昨年夏にデビュー作『Dancing With Bad Grammar: The Director's Cut』をリリースしたLA・サラーミが、去る4月に初来日を果たした。キティ・デイジー&ルイスやダブ・ピストルズと同じレーベル、サンデー・ベストに所属する彼は、ナイジェリアにルーツを持つロンドン生まれ。当初は弾き語りのフォーク・スタイルをとっていたが、アルバムに向けてバック・バンドをつけ、よりロックっぽいサウンドに変化していった。
サラーミ自身に、ギター/ベース/ドラムスの3人を加えた編成で行なわれた来日公演も、バシバシとブッ叩くタイプのドラマーを軸にロック的な力強さが前に出ており、社会的なメッセージを持った歌詞を繊細に歌うサラーミの基本スタイルを文字通りアンプリファイしてみせていた。ちょっと、ボブ・ディランがザ・バンドを従えてエレクトリック化していった時期はこんな感じだったのだろうかと思ってしまったりもする。そしてそれは、単に黒人の若者が今の時代にフォーク・ロックをやっているというレベルにとどまらず、さらなる広がりと新鮮さを感じさせる不思議な魅力を放っていた。
〈ポスト・モダン・ブルース〉という看板を標榜するサラーミは、以下のインタヴューでも語っている通り、いわゆるUKロックやヒップホップを出発点にしながら、同時に古いブルーズを吸収していき、自身の音楽的なアイデンティティーを確立していった。さらに自らのルーツであるアフリカン・ミュージックなどにも意識的なようで、現時点でアルバムの形になっているものは、まだまだ彼の音楽のほんの一端でしかない様子をうかがわせる。
生まれ育った国は違えど、もうすぐ2作目が届くベンジャミン・ブッカーにも近いものを感じるのだが、現代の若き黒人ミュージシャンたちは、当然のように同時代の様々なポピュラー・ミュージックにも触れつつ、そこからルーツを意識した自らの音楽を模索している。そういった過程を経ているからこそ、彼らの鳴らす音はトラディショナルな要素を引用しながらも瑞々しさに溢れ、それぞれに個性を輝かせているのだろう。同じくアフリカにルーツを持つUKアクトのヤング・ファーザーズや、少し先駆けて世に出たブルックリンのTVオン・ザ・レディオなどにも共通点を見出せるかもしれない。それからもうひとつ、写真を見ていただければお分かりの通り、LA・サラーミは非常にお洒落で、ファッションというものを自身の表現の一端としてしっかり意識しているのは明白だ。バーバリーのCEOクリストファー・ベイリーが認めたというそのセンスも、音楽同様に受け手を魅了してくれる。
雪玉が大きくなっていくように活動が発展していった
――あなたはこれまでに、どんな音楽を聴いて育ってきたのですか?
「周囲のみんなと一緒に、リバティーンズとか(笑)普通に聴いていた世代なんだ。あとはキングス・オブ・レオンの最初の3枚とか……“Sex On Fire”を出す前のね。それからブリットポップや、ポスト・パンク/ニューウェイヴといった、まさにUKって感じの音楽。で、それからだんだんブルースやヒップホップを聴くようになったんだよ」
――ブルースやヒップホップは、どうやって聴くようになったのでしょう?
「ヒップホップはラジオで流れていたのを聴いて、だね。ラジオでは、とにかくヒップホップを聴いていたよ。そしてブルースは、自分でも気づかないうちに好きになっていたんだ。親も聴いていたし、大地の力(パワー・オブ・アース)を持った音楽だから時代を問わない魅力があるし」
――具体的には、どんなアーティストの作品を聴いていたのでしょうか?
「ア・トライブ・コールド・クエスト、モーチーバ、ファーサイドとかかな。具体的なレコード名は、ちょっと挙げにくいね。主にラジオで聴いていたからさ。ブーンバップ・サウンドが好きなんだ。J・ディラとか、90年代のそういった人たちがやってた音楽を、僕は〈ビューティフル・ヒップホップ〉と呼んでいて、今でも聴いているよ。今ではインディー・ヒップホップに受け継がれてるような感じだね。ジョーイ・バッドアスとかがやってるサウンドはビューティフルだ。ギャングスタやトラップも聴くよ」
――ブルースについては?
「スリーピー・ジョン・エステスが大好きなんだ。年寄りで、目が見えなくてサングラスをかけている人なんだけど、YouTubeにあがっている映像の中には、ほとんど歌えてないし弾くこともできてないようなものもあって、それでもその様子が本当にピュアで素晴らしいんだよね。他には、ロバート・ジョンソン、ブラインド・ウィリー・マクテル、ライトニン・ホプキンス、ミシシッピ・フレッド・マクダウェルとか。ブルースは、ぜんぶ同じ構造なのがいいところなんだ。次のレベルまで持っていけてるような人もいなくはないけれど、だいたい聴いたらすぐわかる、お決まりな感じがね」
――あなた自身がギターを手にしたのは20歳の頃だったそうですが、それまでは自分で音楽をやろうと思っていなかったのですか?
「アンダーグラウンドな映画産業で働いていて、当時は音楽に関しては何もやってなかったんだ。頭の中でファンタジーとして、ロマンティックな曲を書いたりしてたくらいで(笑)。ただ、もともと詩はずっと書いていたよ。それで、遅まきながら音楽を趣味としてはじめてみたら、意外と得意だったというか、できちゃってね。それでパフォーマンスをするようになって、そこから雪玉がどんどん大きくなっていくような感じで発展してきたってわけ」
――以前に書いていた詩は、現在の作品にどれくらい反映していますか?
