劇場 オペラパレス
開演:14:00
2025年8月13日(水)新国立劇場 オペラパレス
開演:14:00
2025年8月15日(金)新国立劇場 オペラパレス
開演:18:30
2025年8月17日(日)新国立劇場 オペラパレス
開演:14:00
■台本
多和田葉子
■作曲
細川俊夫
■指揮
大野和士
■キャスト
ナターシャ:イルゼ・エーレンス
アラト:山下裕賀
メフィストの孫:クリスティアン・ミードル
ポップ歌手A:森谷真理
ポップ歌手B:冨平安希子
中国のビジネスマン:タン・ジュンボ
サクソフォーン奏者:大石将紀
エレキギター奏者:山田 岳
合唱指揮:冨平恭平
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団