(左から)三輪二郎、Gotch

三輪二郎とGotchのツーマン・ライヴが6月26日(水)に横浜中華街の同發新館で開催される。新作『しあわせの港』をリリースしたばかりであるシンガー・ソングライターの三輪と、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのフロントマンとしても活躍するGotchこと後藤正文。Gotchはかねてから三輪の歌や楽曲を絶賛していたとはいえ、2人は活動する場所も音楽性もまるで違う。そんな三輪とGotchを結びつけたのは、今回の開催地である横浜という街だった。同世代の2人がツーマンに向けて胸襟を開いて語り合う。


 

“ダブル・ファンタジー”、めっちゃくちゃ好きです(Gotch)

――Gotchさんが三輪さんの音楽を知ったきっかけは?

Gotch「はっきりとは思い出せないんですけど、bounceか何かで見つけて、『レモンサワー』(2010年)のCDを買って聴いたんです」

――どうして三輪さんのCDを買おうと思ったんでしょう?

Gotch「横浜の人だっていうのは結構大きかったかもしれないですね。ジャケット写真を(横浜の)野毛のあたりで撮ってますよね? それで気になって聴いたんですけど、知り合いの宮下(広輔)くんっていうペダル・スティール・ギターのプレイヤーが〈三輪さんの大ファンだ〉って言ってて」

※『レモンサワー』のジャケット写真は前野健太が撮影

三輪二郎「俺も宮下くんからその話を聞きました。その後、『III』(2014年)を出したときにGotchさんが感想をくれたんですよ」

――レコメンド記事も書いていらっしゃいました。

三輪「そのときは〈なんでアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の人が俺の音楽を聴いてるの?〉みたいな感じで(笑)。ちょうどGotchさんも『Can't Be Forever Young』を出した時期で、〈俺も感想を書かなきゃ〉って思って、書いたものをGotchさんに送ったんだよね(笑)。

アルバムを聴いたら、〈あれ、こんなに無常感漂う感じの人だったっけ?〉みたいな、すごいモダンなフォーク・ロックで。それで、ひどく打ちのめされて。その後、寺尾紗穂(主催)の〈りんりんふぇす〉で初めて会いましたね」

※2014年12月7日に東京・青山の梅窓院祖師堂で開催された〈THE BIG ISSUE support live vol.5 りんりんふぇす with your neighbors〉。Gotchや三輪らが出演した

Gotch「ライヴ、むっちゃよかったです」

――Gotchさんは『III』に収録されている大森靖子さんとのデュエット・ソング“ダブル・ファンタジー”を絶賛していましたね。

Gotch「めっちゃくちゃ好きですね。すごくいい曲だなって。えらい歌詞がいいって褒めたら、〈書いたのは俺じゃないんだよね〉っていう話を教えてくれて(笑)」 

三輪二郎の2014年作『III』収録曲“ダブル・ファンタジー”

三輪「あれは当時お付き合いしてた、ほりぼう(ゴキブリコンビナート)が詩を書いてて、ノートの切れ端にあった詩に俺が勝手に曲や2番の歌詞を付けて歌ってたんです。そしたら、ブチギレられて。〈気に入ってるから録音したいんだ〉って言ったら、〈大森靖子が歌うんだったらいいよ〉って。それで靖子ちゃんに〈すいません、歌ってください〉ってお願いして(笑)。

Gotchさんはしっとり、マイペースに弾き語りをしてたのを覚えてます。失礼ですけど、すごい安そうなアコギを使って」

Gotch「安いですよ、あれ。震災のときに買ったものですね。原発が爆発したから静岡の実家に帰ってたんですけど、曲を作んなきゃダメだなって思って。でも、近所に楽器屋がなくて、ハードオフがあったからそこで買ったんです。

もちろん他のギターもあるけど、なんとなくしっくりくるっていうか。たまたま鳴りも悪くなかったですし。それを持って被災地にも行ってましたね」

 

三輪さんの歌詞には〈街の言葉〉の感じや臨場感があるからすごいなって(Gotch)