「あんまり自分の中ではよくわかってないんだよね。詩を書くことと歌詞を書くことはまったく違うプロセスで、頭の中では分けている。やっぱり詩というものは、それを通して人生を表現しようと物凄く考えるけど、歌詞は音楽とともに自然と発展していく感じ。だから、昔の自作詩に曲をつけようとしたこともないな。でも、歌詞を先に書いてから曲を作ることは普通にある。そのときのムードで、曲が先だったり詩が先だったりするんだ」
――参考までに、アルバムの中で、歌詞が先に書かれた曲はどれか教えてください。
「“Going Mad As The Street Bins”に“I Wear This Because Life Is War”、あと“The City Nowadays”や“Aristotle Ponders The Sound”、“My Thoughts, They Too Will Tire”が詞先だね。あとは全部、曲が先だ」
――以前に出していたEPではフォーク・スタイルの曲が多くて、アルバムから次第にバンド・サウンドが増えてきていますが、このアレンジはどんなふうに出来上がっていくのでしょう?
「もちろんバンドに、こうやってほしいと細かく指示しながらプレイすることもあるけど、普段はメンバーに軽く方向性を伝えておいて3~4回ほど合わせてみる。そうすると、そこからは即興でも、どこでドロップがくるか、どこで静かになるか、どこでラウドになるかを、みんなキャプチャーしてくれるから、そこで出てきたものを採用するんだ。バンドのメンバーはちゃんと自分自身を表現してくれているよ」
――バックのメンバーとはどんなふうに知り合ったのですか?
「本当はアルバムに参加してるメンバーと一緒に日本に来たかったけど、ダメだったんだ。みんな他のバンドと掛け持ちで忙しくてね。彼らとはここ3~4年で知り合って、一緒にやるようになって2年くらいかな。ハウス・パーティーとかライヴで知り合ったんだよ。メンバーのひとりはバーで働いていて、自分は思い出せないんだけど、そこで僕がプレイして、あまりに客がいなくて落ち込んでいたっていうんだ(笑)。それで、そいつが〈このパーティーに行くといいよ〉ってオススメしてくれたらしくて、そこで今のメンバーたちと出会った。で、一度ライヴをやってみたらすごく上手くいって、それから一緒にやるようになったってわけ。友達とやるのが気持ち的にも、いちばん楽しいしね」
何か美しいことを自分自身のスタイルでやる
――今後は、弾き語り風のフォークから、どんどんバンド・スタイルになっていくんでしょうか?
「曲を書く段階から、頭の中ではずっとバンド・サウンドを思い描いてはいたんだよ。だけど最初はバンドがいなかったから、フォーク・スタイルからスタートしたんだ。でも今はバンドがいてくれるおかげで、それを実現できるようになった。アルバムに収録された曲のなかでも、“Day To Day (For 6 Days A Week)”と“Def(a)ormation Days”、そして“Aristotle Ponders The Sound”は、『The Prelude』というEPに入っていたナンバーで、バンド・サウンドを足したものが“I Wear This Because Life Is War!”や”The City Nowadays”、その他のトラックだね。今後はバンド・サウンドもソロのサウンドも、もっと融合しながら発展していくと思う」
――自らの音楽を〈ポスト・モダン・ブルース〉と形容していますが、この言葉の意味するところは?
「魂から表現しているというところにおいて、僕の音楽はブルースだ。そして、ポスト・モダンっていうのは何かと言えば、パンクやヒップホップといった、かつてブルースが生まれた時代にはなかったけれど、僕自分が深く触れてきた音楽も加えられているということだね」
――そこには、あなたの出自がナイジェリアにあることも関係してきたりしますか?
「うん、まだ実現できていないけど、アイデアとしては持っているよ。フェラ・クティとか、アパラ・ミュージックを今後は自分の音楽の中にも取り入れていきたいとは考えている」
――コンピューターとかを積極的に使って、ヒップホップ的なスタイルを試してみようと思ったりはしない?
「未発表なんだけど、もう別プロジェクトとして進めているよ。T.U.S.K (The Unscene Supper Klub)っていう名前でね。音源も出来てはいるんだけど、ちょっとまだ聴かせるのは時期尚早かな(笑)。今のところ、フォーカスしたいから(名義を)分けてはいるけど、将来的には、自分自身のひとつの表現として混ぜていってみたいという気持ちはある。みんなに披露できる日が来るのが楽しみだよ」
――ちなみに、ロンドンのミュージック・シーンで、仲間だと思うような人はいるのでしょうか?
「音楽的なスタイルとしては、ありがたいことに僕のような音楽をやってる人は今のところ自分しかいないね(笑)。精神的に共感できるアーティストは、アンドリュー・バトラーとか、フランコ・ベッロ、モヒットといった人たち……理由は、友達だから(笑)。そうじゃない人では、マリカ・ハックマンが好きだな」
――シーンの中で孤立感を感じたりすることはありますか?
「それはずっと思ってるよ(笑)! でも気にせずに、自分がやりたいことをやってるんだ」
――じゃあ最後に、『Dancing With Bad Grammar』というアルバム・タイトルの意味は?
「これはつまり、何か美しいことを自分自身のスタイルでやる、っていう意味さ」