
日暮しというグループをご存じだろうか? 武田清一、榊原尚美、中村幸雄から成るトリオで、73年にデビュー。透き通るようなヴォーカルとフォーキー・サウンド、美しいハーモニーとメロディー・ラインで人気を博した(榊原尚美はのちに杉村尚美としてソロ・デビュー。“サンセット・メモリー”という大ヒットを飛ばしている)。
彼らには5枚のオリジナル・アルバムがある。日本コロムビアからリリースされた最初の3枚はすでにCD化されていたものの、4枚目の『ありふれた出来事』(77年)と5枚目の『記憶の果実』(79年)は後回しになっており、〈どうしてなんだ?〉という声は少なくなかった。フォーク畑で語られる日暮しだが、この2枚は近年ジャパニーズ・シティー・ポップの名盤という評価が確定しており、ハイグレードな和モノを追い求める若いリスナーたちの人気盤なのである。そんな人気作2枚がこのたびめでたくリイシューされることとなった。どちらも極上のフォーキー・ポップ・チューンが並ぶ良作だが、とりわけ『記憶の果実』のポップ・フィーリングは軽いショックを与えると思う(とってもシティー感覚に溢れた作品だと、ライナーノーツで仲井戸麗市も驚きのコメントを寄せている)。
この2作のプロデュースを務めたのは、RCサクセションの『シングル・マン』(76年)や井上陽水の『氷の世界』(73年)をはじめ、山ほどのジャパニーズ・ロックの名盤に携わってきた星勝。今回は、リーダーの武田清一と今回のリイシュー・プロジェクトのプロデューサーでもある星勝のお二方にインタヴューを敢行。取材場所となったのは、武田さんが営む国立のジャズ喫茶〈Sings〉。国立の街と同じようにゆったりとした時間が流れるお店で、〈セイちゃん〉〈勝さん〉とお互いを呼び合う2人の親しげなトークが展開された。おっと忘れるところであった、武田さんはRCサクセションの前身グループであるThe Remainders of The Cloverのリーダーでもある。今回は、彼の原点であるその時代の音源も日の目をみることがひとつのトピックスになっていることを伝えておかねばならない。

日暮しと出会ったときに、ロック・グループとは真逆の美というものを感じた(星)
――今回のリイシュー・プロジェクトはどのような経緯でスタートしたんですか?
武田「数年前に(日暮しの)ベスト盤が出たんですけど、これが内容的に納得のいかないものとなっていまして(笑)」
星「憤りを感じたと(笑)」
武田「シングルのA面B面をただ並べてあるだけだし、尚美ちゃんのソロ曲まで入っていたりして、それってなんなんだと。このお店には日暮しのファンがときどきやってくるんです。で、〈このCDに武田さんOK出したんですか?〉って訊かれるんだけど、僕は出してないし、まったく知らなかった。というわけで、ちゃんとした形で出してくださいってリクエストが少なくなかったんです。そこで勝さんのところに行って〈ちゃんと出し直さないとマズいんじゃない?〉って話をして」
星「なんとかリヴェンジしないと、ってことだね」
――CD化熱望の声はこれまでにかなり多かったですよね。
武田「日暮しにとって4枚目、5枚目に当たるんですが、自分ではいちばん満足できる内容だったんです。内容もサウンドもいまの時代に聴いても全然色褪せてないし、皆さんから早く再発してほしいって言われていたんですよ。ただ僕の腰が重くて、う~ん……って言ってたんだけどね。アナログ・レコードでだったら良いけどな、なんて話をしていて(笑)」
――アルバム制作当時のお話をお訊きしたいんですが、どういう作品にしようと動き出したんですか?
