「下北沢のジャズバーで彼らのデュオを初めて聴いた時に〈なんだ、これは!〉と目から鱗が落ちたんです。トロンボーンの生音が立体的に立ち上がり、〈この楽器はこんなに豊かな表現力をもっていたのか〉と驚いた。音数の少ない空間にふたりの音が自由に躍動していて。とてもいい経験でした」
こう語るのは、日本ジャズのプラットフォームDays of Delightのファウンダー&プロデューサーである平野暁臣。2026年11月10日(火)にリリースされる同レーベルの新譜はそのふたり、すなわちトロンボニスト池本茂貴とピアニスト武本和大による『Shared Lines』だ。これはまた、学生時代から共に演奏活動を続けてきた俊英ふたりのユニット〈moto.〉のデビュー作にもあたる。世界的にも稀少なトロンボーン+ピアノのデュオアルバムを完成させたmoto.に話をきいた。


12年間奏で続けた演奏がついにアルバム化
――おふたりは大学1年の頃から一緒にデュオで演奏なさっていたそうですね。
武本和大「はい。12年ぐらいふたりでライブをやってきました。12年間、形にしてこなかったことを、このタイミングでいよいよアルバムにできる。それが実現したことがとても嬉くて……」
池本茂貴「僕もずっとデュオのアルバムを作りたいと考えていたのですが、それぞれのプロジェクトでの活動などもあって、いつの間にか時間が経ってしまいました。今回、こうして作品づくりのチャンスをいただけて本当に良かった」
――アルバムの楽曲はスタンダードナンバー中心ですが、チック・コリアの“Spain”のように、およそ〈トロンボーンとピアノのデュオ〉とは結びつきそうにない選曲もあって、個人的に興奮させられました。イントロもとても面白くて、〈どこに連れていってくれるのだろう〉という気分になります。
池本「僕らが一緒に演奏しているバンドのライブで“Spain”を取り上げることになって、武本とふたりでアレンジを考えていたところ、いい感じに仕上がったのがきっかけです。後日デュオでも演奏したら、より面白い感じになり、それを平野さんが気に入ってくださって。
もっとも、今回の作品は全曲古いスタンダードでいく、という方針だったので、“Spain”はレコ―ディングのリストからは外れていたんですが、レコーディング最中に平野さんがとつぜん〈次は“Spain”ね〉と(笑)」
武本「イントロに関しては、チックの『Children’s Songs』の20番をイメージしながら、別の音型で演奏してみました。チックが演奏していた通りではないけれど、徐々に“Spain”に近づいていって、最終的にちゃんとテーマに入るように、かなり遠いところから“Spain”に戻ってくるような感じです」
――収録曲はすべて、ライブで好評だったレパートリーですか?
池本「実はライブで取り上げたことがない曲がほとんどなんです。普段よく演奏しているものばかりをやるのもアリだけど、新たなデュオの形を探ったり、新鮮なキャッチボールをもっとやりたいなという思いもあったので」
武本「以前やったことのある“Spain”と“Sandu”もライブのアレンジとは変えていて、今回初めてこのバージョンを試してみました。だから全曲新鮮な気持ちでレコーディングに臨めました。しかも〈せーの〉の一発録りですしね」
池本「クロージングチューンの“Georgia on My Mind”も現場でいきなり平野さんにリクエストされたもので、ふたりとも一度も演奏したことがなかった。ひどい話ですよね(笑)。もちろん曲自体は知っていたので、〈仕方ない、ちょっとやってみるか〉というノリで録ったんですが、ワンテイクでOKでした。新鮮な気分で演奏できたのが良かったのかもしれません」

対照的なビッグバンドとデュオ、エレクトーンとピアノに通じ合うもの
――池本さんはラージアンサンブルislesを率いての活動もされていますが、ラージアンサンブルはデュオとはかなり対照的なフォーマットだと思うのです。
池本「編成だけを見るとたしかに対照的ですが、ビッグバンドで培ってきた脳も、このデュオでちゃんと使われていると感じています。デュオは自由度が高いフォーマットですし、武本とは長年演奏していますので、〈こういうことをやりたい〉と思った瞬間に音で提案すると、それをすぐ感じ取って合わせてくれます。彼とのデュオは、脳内で鳴っている音にとても正直に演奏できる形態というか」
――武本さんはエレクトーンでの経験を経て、ジャズピアノに転向なさいました。
武本「エレクトーンは何千種類もの音を出せる楽器です。ピアノの音だけじゃなくて、いろんな音が出ます。僕はそこからピアノに入ったからか、ピアノを演奏している時にも、頭の中でいつの間にかいろんな音色を想像してしまうんです。たとえば〈このフレーズは弦のようになめらかにいこう〉とか、アンサンブルを考える時には、ただ和音を鳴らすんじゃなくて、〈ゆったりとストリングスのように〉とか、〈管のようにバーッと鋭く〉みたいに。無意識のうちに絶えず音色を意識しているところを見ると、エレクトーンの感覚は今でも生きているようです」

