それでも世界は美しい
ガス・ヴァン・サント映画の主人公の多くは、意識的にしろ無意識的にしろ、世界と自分自身との関係に違和感を持つ。その違和に対して、世界を変えるために戦うものもいるが、その多くは世界との違和を抱えたまま自ら世界との距離を置き、生き、あるいは死んでいくだろう。
その意味で、本作の主人公の、世界は私の思うように動いているかのような全能感は、ガス・ヴァン・サント映画としては異例といっていい。
主人公は大手エネルギー会社で幹部候補。天然ガスが眠る土地を買収するため、農場以外なにもない田舎町に実際に出向き交渉する仕事である。勿論、幹部候補であるから、農場主から相場より安い金額で買い叩きはするのだが、買収することそのものは、農場主のためにも正しい行いだと思っている。なぜなら、主人公も農場主と同様に田舎の出身であるからだ。
マッキンリーという田舎町も順調に買収が進むはずだった。しかし、環境活動家の男が町に入り、反対活動を開始。更に、元科学者の高校教師が、採掘の際の環境破壊について指摘。賛成派と反対派が分かれ住民投票という流れにもつれこんでしまう。
とはいえ、賛成派と反対派の対立を描く映画ではない。この映画は、あることをきっかけに世界を実は何も分かっていなかったと気づいてしまった主人公のお話なのである。つまり、自身もガス・ヴァン・サント映画の主人公であることに遅ればせながら気づいてしまう男のお話なのだ。
以前と同様知らないふりをしてこのまま変わらず生きることもできる。世界は「以前/以後」で何も変わらない。変わったのは主人公の意識だけだ。
クライマックス。自分自身と正面から向き合う主人公に、ガス・ヴァン・サントは天使を遣わせる。
それでも世界は美しい。
この点でも紛れもないガス・ヴァン・サント映画である。