――三輪さんの新作『しあわせの港』をGotchさんがどう聴いたのかを教えてください。“おもいで”に象徴されるような、ノスタルジーが一つのテーマとしてあると思うのですが。

Gotch「名曲ですね、“おもいで”。アルバムを聴いて、ノスタルジーっていうか、センチメンタルな気持ちにはなりました。懐かしい感じがすごいするっていうか。節回しにも、ちょっと昭和っぽい感じがあるし」

三輪二郎の2019年作『しあわせの港』収録曲“おもいで”

――実は、お2人は76年生まれの同い年なんですよね。

三輪「でも、Gotchとは日本語の乗せ方の基盤が全然違うと思う。それがまたおもしろいなあって」

――どう違うんですか?

三輪「いやあ、俺より全然モダンでしょ(笑)。俺にはサザン(オールスターズ)とかミスチル(Mr.Children)とか(からの影響)がないんだよね」

Gotch「うん。わかりますよ。ブルースな感じがします」

三輪「〈日本語でそのままブルースやっちゃった〉みたいな音楽って大っ嫌いなんですけどね。でも、結局そうなっちゃう。日本語の乗せ方にはその時代その時代の遍歴があるんだけど、Gotchさんはその点、ちゃんとしてる(笑)」

Gotch「いやいや。三輪さんの歌詞には〈街の言葉〉の感じとか、作ってすぐ歌ったかのような臨場感とかがあるからすごいなって思いますね。そういうのは、自分はあんまり得意じゃないからうらやましいんです。俺の歌詞には机の上で書いてる感がすごいあって(笑)。

あと今回は、やっぱギターがいいですよね。ロックだし、ブルースだし、エレキギターがかっこいいなって。横浜ってもともとブルースマンがたくさんいるから、そういうのがよくわかるアルバムだなって思いました。横浜っぽいなあって」

三輪「なるべくそういう文化と接しないようにしてきてるんですけどね(笑)。閉鎖的で、横にも繋がってないし……。Gotchさんは学生のとき横浜にいたんですよね?」

Gotch「そうなんですよ。金沢八景にいて」

――アジカンは横浜で生まれたバンドなんですよね。

Gotch「そうそう。いちばん出たのは関内のCLUB24かな。個人的に初めてライヴをしたのは、石川町のドン・キホーテが建つ前にあったシェルガーデンかな。平日の夜のブッキングで出たら、チケットノルマがあるのにお客さんが全然いなくてびっくりしました(笑)。それで、横浜でやるときは自分たちでイヴェントを組むようにしましたね」

三輪「当時、シーンってあったんですか?」

Gotch「俺らの頃はもうね、Hi-STANDARDが出てきた後で、横浜っていったらメロコアで。だからやる場所がなくて、東京に出るしかないなって思って(下北沢)SHELTERのオーディションを受けたんです」

三輪「横浜の人たちって東京に行っちゃうんだよね。じゃあ、横浜では孤立してたんですか?」

Gotch「してましたね。ハードコアのバンドとブッキングされて笑われるみたいな(笑)」

三輪「でも、俺も孤立してたかもしれないですね。ブルースっぽいギターで日本語の曲を作ってるんだけど、横浜のブルース畑には行きたくなくて……。

だから、東京のサニーデイ・サービスとかフリーボとか、ゆらゆら帝国とかが出てきたときはなんかすごくね、ショックだったんですよね」

――90年代後半ですね。

Gotch「俺もサニーデイ・サービスはすごく好きでしたね。その頃は、イギリスのロックに夢中でした。そう言えば、金沢文庫にもブルース・バーがあって、10代の頃の先輩たちはブルースマンばっかりだったんです」

三輪「意外とそうだったんですね。俺は横浜のブルース文化への拒否感がすごくて……」

Gotch「学祭に先輩のブルース・バンドが出たりとかね。そういう文化に触れてるんですけど、当時はあんまりわかんなかったんです。でも年を取ってきて、いろいろな音楽を聴いてくうちに、なるほどなって思いましたね」