岡本太郎の作品に囲まれたアトリエが生んだ音色
――アルバム『Shared Lines』は、岡本太郎さんのアトリエで録音されています。レコーディングスタジオともジャズクラブともホールとも異なるシチュエーションで演奏するのはどんな気分でしたか?
武本「芸術作品に囲まれながら太郎さんの愛用ピアノを演奏する、というとても貴重な経験をさせていただきました。日頃とは違う空気感の中で演奏できたのは実に新鮮だったし、ピアノの音もぼくの大好きな音でした。ここまでタッチの重いアップライトを弾いた経験はなかったんですけど、じっくり音を吟味するうえではめちゃめちゃいいなと思って。アトリエは天井が高くて、音の反響なんかも池ちゃんとの相性がすごくいいなと感じました」
――100年前に製造されたという、あのピアノに触発されて浮かんできたフレーズもあったのではないでしょうか?
武本「“Spain”のイントロ部分はそのひとつですね。アトリエのシチュエーションからもとても影響を受けました。今回は静寂から入るイントロが多かったので、アトリエの空気を存分に感じながら演奏することができたのかなと思います」
――池本さんはいかがですか?
池本「レコーディングでもライブでも初めて演奏する場所でやる時は、けっこう緊張感があるんです。楽器を吹くうえで、床の材質や天井の高さ、どれぐらい物が置いてあるのかなども気になるんですが、それは現地に行ってみないとわからない。
アトリエに関しては、木の床で、かつ岡本太郎さんの絵がいっぱいあるじゃないですか。そういった物理的条件が影響しているのか、僕にとってはとても吹きやすい環境で。広いところで吹くと自分の音色のモニターがしにくい時もあるんですが、アトリエで吹いた時に〈今こういう音色を出せてるな〉という実感が自分の中で明確に持てたんです。あのアトリエだったからこそ、それぞれの曲で音色のコントロールができた部分もあるかもしれません。
あとは芸術作品がいっぱいある中で演奏する非日常感というか、作品からもらう刺激はありましたね。しかも僕の真後ろに太郎さんの写真があって、ずっと見られている感じもありました(笑)。
録音当日は晴れていて暑くて、1テイク録り終えたらすぐに冷房をつけて、汗を拭くという感じでした」

“Moonlight Serenade”のテーマをトロンボーンで吹く意義
――その気候で“A Foggy Day”や“Moonlight Serenade”が録音されたというのも興味深いです。“A Foggy Day”では、テーマメロディーに入る前に、なんともしゃれた、ビッグバンドのソリのようなフレーズが出てきますね。
池本「〈普通のやり方でスタンダードをやるのは面白くないよね〉という話はしていました。ただ漫然とテーマを吹いて、ソロをやって、またテーマを吹くみたいなことは止めようと。“A Foggy Day”を演奏する前には、その場で、ふたりでソリのようなフレーズを言い合って作り上げ、〈じゃあこれにしよう〉という感じで録音しました」
――“Moonlight Serenade”にしても、ビッグバンド以外で演奏されることは本当に珍しいでしょうし……。
池本「グレン・ミラーの有名な曲ではありますが、ビッグバンドで“Moonlight Serenade”を演奏する時にトロンボーンはテーマを吹かせてもらえないんですよ。トロンボーン奏者が作った曲なのに(笑)!」
――確かにそうですね。テーマはクラリネットが中心で、トロンボーンは合いの手です。
池本「だからトロンボーンでこの曲のテーマを吹きたかったんです。デュオならテーマを演奏できるし、テーマの吹奏だけでトロンボーンのミュートの良さを示すのもいいなと思って」
――一切アドリブのない、メロディーだけの演奏です。武本さんはピアニストとして、どのようアプローチを心掛けましたか?
武本「曲の良さを出したかったので、なるべくシンプルに弾こうと心掛けました。出ていない音も一緒に感じてもらえるようなコンピングがいいだろうと考えて演奏しましたね」

