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(左から)武田清一、星勝。国立Singsにて

 

人付き合いにおいても〈さりげなく〉が好きで、日暮しの音楽もそういう存在であればいいかなと思ってました(武田)

――レコーディングの様子はどうだったんでしょう。クレジットを見ると、2枚とも凄いメンバーが集まってますよね。

「リズム隊のレコーディングが楽しかったよね」

日暮し ありふれた出来事 Think!(2015)

武田「ベースの小原礼さん、ギターの大村憲司さん、ドラムの村上秀一さん。僕はこの3人が大好きで、『ありふれた出来事』のときになるべく多く参加させてほしいと勝さんにリクエストしたんです」

「最初は“いにしえ”と“日傘”をレコーディングしたのかな。向こうも忙しくてスケジュールがあるからね。いまだったら、ダメならレコーディングしませんって言えるけど、その当時はそういうことってあり得ないからね。曲によって別のミュージシャンを招いたりしながら進めていくわけです。いまとなってはその3名をもっと使ったほうが良かったかもしれないという反省点があったりもする。やっぱりこの3人が演奏で関わってくれた曲はサウンドのクォリティーが高い気がするから」

77年作『ありふれた出来事』収録曲“いにしえ”。シングルは20万枚を超えるセールスを記録

 

深町純の75年作『Introducing Jun Fukamachi』収録曲“バンブー・ボング”。小原、大村、村上が揃って参加した日本のフュージョン黎明期の名作

 

武田「大村憲司さんのギターって日本的な曲でもすごく気持ちが入っているというか、ブルージーでいいんですよ」

「そうなんだよね。彼はスローなリズム&ブルース風を意識して弾いていたと思うんだけど、曲にちょうど合ったんだよね」

日暮し 記憶の果実 Think!(1979)

――『記憶の果実』にもこのお三方は参加されていますね。4作目を作り終えて、5作目に着手するにあたり、何か目標としていたことはありましたか?

武田「『ありふれた出来事』のときは、日暮しの音楽性を凝縮させたものを作りたいと思っていて、それをほぼ達成することができた。そして次の『記憶の果実』のときは、日暮しらしさを残しながらをもう少しポップな感じというか、パワーアップした感じにできればと考えていました。構成としては春に始まり、冬で終わるというトータル性を持ったアルバムにしようと」

――冒頭の“サーカス少年の街”の間奏にアーバンなサックスが登場したりして、オッ!?と思わせてくれたりするわけですが。全体的にカラフルな印象を受けますね。

武田「カラフルですね。『ありふれた出来事』はどちらかというとしっとりした情緒を描くことに重きを置いてますね。やっぱり日暮しの集大成にしたかったんで」

「モノクロとまでは言わないまでも、そういったトーンの良さを意識させるアルバムになっているね。『記憶の果実』のほうはとにかくカラフル」

79年作『記憶の果実』収録曲“風を光らせて”

 

――『ありふれた出来事』には私小説っぽい感じがありますもんね。

武田「そうですね。聴き手の目の前に〈情景が浮かんでくるような〉映像的なことも考えていたし、日暮しって普通に生活している市井の人のそばにある音楽、ってことを常に考えていました。僕自身、どちらかというと派手なタイプの人間じゃないし、人付き合いにおいても〈さりげなく〉というのが好きなんですが、日暮しの音楽もそういう存在であればいいかなと思っていました」

「あの頃って、普通がいいって考え方が尊重される時代ではなかったと思うんですよ。何か刺激的なものを求めて、そういうものを得ないと満足できない。しばらくはそういう傾向が続き、その先にバブルの弾けるときが待っていたわけで。いまは普通の良さを見直そう、という考えはスタンダードだけど、日暮しは早くからやっていたんです。先見の明があったと言えなくもないけど、そういう素養を持って生きてきたというね。珍しいタイプと言ってもいいと思う。だから、この人の人生にバブルは無縁なんだよ」

武田「ハハハハ(笑)。まぁ何があっても変わらないというのも大事なんですよ。物事には〈変わらないことの美しさ〉ってあるじゃないですか」

――そういえばこの2枚って、世の中が刺激に満ち溢れた80年代のちょっと手前に生まれた作品なんですよね。

武田「そうそうそう」

――そう考えると、このバンド名もさもありなんというか……。

武田「昔、新宿に草野心平さんが開いた〈火の車〉という酒場がありまして、2代目の人がやっていた頃、新しいグループを結成するんだけどどんな名前がいいだろうか?って親しいマスターに訊いたら、清ちゃんだったら〈日暮し〉がいいかなぁと言われて。いや、蝉の〈ひぐらし〉でもあるんだけど、その日を一生懸命生きる、って意味で付けたらどうかと。そういうことがあったんですよ」

「へ~、初めて聞いたなぁ。煌びやかに見せたり、大きく見せたりすることを多分に意識していたのが80年代だけど、その傾向に逆行している。彼にとってはそのほうが自然だったから」

――もし日暮しが『記憶の果実』を作り終えたあと、解散することなく80年代に突入していたとしたら、どういう音楽をやっていたんでしょうかねぇ。

武田「もう一枚ぐらいアルバムは作りたいと思っていたんですが……う~ん、そうだなぁ、ひょっとしたら原点に向かっていたかもしれないですね。『記憶の果実』がかなりポップを追求したアルバムだったから、これ以上ポップに向かう可能性はないだろうとたぶん考えたと思う。原点に向かいつつ、そのスタイルで完成度を高めた音楽をめざしたと思います」

