GotchことASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文によるソロ2作目『Good New Times』は、プロデューサー/エンジニアに元デス・キャブ・フォー・キューティのクリス・ウォラを迎え、パーソナルで宅録的だった2014年の前作『Can’t Be Forever Young』に伴うツアーを一緒に回ったバンド・メンバーたち――井上陽介(ギター:Turntable Films/Subtle Control)、佐藤亮(ギター)、戸川琢磨(ベース:TYN5G)、下村亮介(キーボード:the chef cooks me)、YeYe(コーラス)、mabanua(ドラムス)とレコーディングを敢行。さらに英語詞の楽曲にもトライするなど、オープンで挑戦的な一枚となった。
たくさんのメッセージを内包している『Good New Times』は、既存のロック・シーンでは置き場に困るほど、サウンド面でも自由を謳歌しているアルバムだ。そして、収録曲に込められたポジティヴなフィーリングは、かけがえのないバンドの仲間たちと出会えた喜びと共に、確固たる同時代性と未来への問題意識も内包している。そんな本作の制作意図に迫るべく、今回は田中宗一郎によるロング・インタヴューを前後編に分けてお届けしたい。こちらはその前編。
★後編はこちら
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ある種の絶望みたいな地平に、何かをビルドしているイメージ
――まずは『Good New Times』というタイトルの話から行きましょうか。後藤くんが〈The Future Times〉を通じて行っている活動にもシンクロする部分と、それとは違うアングルの両方があると思うんですけど。今回の作品――Gotchのセカンド・アルバムというべきか、Gotchバンドのファースト・アルバムというべきか――に、『Good New Times』と冠した理由を教えてください。
「うーん……いま生きていて、自分のバンド・メンバーたちと掴まえている空気や、将来に向かって歩んでいきたいポジティヴなイメージに対して、どうにかして名前を付けなくちゃいけなかったんですよ。それで、無理やりではないんですけど、パッと思い浮かんだのが、この〈Good New Times〉という言葉だったんですね。〈良い〉と〈新しい〉と〈タイムス〉という言葉で自分の周りの空気も一緒に掴まえるような。だから、詩的な掴まえ方なので、説明するのもすごく難しいんですけど」
――実際にいま、後藤くんの周りにある〈Good〉なヴァイヴス/フィーリングというのは、半径どのくらいの距離感に存在しているという実感がありますか? まあ、一つには限定できないと思うけど。
「いや、むしろ〈半径何メートル〉的な囲い方では掴まえられないように感じていて。というのは、例えば、音の伝わり方ってそうではないから」
――なるほど。
「だから、そのポジティヴなフィーリングに関しては、線引きがすごく難しいですね。〈自分にとって一番何か遠い物事と、身近にある物事の境界線って、果たしてあるの?〉みたいな(笑)。どうにも掴まえられないグラデーションの中にある、っていうふうに言ったほうが現実味がある気がしてるっていうか。ただ、その境目があるんだとしたら、なるべく遠いほうがいいんじゃないかと思います」
――パースペクティヴが広いってこと? なだらかに遠くまで続いているような。
「そうそう。ただ、できれば、ってことですよ。何かポジティヴな気持ちを抱いたとして、それを放ったときに、どこまでもユニヴァーサルに広がってくれればいいんだけど、〈そうはいかないぜ〉ってところで打ちひしがれるわけです」
――なるほど(苦笑)。
「で、その半径がどれくらいかと言うのは、想像がつかないです」
――おそらく2016年にこの国で暮らしていると、決して〈Good〉なフィーリングではないもののほうが比率としては大きいんじゃないか。むしろ不安を駆り立てるような物事のほうが多いんじゃないか。そういう視点が一般的だと思うんですね。それを踏まえて、後藤くんが言うところの〈Good〉なフィーリングとはどういうものなのか、何かサンプルとして挙げることはできますか?
「ああ、なるほど。難しいなぁ」
――まず一つには、いまのGotchバンド周辺にあるコミュニティーが持っている〈Good〉なフィーリングがあると思うんですけど。
「それは本当にそうですよね。ただ、〈自分がいま置かれているバンドの空気がいいから、そのポジティヴな気持ちを表現しよう〉みたいな話じゃなくて。そもそも僕は、もうすべてが更地みたいな、〈Bad〉なフィーリングを前提として始めているから」
――はい(笑)。
「だから、質問の答えとなるかはわからないけど……作品作りそのものを含めて、すでにもう〈Good〉なものでしかないというか。ある種の絶望みたいな地平に何かをビルドしているようなイメージ。だから、何もかも、としか言いようがない(笑)」
――了解です(笑)。
「もちろん、作品にまつわることですけど。でも、歌われていることがそうじゃなかったとしても、何か自分がこの世に出力したいと思うことはすべてポジティヴだと思っている」
誰かと関わることで新しいドアが開いていく、バンドって楽しいなと
――じゃあ、サウンドの話です。ファースト・アルバムは、バンドを組むことを想定しないまま、後藤くんが一人でスタジオに入ったところから出発したレコードだった。プラス、その環境が故に、アコギだったり、リズムだったりのループをベースにしたサウンドが基盤になってる作品だった、という理解があります。で、そうしたリニアなループに生楽器で何かしら揺らぎ、グルーヴをつけていく、という発想のアルバムだったと思うんですけど。
「そうですね」
――そういう文脈からすると、今回のアルバムは、前作からの継続性があると考えるべきなのか、それとも真逆なのだと考えるべきなのか。
「難しいですね、その質問(笑)。確かに、ループにどう揺らぎを与えていくか、ヒューマニティーを与えていくかというのがファーストのテーマであったのは田中さんの言う通りで。それをツアーでバンドという身体/肉体に落としていったら、それそのものが答えみたいになってしまったというか。何よりも大きなメディアというか、フィルターが人間であり、バンドであることを思い直す体験になった。だから、ファーストもすごく好きなんですけど、その後にリリースされたライヴ盤(2014年作『Live in Tokyo』)がすごく気に入ってるんです。あれを作ったのはものすごくヒントになった」
――なるほど。ファースト・アルバムがあって、ツアー、そして、その帰着点としてのライヴ盤があって、そのロジカルな発展として、今回のアルバムがある?