〈トロンボーンのミュート演奏〉の多彩で奥深い世界
――トロンボーンのミュートプレイについて、もう少しきかせていただけますか。
池本「“Moonlight Serenade”ではカップミュート、“Sophisticated Lady”ではバケットミュートを使っています。
今回は大前提として、〈トロンボーンの表現力や音色のカタログみたいなものにしよう。こんなに素敵な音が出る楽器なんだっていうことを多くの人に知ってもらおう〉という平野さんのコンセプトがありました。そう言ってくださったのが嬉しくて。なので、今回はミュートを使った音色や世界観の変化も聴いてくださる方に伝えたいと思いました。
小編成のミュート演奏は本当に少ないですし、ビッグバンドでは使われることもありますが、トランペットのミュートとトロンボーンのミュートと木管の持ち替えが一緒に鳴ると、結局〈ミュートトロンボーンの音って何ですか?〉となってしまう。今回のCDでミュートの音を押し出せたことはトロンボーン奏者として嬉しいですし、ミュートの良さを知ってもらえる機会にもなるので、そういう点でも、いろいろ挑戦できて楽しかったですね」
武本「(池本は)嬉しくて、今回のレコーディングに向けて新しいミュートを買った、と言っていました」
池本「今回収録されなかった曲で使っているピクシーミュートです。昔のジャズトロンボーン奏者がよく使っていたんですが、今では在庫を持っている楽器店はほとんどありません。このレコーディングを機に買おうと思って、楽器店に取り寄せてもらったんです」
――ベルのサイズもあって、トロンボーンのミュートはトランペットのミュートよりも、本当に巨大に見えます。
池本「持ち運びもめちゃめちゃ大変です。ビッグバンドの演奏でミュートの指定があったとしても1曲とかで、しかもその中の4小節だけなんてことが普通にあるんです(笑)。そのために一番重たいハーマンミュートを持ち歩いて……。だから今回のアルバムで2曲を全編ミュートで吹けたことは、僕にとって新鮮でした」

12年経っても新鮮な〈僕たちの会話〉
――ところでmoto.が参考にした音楽やバンドはありますか?
池本「デュオをやり始めてから、ジョシュア・レッドマンとブラッド・メルドーの『Nearness』などを聴くこともありましたが、僕らは12年間ずっと続けているので、特に誰かを参考にすることもなく、〈武本とのデュオ〉として演奏しています」
武本「僕も同じですね。〈誰々を真似しよう〉みたいな話にはならないですし、各々でやりたいことをぶつけ合っています。今回のアルバムも一緒にやりたいスタンダードを持ち寄って、曲名を挙げて、〈こうアレンジしよう〉と進めていきました。お互いの中から生まれてきたものを演奏しているだけですね」
――そして11月末からは、『Shared Lines』の発売記念ツアーも始まります。
池本「ふたりで12年間、いろんな場所に行きました。今回は〈CDをリリースできました〉という感謝の意味を込めて、これまで演奏したことがない場所も含めて行きたいなと思っています」
武本「このデュオでは、自分たちがその時に思っていることを大事にして音を紡いでいます。ベースとドラムがいない分、ピアニストとしては、池ちゃんの歌いたいフレーズに対して伴奏ではなく、その時に感じたコンピングで応えていきたいですね。その時その時の僕たちの会話を大事にしたいなと思っています」
池本「僕らのデュオはその日のライブごと、曲ごとに、どうなるかわからない、本当に自由な状態なんです。なので、刺激をし合いながら、真っ白なキャンバスに色を塗って絵を作っていくイメージです」
武本「ふたりで12年演奏していますが、いまだに〈あ、そう来るか〉ということがあって、それが面白いというか、このデュオの良さなのかなと思います。いつも新鮮な気持ちでスタンダードやオリジナルを演奏できるのが嬉しいですね」

RELEASE INFORMATION

リリース日:2026年11月10日(火)
品番:DOD-066
価格:2,750円(税込)
TRACKLIST
1. A Foggy Day
2. Moonlight Serenade
3. You’re My Everything
4. Sophisticated Lady
5. Spain
6. Emily
7. Sandu
8. A Nightingale Sang in Berkeley Square
9. Georgia on My Mind
(2026年8月25日 東京録音)
■演奏者
池本茂貴 trombone
武本和大 piano
LIVE INFORMATION
リリースツアー
2026年11月19日(木)東京・成城学園前 THE MOMENT JAZZ CLUB
2026年11月21日(土)京都・伏見 黒茶屋
2026年11月22日(日)大阪・北浜 ロイヤルホース
2026年11月23日(月・祝)愛知・名古屋 グランドピアノサロン名古屋
2026年11月24日(火)静岡・浜松 かじまちヤマハホール
2026年11月25日(水)滋賀・草津 COLTRANE
PROFILE: 池本茂貴
名門甲南中学・高校のブラスアンサンブル部を経て慶應義塾大学に進学。同大学のライトミュージックソサイエティで2年からコンサートマスターを務め、3年連続で〈ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテスト〉の最優秀賞に導く。13人編成のラージアンサンブルislesを主宰して2枚のアルバムを発表。2024年にはマリア・シュナイダーの来日公演をislesが担うという快挙を成し遂げる。2025年には初のコンボ作品『Flip the Switch』をリリース。
PROFILE: 武本和大
高校2年でYECエレクトーン世界大会1位に。一方で小学4年でジャズに目覚め、小曽根真、塩谷哲に師事するとともに、国立音大ジャズ専修を首席卒業し、矢田部賞を受賞。その後すぐに井上陽介トリオに迎えられ、アルバム制作や全国ツアーを重ねて経験。併行して多くのトッププレイヤーから共演を請われるファーストコールとして活躍。2025年には9人編成のリーダー作『THE REAL Veleria “BIRTH”』をリリース。