大変だったが夢もあった90年代インディーシーン
――当時は自主制作盤としてリリースされたわけですが、発売後の反応はいかがでしたか。
「本当にコネクションがなかったんです。作ったはいいけれど、さてどうしようか、という感じでした。東京では新宿のラフ・トレードに10枚くらい持って行った記憶がありますし、大阪のアメリカ村にあったレコード店にも、自分で持ち込みました。
ただ、大阪のお店は売れた分のお金を回収できなかったんですよ(笑)。請求書を送っても振り込まれなくて。後にKiss-O-Maticをやった時、ディストリビューターの方から〈大阪は自分で取り立てに行かないとダメなんですよ〉なんて言われました」
――そんなことがあったんですね……。
「ただ、たまたま六本木WAVEの方を紹介していただく機会があって、CDを持って行ったらすごく気に入ってくださったんです。最初は3階のインディーズコーナーに置いてもらえるのかなと思っていたんですけど、なんと1階で大きく展開してくださって。それが本当に大きかったですね。
全く無名だったにもかかわらず、六本木WAVEで取り上げてもらったことで、レコード会社や業界関係者から声がかかるようになりました」
――まさに転機だったんですね。
「そうですね。そこから最初に契約寸前まで話が進んだのは、ヴァージン・フランスでした。この作品をすごく気に入ってくださったんです。ただ、ちょうどヴァージンがEMIに統合されるタイミングと重なってしまって、その話は立ち消えになりました。当時はメールもありませんでしたし、連絡手段といえばファックスくらいでしたから、今みたいにすぐやり取りできる時代ではなかったんですよね」
――今では考えられないですね。
「その後、この作品のリリースイベントとして、川崎のCLUB CITTA’で行われていた〈クラブ・アンドロメダ〉に出演したんです。そこでビクターの佐藤さんから声をかけていただきました。ただ、その時はまだ〈もう少しインディーズでやりたいです〉とお伝えしていたんです。
でも、そうこうしているうちにベースの友人がロンドンへ長期滞在することになって、ユニットとしての活動継続が難しくなってしまった。もともと私は1人で始めていたこともあって、佐藤さんも〈ソロでもどちらでもいいから〉と言ってくださって、そこからビクターでのデビューにつながっていきました」
――モーマスとの出会いは、その後ですか。
「そうですね、ビクター盤が出た後です。渋谷のレコード店で、この自主制作盤とビクター盤の両方を面出ししてくれていたんです。それをモーマスが見つけて、さらに彼の友人からも〈こういう作品があるよ〉と伝わったらしくて。そこからつながっていきました」
――本当に、いろいろなきっかけの始まりになった作品なんですね。
「この自主制作盤があったからこそ、その後のすべてにつながっていったんだと思います。当時はヴァージン・メガストアやWAVEのようなお店が積極的に取り扱ってくれましたし、必ずしもディストリビューターを通さなくても流通できる時代でした。90年代初頭はまだ今ほどシステム化されていなくて、自由な部分も多かったんです。もちろん大変なこともたくさんありました。でも、そのぶん夢もありましたね」
恥ずかしいくらいパンクな歌詞
――今回あらためて聴き返してみて、新しい発見はありましたか?
「今回、英語詞をあらためて歌詞カード用に書き起こしたんです。自分で歌ったものを聴き返して文字にして、それを翻訳ソフトにかけてみたんですけど、日本語で読むと、自分でも恥ずかしいくらいパンクで。
たとえば〈Use your brain〉という言葉は、“START WORRYING (USE YOUR BRAIN)”だけではなく他の曲にも出てくるんですけど、〈頭を使え〉というより〈自分で考えてほしい〉という感覚に近いんですよね。今読み返すと、少し誤解される表現だったかもしれないなと思うこともあります。でも、あの頃の私は、自分の内面と社会の両方に対して必死に向き合おうとしていたんだと思います」
――その根底には怒りの感情もあったのでしょうか。
「もちろんありましたし、今もあります。このアルバムで一番過激なのは“YOU NEVER DID UNDERSTAND”かもしれません。あらためて読むと、自分でもびっくりします(笑)。
ただ、特定の誰かに向けて書いたわけではないんです。自分でもよく分からないんですけど……たぶん、自分を取り巻くもの全部に対してだったんじゃないでしょうか。特定の個人ではなくて、もっと大きな何かに向けて」