武田「それまでに日本コロムビアで3枚のアルバムを作っているんですけど、1枚目(73年作『日暮し』)の頃はまだグループの方向性も固まっていなくて、曲の出来、不出来に差があったり、他者が書いた曲が入っていたりして、バラバラな感じがありましたね。2枚目(73年作『日暮し2』)もそういう感じだったけど、3枚目(74年作『街風季節』)で少しやる気になったのかな。ちょっとがんばんなくちゃいけない、と思いはじめたときに星さんに出会ったんですね。〈日暮しに会いたい〉って星さんが来てくれたんです。ザ・モップスの星さんがなんで僕らに会いたいんだろう?って不思議に思ったというか、ロックの人とたんですね。〈日暮しに会いたい〉って星さんが来てくれたんです。ザ・モップスの星さんがなんで僕らに会いたいんだろう?って不思議に思ったというか、ロックの人というイメージがあったので結びつかなかったんですね。でも話してみるとそういう感じでもなくって……」
星「ロックやリズム&ブルースが好きで、自分たちでもパフォーマンスしたくてモップスを始めたんですけど、楽器編成がギター、ベース、ドラムスしかなくて、キーボードが入っていなかった。いざレコーディングをするとなると、その編成だけでやろうとするとどうしても満足がいく形にならなくて。それで譜面の勉強をしながら、サポート・メンバーを呼んだりしながらレコーディングを続けていくうちに、バラード系などもできるようになった。だいたいが浮気性な性格で、歌謡曲でも好きなものはあるし、民謡も好きだし、好きなものは限りなくあるわけ。何でも好きになる。で、日暮しと出会ったときに、ロック・グループとは真逆の美というものを感じた」
――真逆といえば、日暮しは当時のフォーク・グループと一線を画すような洒落た感じの、洗練度の高い音楽をやっていらっしゃる。かなり洋楽のエッセンスを採り入れた音楽という気がする。
星「モップスの話をすると、洋楽のコピーから入っているけど、途中から〈和〉のテイストを採り入れた音楽を作ろうってことでやり出したものの、そりゃあ簡単にはいかなかった。めざすべき世界が完成した、と自分たちでは思っていない。でも、日暮しの音楽を聴いたとき、これも〈和〉だなと思えた。清ちゃんは洋楽に精通していて、特にアメリカの音楽をたくさん聴いていて、その影響があるのは確かだけど、彼のルーツである〈岩手県〉が最初から見え隠れしているように感じましたね。ノスタルジックなムードに洋楽のテイストが上手く絡み合っているし、いいところを突いているなぁと」
武田「日暮しを結成する前は、かなり洋楽の影響を受けていたんです。ギターを始めた頃は、ピーター・ポール&マリーやヴェンチャーズ、少し経つとラヴィン・スプーンフルやラスカルズという東海岸のグループが好きになって」
星「やっぱりいいところ突いてるんだよね。俺も好きだったよ」
武田「で、その後に西海岸の音楽に傾倒していって。ま、良い音楽ならどこ海岸でも好きになるわけです(笑)。アマチュアの頃にはそういう曲のコピーをやったり、ストロベリー・クリームというグループを組んで好きな洋楽曲に近い感じのオリジナルを作ったりしてたんだけど、このままじゃどうしても洋楽を超えられないという気持ちが芽生えはじめて。僕は岩手県生まれなんですが、情緒的なものというか、日本的な心の持ち方を表したほうが自分らしいなと次第に考えるようになっていったんです。そこで、和のテイストを持ったオリジナリティーのあるグループを作りたい、と思い立ち、日暮しを作ったんですけどね」
――確かに日暮しには季節の移ろいを描いた曲が多くあって、日本の四季が色濃く浮かんでくる。
武田「そうですね。そこには四季がはっきりとしていた田舎で暮らしていたことも関係しているだろうし、やっぱり人間は四季によって感情の持ちようが違ってきますからね。ある種古風とも言えるような繊細なものや情緒的なものを出したいな、って気持ちはありましたよ。それから当時、四畳半フォーク的な世界が性に合わなかったんです(笑)。AmからDmに行って……みたいな湿った感じは大嫌いでね。下地となっている洋楽のエッセンスを活かしつつ、四畳半っぽくならないようなコード進行を採り入れながら作ったのが日暮しの曲で」
――日本情緒と、洋楽から学んだメジャー・セヴンス系の洒落たメロディーを繋ぎ合わせて出来たものが日暮しの世界だったと。
武田「そういうことです。だからDmだったら、Dm7を使うとか、そんな工夫をした。ヴォーカルの尚美ちゃんの声はどちらかというといい意味でオーソドックスな感じというか日本的な声の質の持ち主でもあり、それをマイナー・キーで表現すると日本そのものが強く出てしまう。それを避けるために工夫を凝らすという苦労というのはありました」
――当時、日本的情緒を自身の音楽にどう反映させるか、というような試行錯誤を行っていたミュージシャンは周りに多かったんですか?
