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ガス・ヴァン・サントが継承する小津ポジション

  目の前の人を欺くとき、人は真正面から相手を見据え、眼を逸らさずに、話す。ブライアン・デ・パルマが撮った魅惑的な悪女映画「パッション」でファムファタールを演じるレイチェル・マクアダムスは、相手のノオミ・ラパスを陥落させるために、上記のごとく相手に向かい合うだけでなく、時として画面の正面を向き、観客の我々に向けて話しかけてくる。その謎めいた笑みの薄気味の悪さには、痺れるような官能性がまとわりついてもいたものだ。

 ガス・ヴァン・サントの「プロミスト・ランド」で、大手エネルギー会社の社員としてシェールガスの採掘権を借り上げる契約を取り付けるため、主人公のマット・デイモンは、田舎町の農民たちに向かい合う。その相手を正面から見据えた交渉を見せられるが故に、我々観客は、その屈託のない魅力的な笑顔と話術に潜むうさん臭さを感知して、居心地の悪い思いを味わうことになる。本当の誠意を相手に向けるのならば、どうして彼は、これほど正面から相手を見据えるのか、と。

 一対一の会話だけではない。ガス採掘を巡る農民たちとの集会の場でも、デイモンは彼らの顔を、正面から見据えて話す。彼が、高校教師(ハル・ホルブルック)の思わぬ反駁を受ける場面で、二人の向かい合った顔のアップの応酬は、デイモンの論理の脆弱さと嘘っぽさを暴きたてていく(デイモンの顔の後ろに広がる星条旗には苦笑させられる!)。

 正面を向いての対話からは欺瞞が噴き出してくる。が、逆に、互いが同じ方向を向き合ったり相手を斜めから見つめたりするような位置での会話からは、相手(と自分)への柔らかい受容の気持ちと、真実に向き合う誠実さとが溢れだす。


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 デイモンが、同僚のフランシス・マクドーマンドと互いに大手企業のネゴシエーターらしく牽制球を投げ合うような会話をやりとりしながらも、互いの真情を理解する関係を育てていくのは、自動車の運転席と助手席での同方向を向いての会話を通してだ。また、町の女教師(ローズマリー・デウィット)を通して、デイモンは自分自身に気づかされていくことになるが、彼女と出会う酒場のカウンターでの会話は、平行した、あるいは相手を斜めに見る視線で行われる。その視線のあり方は、デウィットの部屋で会話するときの終始斜めから相手を見やる会話や、彼女の牧場を並んで見つめながらの会話に受け継がれていく。さらに、あろうことか、デイモンが論敵のホルブルックの家に招かれて食事をする場面では、食卓での二人の斜めの位置での会話や、ポーチでの同方向に視線を向けた会話を通して、主人公は、大地に足を着けた生業に生きる者たちの頬を札束で叩いてまわるような自身の所業を、見つめ直していく。


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 斜めの、あるいは平行した視線での会話には真実が宿る。そのことを映画的な説得力を以て示し続けてきたのが、小津安二郎の映画だろう。小津映画のヒロインたちは、正面切って相手を見つめるセリフでは自身の本音を押し隠して凛とした建前を述べたてる(「秋刀魚の味」の岩下志麻!)が、並んだ相手との同方向を向いた会話では秘めていた自らの真情を吐露し始める(「晩春」での父親への思いを述べる原節子!)。その小津ポジションとも呼べる配置での会話を、ガス・ヴァン・サントは全く異なったテーマの映画で踏襲しているのだ。