「どんな作品であっても、すべてが完璧だという状態に至るってことはまずないんです。もちろん完璧をめざしてさまざまに試行錯誤をするし、絶えず最善の努力を払うんだけど、どうしても100点に到達することは不可能だと思う。だから次の作品へと進むことができるわけでね。さっき清ちゃんが原点に戻るかも、と言ったけど、ポップに近寄っていった作業によって咀嚼したものがきっと自然な形で表れる結果になっただろうと想像するね。さまざまな実験を重ねたことによって、音楽のニュアンスがもっと深くなっていただろうということ」

武田「最初の頃は言葉も少なくて直接的だったし、曲の作り方がかなりシンプル。それはそれで若いときの良さでもありますが、そこをもっと突っ込んで違う形にすることができたら、よりいいものになったんじゃないかと思いますけどね。それにもっと和を深めたかもしれない」

「もしこの先も実験を行うんだとしたら、さまざまな要素をより削ぎ落としていくのが正しいと思う。なるべくデコレートせずに成立する音楽、それは相当いいものになるよね」

――今回、『ありふれた出来事』と『記憶の果実』の2枚を同時購入するともらえる特典CD〈日暮し Bonus Tracks〉にはかなり貴重な音源が6曲入っています。これは武田さんが持ってらっしゃったテープがソースになっているんですよね?

特典CDのジャケット

 

武田「僕、蒐集マニアで、何でも取っておいたんです。テープだけでなく、写真でもなんでも残してある。カミさんに捨てろと言われても、ずっととっておいた。でも捨てなくて良かった。こういうCDが出来たんですから。まだいっぱいあるんですよ。未発表曲もたくさんあるし、今後出る可能性は十分あります。良い感じのものがたくさんある」

――そしてこのCDには、RCサクセションと一緒に演奏した“あの歌が想い出せない”も入っている。

武田「これが入っていたカセットを見つけたとき、もう音は出ないだろうと思った。分解したらテープが外れていて、直したらなんとかなりまして。録音していたことはもちろん覚えてます。ケンちゃん(RCサクセションの破廉ケンチ)と話したときも、覚えているって言ってた。曲が録られた顛末は解説に書いてありますが、ほとんど遊び感覚でやったようなものなんですよ。コンテストに名前を変えて応募してみようってことで提案したら、キヨシ(忌野清志郎)もすごく乗り気だったんで、数日後に僕が曲を作って彼のところに持って行き、キヨシがその曲に詞を付けて歌うことになったんです」

忌野清志郎が歌う“あの歌が想い出せない”のデモ音源。特典CDに収録されているものとは別テイク

 

「これはThe Remainders of The Cloverをやっている最中だったの?」

武田「辞めたあとですね。それでケンちゃんが入ってRCサクセションと名乗りはじめたときですね」

「4人で活動していた時期はないの?」

武田「そのとき僕はストロベリー・クリームをやってましたから」

――こちらの編曲のクレジットも〈RCサクセション+武田清一〉となっていますもんね。

武田「そうです。で、このとき適当なバンド名を付けて応募したんだけど、なんていう名前か忘れちゃって、誰も覚えていない」

――あの名前が想い出せない(笑)。でもこの4人の特別編成による音源は貴重ですよね。で、お訊きしたかったのは、この曲をかぐや姫が歌うことになった経緯です(第2期かぐや姫のデビュー・アルバムとなる72年作『はじめまして』に収録されている)。

武田「あ~これはねぇ、ストロベリー・クリームをやっていた頃に(かぐや姫の)山田パンダと知り合いになって、当時ストロベリー・クリームで僕が歌っているのを聴いた彼が〈歌わせてくれないか?〉と言ってきたんですよ。RCもライヴで歌っていたと、ケンちゃんも言っていた」

――あ、そうなんですね。清志郎さんを通じて渡されたわけじゃないんですね。たぶんそう思っているファンは数多くいるんじゃないでしょうか。

武田「それは間違い! インターネットで、キヨシが売り込みに行ったっていうひどいデマが出てるでしょ。まったくの嘘。キヨシがそんなことするわけないじゃない(笑)。そのときキヨシのところに行って、〈歌いたいって言ってるけどどうする?〉と訊いたら、〈清ちゃんがいいならいいよ〉みたいな感じで、彼らがカヴァーすることになったんですよ」

――そうだったんですか。このインタヴューによって真実がようやく伝わることになりますね。

武田「カセットの音源だけど、これは素晴らしい出来だと思いますね。ハッキリ言って、かぐや姫のヴァージョンよりもパワーと哀感があって格段にいいと思う」

――荒々しいエネルギーに溢れた演奏と身体の底から絞り出すような歌声が、胸に刺さります。

武田「それに当時の暗中としていたやるせなさがあるし、自分でいうのもなんですが、詞もいいし、曲も良いです。無垢な美しさを感じさせる」

「清志郎の歌い方なんだけどさ、のちの彼と全然変わらないじゃない?」

武田「そんな感じだけど、この時期はまだ初々しさも残っているよね」

「まだ若いからね。でもこういう歌い方になっていくのはいつ頃からなの?」

武田「彼が中学生の頃に会ったときは、まだこんなふうじゃなかったね。キレイな歌声でPPMの“Puff”とか歌ってましたよ。ほかにも〈風に吹かれて〉をやってた」

「確かに“Puff”はあの歌い方じゃ無理だな(笑)」