武田「いやぁ~どうだろうねぇ。四畳半フォーク的なものは多かったけど」
星「そうね、日暮し的な世界をめざすグループはほとんどなかったんじゃない? だってもしあれば僕はその人たちのことも好きになっているはずだから」
――なるほど。
武田「周りの音楽仲間から、〈日本的な曲なのに、清ちゃんはメジャー・セヴンスを結構使うねぇ〉って言われてたぐらいだから。ま、そうでしょ?って答えてたけど。そうすることによって彼女の歌声といい感じに混じり合って、すごく広がりが生まれたんですよ。ただ使い方に関しては法則も何もなくて、ほとんど勘というか感受性の赴くままにでやってたんですけどね。あと詞との組み合わせですよね。湿ったマイナーな感じの歌詞のときに、洒落たメジャー・セヴンスのコードを付けるとちょうど良くなるとか」
星「(右手を差し出しながら)一方にロックやリズム&ブルースがあり、(左手を差し出し)もう一方にソフィスティケイトされた音楽があるとして、その二極の間には魅力的なものがたくさんあるわけですよね。僕もモップスをやっていたときにそちらの方向へ進みたいという気持ちを持ちはじめて、ちょうど日暮しの音楽と出会うことになった。僕も日暮しのアルバムのなかで曲を書いているけれど、いつもの日暮しの世界からちょっとこっち(右手側)寄りの曲になっているんですよ。やっぱりプロデューサーという立場としてバランスを考えなければいけないから。じゃあロックやってみてよ、なんてことは決して言わない。ただ、僕はその中間のフィールドで日暮しに合うものはなにかを探りながら作っていたと思う。作っていたというか、その作業を楽しんでいたと思うんだけどね。で、出来た曲を聴かせると、反応が悪いこともしばしばあったりしてね」
――当時、そういう星さんの苦労は気付かれてましたか?
武田「いやぁ、勝さんは日暮しの音楽を深く理解してくれていましたから。理解してくれているんで、ダメだとハッキリ言っても平気だろうな、たぶん傷ついたりしないだろうってわかってたから(笑)」
星「傷つくのは傷ついたけど、そこで得た要素を採り入れたものをあとは作ればいいだけのことだから(笑)」
武田「とにかく勝さんとよく一緒に呑んでいたんですよ。呑みながら、ああしたいこうしたい、といろいろ話し合って」
星「とにかくずっと一緒にいましたね。いっぱい話をするんだけど、3割は音楽のことで、残りはただ呑んでいるだけという(笑)。ただずっと会っているから、たった3割でもずいぶん話したことになるんですよ。その頃、僕は立川に住んでいたんで、彼のところに行くのが結構楽だったんです」
武田「その頃、僕は国分寺に住んでいました。仕事の帰りがけに寄ってもらったりしてね。そういう密なやり取りを行いながら作ったアルバムだから、満足度はかなり高いわけです」
――当時の忘れられないエピソードを教えていただけますか。
武田「そうだなぁ……。こういう曲が出来たよ、って勝さんが歌ってくれるときがあったんだけど、ヒゲモジャの勝さんがギターを弾きながら女性言葉の歌詞を歌う様子がもう可笑しくて、可笑しくて(笑)。見た目が三国志の武将みたいだったから」
星「自分としては良い曲が出来たと思ってるし、〈これどう?〉って彼に訊くと、全然似合わないなぁ、っていう反応が返ってくるというね。気持ち良さそうに歌えば歌うほど、気持ち悪いと思われていたんだね」
一同「ハハハハ(笑)」

人付き合いにおいても〈さりげなく〉が好きで、日暮しの音楽もそういう存在であればいいかなと思ってました(武田)
――レコーディングの様子はどうだったんでしょう。クレジットを見ると、2枚とも凄いメンバーが集まってますよね。
星「リズム隊のレコーディングが楽しかったよね」
武田「ベースの小原礼さん、ギターの大村憲司さん、ドラムの村上秀一さん。僕はこの3人が大好きで、『ありふれた出来事』のときになるべく多く参加させてほしいと勝さんにリクエストしたんです」
星「最初は“いにしえ”と“日傘”をレコーディングしたのかな。向こうも忙しくてスケジュールがあるからね。いまだったら、ダメならレコーディングしませんって言えるけど、その当時はそういうことってあり得ないからね。曲によって別のミュージシャンを招いたりしながら進めていくわけです。いまとなってはその3名をもっと使ったほうが良かったかもしれないという反省点があったりもする。やっぱりこの3人が演奏で関わってくれた曲はサウンドのクォリティーが高い気がするから」
武田「大村憲司さんのギターって日本的な曲でもすごく気持ちが入っているというか、ブルージーでいいんですよ」
星「そうなんだよね。彼はスローなリズム&ブルース風を意識して弾いていたと思うんだけど、曲にちょうど合ったんだよね」
――『記憶の果実』にもこのお三方は参加されていますね。4作目を作り終えて、5作目に着手するにあたり、何か目標としていたことはありましたか?
