93年に結成され、オアシスらとともにブリットポップ・シーンの一翼を担ったスーパーグラス。2010年にバンドは解散、そのフロントマンであったギャズ・クームスは、ソロ・アーティストとしてのキャリアを歩み始めた。パワフルでポップなパンク・ロックから次第に音楽性を深めていったバンド時代同様、ソロにおいても多彩な音楽的ヴォキャブラリーを活かし、非凡な才能を発揮。この度リリースされたソロ三作目となる『World's Strongest Man』も、ギャズらしい一筋縄では行かないサウンドが聴ける充実作となっている。そんな本作のサウンドや歌詞を、スーパーグラスを初期から知る萩原麻理が紐解いた。 *Mikiki編集部
若くて勢いのあるブリットポップから大人のロックへ――スーパーグラスが辿った道のり
僕らは若くて好き放題、歯もピカピカで綺麗
友達と遊んで、眺めを楽しんで
気分はオールライト
“Alright”
パーロフォンからリリースされたデビュー・アルバムとして、ビートルズ以来最高のセールスとなった『I Should Coco』(95年)でそう歌ったのが、当時18歳のギャズ・クームスだった。彼がフロントマンを務めたスーパーグラスは90年代のブリットポップにおいても、それが〈ユース・ムーヴメント〉であることを象徴するような存在。いちばん元気で楽観的で、即効性のあるパンキッシュなヒット曲を放っては、女の子やマリファナについて歌っていたのが彼らだったのだ。
他のメンバーよりさらに若く、もみあげが〈猿っぽい〉とされていたギャズに実際会うと、歌詞の通り肌も歯もツヤツヤでピカピカ。〈生きもの〉として強く美しく、ロック・バンドのフロントマンになるために生まれてきたような男の子だった。ただその後の四半世紀に及ぶ長いキャリアを見ると、ギャズはたぶんそれだけじゃなく、本当に音楽を愛し、かつ音楽に愛された人なんじゃないかと思う。
スーパーグラス自体、その17年間の活動期間を通して、キャッチーなフックを書けるバンドから、世界のさまざまな音楽を吸収して成長していった。グラム・ロックやオーケストラル・ロック、ブルーズ。若くて勢いのあるポップ・バンドから、洗練された大人のロック・バンドへ。アルバムごとに趣を変えたスーパーグラスだが、個人的によく聴いたのは5枚目の激渋アルバム『Road To Rouen』(2005年)だ。ブリティッシュ・フォークを取り込み、サイケデリアと骨太なグルーヴを持ちながら、どこか内省的なムードも漂っていたのは、ギャズ(と、2002年から正式メンバーとなった兄のロブ・クームス)の母が亡くなったことに影響されていたのだろう。
そして2007年、7枚目の『Release The Drones』の完成を目前にスーパーグラスは解散を表明。ちなみにこの未発表作『Release The Drones』はいまだにファンからリリースを期待されるレコード。とはいえその制作が解散のきっかけとなり、ギャズ自身「あれを作りたくなかったから、バンドをやめようって言った」とまで発言している。今後スーパーグラスが再結成されることでもなければ、日の目は見なさそうだ。
品格ある、大人のカッコよさ――ギャズ・クームスのソロ・キャリア
ところで、ギャズ・クームスという人を表すときに、イギリスではよく〈class(クラス)〉という言葉が使われる。品格のある、大人のカッコよさ。〈さすが〉というリスペクトがこもった表現だ。スーパーグラス時代から〈ミュージシャンズ・ミュージシャン〉とも言われ、そのニュアンスは彼がソロ・アーティストとなってからより強くなった気がする。ブリットポップ時代から振り返ると、音楽的な冒険を続け、いまも〈relevant=時代に相応する〉アーティストでいるのはギャズとスーパー・ファーリー・アニマルズのグリフ・リース、アッシュのティム・ホイーラーくらいじゃないだろうか。例えばギャラガー兄弟のような露出がないぶん、彼らには過去のイメージのカリカチュアではなく、変化し、成熟するプロセスが許されたような気がする。
ソロになったギャズの場合、ギター・バンドの枠から解放され、サウンドはさらに実験的になり、彼の個人的なモチーフが親密な曲となっていった。ヴィンテージのキーボードやシンセを含むほぼすべての楽器を自分で演奏し、録音は基本的にホーム・レコーディング。そのスタイルはソロ第一作の『Here Comes The Bomb』(2012年)でも第二作『Matador』(2015年)でも、今回リリースされた『World's Strongest Man』でも変わらない。
