新たな制作論に向けて

 アーティストが作品を生み出す。そのメチエ(技能)に私たちは感嘆し、その作品を芸術として享受する。それは、アーティストという特別な才能を持った存在によって可能となったものであり、また、アーティスト個々人がそれぞれに異なるメチエを持つことで、オリジナリティという価値をおびる。しかし、そうしたメチエとしての人間の手仕事の領域が機械やコンピュータにおびやかされることが危惧された1960年代末から、現代のようなAIやジェネラティヴ・アートの隆盛の時代にいたる中で、制作ということの意味は大きく変わっていった。そして、人間が作ること、あるいは人間が機械の力を借りて作ること、機械に作らせることなどなどが、ひとしく制作という観点から、それがなんであれ、ある種の制作として、創作という行為の根源的な原理をとらえ、その価値や意味が問い直されることになった。

村山悟郎 『東大「芸術制作論」講義 手を動かし知をつかむ、創発のポイエーシス』 フィルムアート社(2025)

 アーティストが何か作品を作るという時、多くの場合、それは動機と結びついていると考えられてきた。そして、作品として結実した多くの制作行為に、その背景となる動機や出来事などを重ね合わせることで、その作品の意味が強化される。たいして、村山は「現在の芸術実践が、意味や表象あるいはアイデンティティに偏重している」とし、その制作過程において「どのように創造性は生まれるのか」の「謎」を解くことを研究対象とする。そこでは、人間や機械や自然は区別されない。それらは対立するものではなく、人間においては触発され、また協働するものでもある。それはまた、村山が「〈私〉が制作するのではない、制作をとおして〈私〉は絶えず出現する」と言うように、制作する主体というものがつねに制作とともに変化させられるということである。そこでは、ある結果が次の動きを誘発しながら、その連鎖によって新たな様相が作られることで生み出される「小さな創発」や、手を動かすことによって生じる思考としての「制作知=ポイエーシス」によって、つねに新たな主体が出現するのである。

 本書は、アーティストでありかつ研究者である村山悟郎が行なった、自身の制作とその研究をつうじて、「芸術制作とは何か?」という根本的な問いを紐解く「芸術制作論」の講義録である。本書の構成は、実際に行なわれた講義にならって、レクチャーとワークがセットになった全10回からなる。その中には、さまざまなテーマが展開されるが、1回分ぜんぶが、村山が偏愛するエイフェックス・ツインの楽曲をテーマに、制作にマイクロチューニングを応用するアイデアが展開されているのが白眉である。それは、ここでの制作論の射程を、現代美術という領域にとらわれず、表現からより広範な思考へと展開可能にするための、よりプラクティカルな本でもあることを示している。