武田「『ありふれた出来事』のときは、日暮しの音楽性を凝縮させたものを作りたいと思っていて、それをほぼ達成することができた。そして次の『記憶の果実』のときは、日暮しらしさを残しながらをもう少しポップな感じというか、パワーアップした感じにできればと考えていました。構成としては春に始まり、冬で終わるというトータル性を持ったアルバムにしようと」
――冒頭の“サーカス少年の街”の間奏にアーバンなサックスが登場したりして、オッ!?と思わせてくれたりするわけですが。全体的にカラフルな印象を受けますね。
武田「カラフルですね。『ありふれた出来事』はどちらかというとしっとりした情緒を描くことに重きを置いてますね。やっぱり日暮しの集大成にしたかったんで」
星「モノクロとまでは言わないまでも、そういったトーンの良さを意識させるアルバムになっているね。『記憶の果実』のほうはとにかくカラフル」
――『ありふれた出来事』には私小説っぽい感じがありますもんね。
武田「そうですね。聴き手の目の前に〈情景が浮かんでくるような〉映像的なことも考えていたし、日暮しって普通に生活している市井の人のそばにある音楽、ってことを常に考えていました。僕自身、どちらかというと派手なタイプの人間じゃないし、人付き合いにおいても〈さりげなく〉というのが好きなんですが、日暮しの音楽もそういう存在であればいいかなと思っていました」
星「あの頃って、普通がいいって考え方が尊重される時代ではなかったと思うんですよ。何か刺激的なものを求めて、そういうものを得ないと満足できない。しばらくはそういう傾向が続き、その先にバブルの弾けるときが待っていたわけで。いまは普通の良さを見直そう、という考えはスタンダードだけど、日暮しは早くからやっていたんです。先見の明があったと言えなくもないけど、そういう素養を持って生きてきたというね。珍しいタイプと言ってもいいと思う。だから、この人の人生にバブルは無縁なんだよ」
武田「ハハハハ(笑)。まぁ何があっても変わらないというのも大事なんですよ。物事には〈変わらないことの美しさ〉ってあるじゃないですか」
――そういえばこの2枚って、世の中が刺激に満ち溢れた80年代のちょっと手前に生まれた作品なんですよね。
武田「そうそうそう」
――そう考えると、このバンド名もさもありなんというか……。
武田「昔、新宿に草野心平さんが開いた〈火の車〉という酒場がありまして、2代目の人がやっていた頃、新しいグループを結成するんだけどどんな名前がいいだろうか?って親しいマスターに訊いたら、清ちゃんだったら〈日暮し〉がいいかなぁと言われて。いや、蝉の〈ひぐらし〉でもあるんだけど、その日を一生懸命生きる、って意味で付けたらどうかと。そういうことがあったんですよ」
星「へ~、初めて聞いたなぁ。煌びやかに見せたり、大きく見せたりすることを多分に意識していたのが80年代だけど、その傾向に逆行している。彼にとってはそのほうが自然だったから」
――もし日暮しが『記憶の果実』を作り終えたあと、解散することなく80年代に突入していたとしたら、どういう音楽をやっていたんでしょうかねぇ。
武田「もう一枚ぐらいアルバムは作りたいと思っていたんですが……う~ん、そうだなぁ、ひょっとしたら原点に向かっていたかもしれないですね。『記憶の果実』がかなりポップを追求したアルバムだったから、これ以上ポップに向かう可能性はないだろうとたぶん考えたと思う。原点に向かいつつ、そのスタイルで完成度を高めた音楽をめざしたと思います」
星「どんな作品であっても、すべてが完璧だという状態に至るってことはまずないんです。もちろん完璧をめざしてさまざまに試行錯誤をするし、絶えず最善の努力を払うんだけど、どうしても100点に到達することは不可能だと思う。だから次の作品へと進むことができるわけでね。さっき清ちゃんが原点に戻るかも、と言ったけど、ポップに近寄っていった作業によって咀嚼したものがきっと自然な形で表れる結果になっただろうと想像するね。さまざまな実験を重ねたことによって、音楽のニュアンスがもっと深くなっていただろうということ」
武田「最初の頃は言葉も少なくて直接的だったし、曲の作り方がかなりシンプル。それはそれで若いときの良さでもありますが、そこをもっと突っ込んで違う形にすることができたら、よりいいものになったんじゃないかと思いますけどね。それにもっと和を深めたかもしれない」
星「もしこの先も実験を行うんだとしたら、さまざまな要素をより削ぎ落としていくのが正しいと思う。なるべくデコレートせずに成立する音楽、それは相当いいものになるよね」
――今回、『ありふれた出来事』と『記憶の果実』の2枚を同時購入するともらえる特典CD〈日暮し Bonus Tracks〉にはかなり貴重な音源が6曲入っています。これは武田さんが持ってらっしゃったテープがソースになっているんですよね?