「それが一番大きいですね。ループ的なフレーズは好きなんですけど、それは楽曲の構造として、じわじわとミニマルな変化を楽しむためというか。それにまつわるいろいろなテクスチャーを楽しむためにも、幹になるシンプルなテーマがひとつあって、あまり展開しないでほしい――そういうところはファーストと似てるんだけど、陳腐な言葉で言えば……バンドって楽しいなと(笑)」
――ハハハ(笑)。いや、そうですよ。
「さっき田中さんが言ってくれたように、バンドという小さな社会のなかで起こるマジックのほうが少しの入力で大きな出力を得られるというか。バンドのような複雑な回路に入れたほうが、思ってもいないような変化を味わえる。そのおもしろさはやっぱり、バンドというフォーマットがずっと愛されている理由の一つなんだなと」
――乱暴な言葉で言うと、意図してはいなかったケミストリーがある。
「そういうことですよね。その他力が及ぼす力というのが、自分では思ってもみない場所に着地する。ともすると、箱庭的なものが美しいとされがちだけど、僕としては自分の箱庭を美しいと思ったことがないんですね。それよりも、誰かからの影響によって常々新しいところに着地していきたい。だから、改めて人と関わることって楽しいんだなと思いましたね。いろいろな文脈や技術によって新しいドアが開いて、構造も複雑になっていく。スパッと割れないところがまたいい」
――ライヴ盤には、今作にもスタジオ・ヴァージョンが収録されることになった“Baby, Don't Cry”が当時の最新曲という形で演奏されていた。あの楽曲はソングライティング的にもプロダクション的にも、広義の意味でのアメリカーナだった。アーシーでトラディショナル。なので、もしかすると、セカンド・アルバムではそういった音楽的な方向性に向かっていくのかなと思いきや、そうはならなかった。
「はい(笑)」
――曲によってはアメリカーナな部分もありつつ、ソングライティングにはすごく幅があるし、むしろソングライティングよりもプロダクションに重きを置いた作品に仕上がった。で、そのプロダクションの方向性がアルバムとしての統一感を作っているレコードになった。そういう発見と驚きがあったんですけど。その見方についてはどうですか。
「いやあ、まさに。作っている段階でとにかく散らかっていくことが多かったんですよ。1曲作ると、どうしたって、その曲から遠ざかりたいと思ってしまうんですよね(笑)。ソングライター的には」
――ただ当初は、ソングライティング的にはどういうレコードを作ろうというアイデアがあったんですか?
「大元を辿れば、最初は井上(陽介)くんとギターを練習しながら2人で始めたことがきっかけで。実際、さっき田中さんが言ってたように、70年代のアメリカが下敷きにあって、それこそザ・バンド、ボブ・ディラン&ザ・バンドみたいなイメージでいくのかなと自分たちとしても思ってたんですけど。やっぱり曲作りをしていると、いろいろなことをやりたくなっちゃって(笑)」
――ああ(笑)。
「それに途中で気付いているので、どうにかしてプロダクションでまとめないと、また訳のわからないものになるな、と(笑)。どこかに統一された質感がないと、アルバムのコンセプトが見えてこないという予感があった。だから、本当にプロダクションですね。〈ノイズやアンビエントでまとめていけば、たぶん大丈夫だな〉と。それで、途中からはノイズというか、音譜に変換できないフレーズをどう組み立てていくのがいいのか、そういうことを考えるようになっていったんですね。クリス(・ウォラ)も坂本(龍一)さんやブライアン・イーノに傾倒していたから、タイミング的にもちょうど良かった」
――じゃあ、プリプロの段階でなんとなく考えていた〈ノイズやアンビエントでまとめていく〉というプロダクションの方向性が、クリスと一緒にスタジオに入ることで加速していった?
「そうですね。現場でもノイズ・ワークに関しては、レコーディング無制限みたいな感じになっちゃって(笑)。リズム録りとかはやっぱり彼のディレクションによるジャッジがあるんですよ。ただ、それがノイズのレコーディングになると、すべてのスイッチがオフになって、〈いくらでもやっていい!〉みたいな感じになっていって(笑)」
――そこはやりたい放題になっていったんだ?
「クリスもそれを楽しんでいるから、僕たちのなかにある制限も外されていったんですね。奔放にノイズを重ねていって、そのために使ったことのないような変わったシンセサイザーを持ってきたりとか。そうやっていくうちに統一感も出てくるんですけど、ほとんどカットアウトできないパートもあったりして。だから、最近のミュージシャンはほとんどやらない手法だと思うけど、曲間のノイズをクロスフェードにして繋げちゃったりとか。レコードで聴いてくれればいいや、みたいな(笑)」
――ハハハ(笑)。
「酷いんですけど(笑)。だから、曲たちのそれぞれの繋がりもノイズがもたらしてくれるんだ、というのは、ホント録りながらわかった感じなんですよね。クリスのミックスもとにかく切らないというか。普通だったらバスッとアウトロを抜いたりするんですけど、曲が終わってもノイズが鳴っている、みたいな作りだったから。そのあたりをアルバムとして、曲と曲との間が上手く溶け合うように曲を並べていったんです。自分でもこういうアンビエントの要素が強いタッチで、ここまで振り切った作品になるとは思っていなかったので、おもしろかったですけどね」