武田「僕、蒐集マニアで、何でも取っておいたんです。テープだけでなく、写真でもなんでも残してある。カミさんに捨てろと言われても、ずっととっておいた。でも捨てなくて良かった。こういうCDが出来たんですから。まだいっぱいあるんですよ。未発表曲もたくさんあるし、今後出る可能性は十分あります。良い感じのものがたくさんある」
――そしてこのCDには、RCサクセションと一緒に演奏した“あの歌が想い出せない”も入っている。
武田「これが入っていたカセットを見つけたとき、もう音は出ないだろうと思った。分解したらテープが外れていて、直したらなんとかなりまして。録音していたことはもちろん覚えてます。ケンちゃん(RCサクセションの破廉ケンチ)と話したときも、覚えているって言ってた。曲が録られた顛末は解説に書いてありますが、ほとんど遊び感覚でやったようなものなんですよ。コンテストに名前を変えて応募してみようってことで提案したら、キヨシ(忌野清志郎)もすごく乗り気だったんで、数日後に僕が曲を作って彼のところに持って行き、キヨシがその曲に詞を付けて歌うことになったんです」
星「これはThe Remainders of The Cloverをやっている最中だったの?」
武田「辞めたあとですね。それでケンちゃんが入ってRCサクセションと名乗りはじめたときですね」
星「4人で活動していた時期はないの?」
武田「そのとき僕はストロベリー・クリームをやってましたから」
――こちらの編曲のクレジットも〈RCサクセション+武田清一〉となっていますもんね。
武田「そうです。で、このとき適当なバンド名を付けて応募したんだけど、なんていう名前か忘れちゃって、誰も覚えていない」
――あの名前が想い出せない(笑)。でもこの4人の特別編成による音源は貴重ですよね。で、お訊きしたかったのは、この曲をかぐや姫が歌うことになった経緯です(第2期かぐや姫のデビュー・アルバムとなる72年作『はじめまして』に収録されている)。
武田「あ~これはねぇ、ストロベリー・クリームをやっていた頃に(かぐや姫の)山田パンダと知り合いになって、当時ストロベリー・クリームで僕が歌っているのを聴いた彼が〈歌わせてくれないか?〉と言ってきたんですよ。RCもライヴで歌っていたと、ケンちゃんも言っていた」
――あ、そうなんですね。清志郎さんを通じて渡されたわけじゃないんですね。たぶんそう思っているファンは数多くいるんじゃないでしょうか。
武田「それは間違い! インターネットで、キヨシが売り込みに行ったっていうひどいデマが出てるでしょ。まったくの嘘。キヨシがそんなことするわけないじゃない(笑)。そのときキヨシのところに行って、〈歌いたいって言ってるけどどうする?〉と訊いたら、〈清ちゃんがいいならいいよ〉みたいな感じで、彼らがカヴァーすることになったんですよ」
――そうだったんですか。このインタヴューによって真実がようやく伝わることになりますね。
武田「カセットの音源だけど、これは素晴らしい出来だと思いますね。ハッキリ言って、かぐや姫のヴァージョンよりもパワーと哀感があって格段にいいと思う」
――荒々しいエネルギーに溢れた演奏と身体の底から絞り出すような歌声が、胸に刺さります。
武田「それに当時の暗中としていたやるせなさがあるし、自分でいうのもなんですが、詞もいいし、曲も良いです。無垢な美しさを感じさせる」
星「清志郎の歌い方なんだけどさ、のちの彼と全然変わらないじゃない?」
武田「そんな感じだけど、この時期はまだ初々しさも残っているよね」
星「まだ若いからね。でもこういう歌い方になっていくのはいつ頃からなの?」
武田「彼が中学生の頃に会ったときは、まだこんなふうじゃなかったね。キレイな歌声でPPMの“Puff”とか歌ってましたよ。ほかにも〈風に吹かれて〉をやってた」
星「確かに“Puff”はあの歌い方じゃ無理だな(笑)」

日暮しもRCも売れてなかったから(笑)、キヨシたちとはお互いの家を行き来することが多かった。音楽以外にやることもないし(武田)
――清志郎さんとの出会いの場所はどちらになるんですか。
武田「国分寺にあった僕の家ですね。(国分寺)三中の後輩で、初めて会ったのは僕が高校生の1年か2年のとき。リンコ(RCサクセションの林小和生)はうちの近所に住んでいて、子供の頃から知ってたんです。彼がある日突然〈セイちゃん、音楽聴かせてくれる?〉って遊びに来たんですよ。そのとき後ろにくっ付いてきたのがキヨシで。坊ちゃん刈りで、ニカニカニカニカしていて」
――あぁイメージできるなぁ(笑)。
星「なんたってこれだからね(特典CDのブックレットに掲載されている、67年に御岳山で撮ったスナップショットを見せて)」
武田「すごく子供っぽくてね。それで僕はこの頃、ラヴィン・スプーンフルのような東海岸系とか、ソウル・ミュージックもちょっと聴いてました」
――ラヴィン・スプーンフルなんて当時周りで聴いていた人は少なかったんじゃないですか?
星「僕、聴いてましたよ。さっき名前が出たラスカルズも聴いてる。清ちゃんと共通の好みというと、ロジャー・ニコルズの曲とかだね」
――お2人でカーペンターズとかも聴いていらっしゃったんですか?
武田「カーペンターズは聴いてなかったけど、ウチに来て酒呑みながらよく聴いていたのは、ポール・ウィリアムズのヴァージョンだね。A&Mの『Life Goes On』やその前に出した『Someday Man』なんか。ローラ・ニーロやジム・ウェッブなんかも僕は好きだった」
星「あと、ロジャー・ニコルズ&スモール・サークル・オブ・フレンズのアルバムも」
――え、あの時代にもう聴かれていたんですか!? それにしても、ロックのフィールドで活躍していて、ソフト・ロックというかMOR的な音楽を聴いていて、周りから何か言われたりしませんでした?
星「ロックのなかにあれだけ成熟したものってないじゃないですか。僕はそこに行きたかったわけですよ。彼(ロジャー・ニコルズ)の作品って音楽全体を網羅しているというか、多くの要素を含んでいるということで好きだったんです。ただまぁ、カーペンターズはちょっとポップすぎてどうかなぁ……と思うところがあったけどね(笑)」
武田「ロジャー・ニコルズとかこのへんが大好きでした。でも日暮しは、そういう世界と別、って感覚でしたけど」
――ちなみに当時の国立や国分寺あたりは、どんな雰囲気の街でしたか? ライヴハウスやロック喫茶はあったんですか?
武田「のどかな感じだね。下駄履いて古本屋やラーメン屋へ行ったりしてましたね。あとレコード屋さんも。RCの連中もそうでしたね。ただまぁ、のどかでいられたのは、日暮しもRCも売れてなかったから(笑)。金はないけど暇な時間だけはたっぷりあったんで。のちに『ありふれた出来事』を出した頃、シングルの“いにしえ”が(TVドラマ『恋歌』に曲が使われたこともあって)ヒットしてから少しは忙しくなりましたけどね。お金がないもんだから、キヨシたちとはお互いの家を行き来することが多かったかな。音楽以外に特にやることもないし」
――そういえば清志郎さんの本に、彼とリンコさんが武田さんの留守中、部屋のなかへ勝手に侵入してひどく怒られたという出来事が書いてありましたが。
武田「あぁ、あれね! 僕がどっか行って帰ってきたら、部屋の窓が開いてたんですよ(笑)。〈おっかしいなぁ? どうしたんだろう〉と思って部屋を覗いたらね、僕に気がついた2人が慌てて窓から逃げ出したんですよ」
一同「ハハハハハ(爆笑)」
武田「〈バカヤロウ、お前ら何やってんだよ!〉と怒りましたよ。僕は先輩ですからね。〈悪い悪い!〉って謝ってましたけどね。たぶん頭を一発二発ひっぱたいたんじゃなかったかな(笑)。でもまぁ、2人はきっと部屋に何があるのか見てみたかったんでしょうね」
――あ、それまで彼らが武田さんの部屋に入ったことはなかったんですね。
武田「家に集まってましたが、練習したり音楽を聴く部屋は別にあったんでね。で、僕が寝起きする自分の部屋に入れることもないか、と思っていたんだけど、あいつらはどうしても見たかったんでしょうねぇ」
――何か隠してあるかもしれないからいっちょ調べてみよう、ってなことだったんでしょうか。
武田「何か得体のしれないものがあるかもしれないと思ったんですかねぇ(笑)。部屋の横に塀があって、そこを登って入ったみたい。でもそれって冷静に考えたら、泥棒と一緒だよね(笑)」
――ハハハハ(笑)。当時、交流のあったミュージシャンは他にどんな方がいらっしゃいましたか?
武田「日暮しを始めた頃は、ブレッド&バターと仲が良かったかな。あと葡萄畑とも一緒によく呑んだな。有名な人と派手派手しい付き合いをするようなことはなかったですね。ブレバタとかも自然なキャラクターなんで付き合いやすかったんです」
――それはミュージシャンでありながらも普通の暮らしを続けたかった、ということなんですかね。
武田「そうですね。僕は常々、すごくいいミュージシャンとすごくいい魚屋さんは同列だと思っているんです。その道を極めている人はどんな場所にもたくさんいますから。クリエイターだから特別に優れている、というような考えは一度も持ったことがないですね」
――武田さんのその考え方というか生きる姿勢は、日暮しの音楽を聴いているとすごく理解できます。
武田「そういう考えの持ち主ですから、音楽も奇を衒ったものにはならないと思います。ただ音楽的にこういうことを試してみたい、という感じでさまざまなチャレンジを行うことはありましたよ。でもかなりポップになろうが、芯のところはブレていないと思う」
――日暮しを続けていた頃、RCサクセションも常に近くにいたんですか?
武田「ええ、事務所も同じだった時期もあって。でも80年代に入るまでの、彼らが渋谷の屋根裏でライヴしていた頃ぐらいまでかな」
――ブレイクする前ということですか。
武田「そう。それ以降は僕もアメリカに行く機会が多くなっちゃったんで。あと日暮しを解散したあと、それまでの日本の音楽とは違うものを発見したんですよ」
――それはどんなものを?
武田「古くからあるスタンダード・ジャズの良さだとか。向こうには昔からスタンダードを歌う素晴らしい歌手がたくさんいるじゃないですか。ライヴを観ると、すごいなぁと思うことの連続でね。それでエラ・フィッツジェラルドやビリー・ホリデイなどの昔のレコードを買い漁るようになって」
――リスナーとして聴くものが大きく変化したということですね。
武田「そもそもポピュラー音楽ってシンガー・ソングライターが作る音楽の元になっているものですよね。そういうものを掘り下げる方向に行っちゃったんです」
――いまの武田さんの耳で日暮しを聴き直してみて、どういう印象を抱かれますか?
武田「復刻するにあたっていろいろ聴いてみたんですが、やはり日本人だなぁと。外国人のモノマネして英語で歌っているような音楽と比べて、言葉が入ってきますし、いいと思いますね」
――今回のリイシューによって、日暮しが多くの若いリスナーの耳に届くことになると思いますが、どういう聴かれ方をすると想像します?
武田「いまの時代に蘇っても違和感がないと僕は思ってます。さまざまな音楽に触れている人に聴いてもらっても、普通に入ってくるんじゃないかと。音楽って昔のものとか新しいものとか全然関係ないですからね。良いか悪いか、好きか嫌いかの違いだけだと思う。日暮しの音楽は、流行とか未来とか意識していたわけじゃないし、横文字を使って洋楽っぽく作ったりしてませんから。ここには〈流行り〉というものが入っていない。だから、いま聴いても自然に思える」
星「僕もこれまでずいぶん長いこと音楽制作を続けてきましたが、若い頃から理想とする音楽の形として常に一番上にあったのが、普遍的なもの。そりゃできないこともありましたけど、それを常にめざしてやってきました。で、清ちゃんが作るものはブレがないですからね。だから〈顔つき〉は違っても根本にあるものは不変。彼は若い頃から考え方が成熟していて、若者なのに心は老人、みたいな。悪く言っているわけじゃないからね(笑)。そういう感覚を備えていたことが影響して、日暮しの音楽は時間経過が関係ないものになっている」
武田「そこを勝さんが理解してくれたうえでアレンジしてくれたことも大いに関係あるでしょうね。とにかくアメリカに行き、古い音楽の発掘作業を続けていたみたいな30年で、日暮しの音楽をまったく聴いてなかった。で、ある日ふと聴きたくなって取り出してみたら、結構いいなぁと思えたんです。ま、長い年月が過ぎたことで、自分が作ったということを忘れてるんですよね。もはや自分のものじゃないんです。そういったタイミングに、あの納得のいかないベスト盤が出たりして、これはやるしかないと思い立って」
――いま達成感はかなりありますか。
武田「そうですね。それにサウンドからジャケットまで何から何までやりたいことをやらせてもらったんで、感謝しております(笑)。これ以上は望めないような出来だと思いますね」
星「もともと良い音をしていたんです。今回は元の良さを活かしつつ、どうせやるんだったらもっと磨き上げようと。だからアナログ・テイストがしっかり感じられるのはあたりまえの話でね。デジタルにするとどうしても音がハッキリした感じになるんですが、その加減をどのへんに設定すべきか。その感覚はなかなか口で説明するのは難しいね」
武田「今回、僕はエンジニアさんに結構注文出したから大変だったと思いますよ。〈このベースはもうちょっと上げてほしい〉とかいろいろね。音マニアでもあるから、僕は。またジャケットにもこだわりがあるから、ここの色味はこうじゃないと、とか。皆さんの協力なくしてここまで良い作品には仕上がらなかった。だいたい僕と関わるとみんな大変になるんです(笑)。あとで後悔するのが嫌なので、追求しはじめると周りが見えなくなっちゃう。そんな性格による迷惑は家族にもだいぶ及んでる(笑)」
星「一応、反省はするの?」
武田「するんだけど、そのときになっちゃうとダメなんだよ(笑)」
星「いいんだよ、それで」
――でも関わった皆さんの愛情の結晶と言えるCDであることはよ~くわかりますね。ぜひフィジカルで所有したいアルバムです。
武田「『ありふれた出来事』のエンジニアは吉野金次さんが務めていて、『記憶の果実』はビクターの梅津達男さんがやってくれたんだけど、サウンドの感触が全然違っていていいですよね。『ありふれた出来事』は情緒的で繊細な感じがする。『記憶の果実』はポップで広がりがあって透明感に溢れている。ただ、昔から日暮しの音楽づくりでは、透明感を絶えず意識してましたけどね。僕が生まれた岩手は空が高くて、光の射し方がぜんぜん違うんです。そういう記憶がつねに頭のなかにあって、都会で暮らしていてもどこかで意識している」
――駅からお店までの道すがら、一橋大学通りのキレイに色付いたイチョウ並木を眺めつつアルバムを聴いていたんですが、すごく気持ちが良くて。日暮しの音楽って国立の街にすごく合っていますよね。なんていうか、歌の世界が色鮮やかに広がっていくような感覚が得られたんです。だからこのアルバムを携帯プレイヤーで聴きながら〈Sings〉に向かうというのは、かなりバッチリな楽しみ方なんじゃないかと。ぜひ試していただきたいですね。最後の質問なんですが、『ありふれた出来事』の帯には〈いにしえ〉という文字がデカデカと書かれていたように思ったんですが、今回デザインが異なりますね。
武田「あぁ、あれはね、“いにしえ”がヒットしたあとに出たセカンド・プレス。だから、あれを持っている人はマニアじゃないんですよ(笑)。これがオリジナル。ときどきお店にこのファースト・プレスを持ってくるお客さんがいますけど、〈おお、これ持ってるかぁ〉と嬉しくなって、思わずサインする手にも力が入るという(笑)」
――きっとこれから、このファースト・プレスを持ったお客さんが大勢押し寄せるんじゃないでしょうか(笑)。今日はありがとうございました。