前作『Matador』は多彩なソングライティングが評価され、『I Should Coco』以来のマーキュリー賞候補にもなった。今作でも色濃いクラウトロックからの影響は『Matador』で始まった。その収録曲“The Girl Who Fell To Earth”では、キラキラしたスペーシーな曲調に乗せ、こんな歌詞が優しく歌われる。
地球に落ちてきた女の子
科学にドキドキするんだって
泣いた次の瞬間に笑う
君はまるで二つに割った円のよう
眠れない夜は僕が君の夢を温めるよ
“The Girl Who Fell To Earth”
これは自閉症と診断されたギャズの娘に向けた歌。「地球に落ちてきた男(The Man Who Fell To Earth)」の引用は、人間の奇妙さを愛し、アートに昇華したデヴィッド・ボウイへのオマージュなのかもしれない。ギャズが書く歌詞は最初から個人的な体験や感情がベースになっていたが、ソロになってからはその歌詞は痛みや暗さにも深く踏み込んでいくようになった。
この時代、俺は一体何なのか――新作『World's Strongest Man』の内省
アイデアとサウンドが溢れだすようなアルバム『Matador』と比べ、『World's Strongest Man』はより丁寧で、サウンドに空間がある。曲ごとにスタイルが違うところは同じだが、今回はよりディテールに注意が払われ、サウンドスケープがエレガントなのだ。昨年聴いていたアルバムとしてギャズはフランク・オーシャンの『Blonde』(2016年)を挙げているが、ジャンルは違っても、音の細やかなテクスチャーが内省的な表現に欠かせない、という点で確かに共通している。
おもしろいのは、その内省のあり方だ。この2年間の自分の頭のなかにあったものを描くうち、結果として『World's Strongest Man』のモチーフは〈男性性の見直し〉となった。それはジェンダーをめぐる事象や意識が目まぐるしく更新される社会の動きに同調している。考えてみれば、人種や性においてマイノリティーではない人、例えばオックスフォードに住む中産階級の白人男性にとって、いま〈自分〉について語ることほど難しいこともないのではないか。この時代、俺は一体何なのか――タイトルからして逆説的な『World's Strongest Man』は、その問いに誠実に答えようとするアルバムだ。
曲を半分ほど書いたところで、ギャズが手にしたのがグレイソン・ペリーの著作「The Descent Of Man」だったという。グレイソン・ペリーはイギリスの異性装アーティスト。彼は女装者としての視点からマスキュリニティを解体し、それをより平等な社会へ向けて構築しなおす提案をしている。それは目が覚めるような読書体験だった、とギャズは「NME」でのインタヴューで語っている。「歌詞を書くことで、いまどうすれば人として真っ当であるかを問いかけたかった。同時にそれは、自分の弱さや不適切さを問うことでもあるんだ。男であること、人間であること、父親であること。それがしっくりきた」。そうして書かれたタイトル・トラック“World's Strongest Man”は、矛盾だらけのフレーズでアルバムの幕を開ける。
俺はちょっとヘタってる
でも世界一強い男
火事のときは呼んでくれ
でも熱くなったら呼ぶな
俺は一人になりたいが
自分だけにはなりたくない
俺はいつも揉めてる
よくある話だ
“World's Strongest Man”
威勢のいいギターに乗せた、かぼそいファルセットのヴォーカル。アルバムのあちこちで、歌詞には政治的なコメントも顔を出す。アコギに乗せて〈俺がいるのは分離の時代/自分たちの国に麻痺させられてる〉と歌う“Walk The Walk”。“Deep Pockets”に出てくる〈核ボタンに手をかけた男〉は、まるでトランプのツイートのようだ。“Wounded Egos”では、〈傷ついたエゴ、右翼のサイコ〉というコーラスが子どもたちの合唱とともに繰り返される。
だがそんな政治的描写よりも印象に残るのはやはり、鬱や不安、パニック・アタックといったギャズの個人的な体験だ。レディオヘッドのコリン・グリーンウッドがベースで参加した“Oxygen Mask”は、〈パニックになったら他人より早く酸素マスクを着けろ〉と言う。〈なんとか落ち着いてみせるぜ! ハッピーな顔を見せるぜ!〉とピクシーズのように叫ぶ“Vanishing Act”。ヴォーカルのレイヤーを重ねた穏やかな最終曲“Weird Dreams”では、心のバランスを崩しながらも愛を認識する姿が描かれる。
闇にしがみついてる
俺をまだ起こさないでくれ
まだ夢のなかなんだと思う
きちんと考えられない
何日何夜経ったんだ?
明るいのはわかる
でも疲れてるんだ
君に近づいて肌に触れる
愛がすべて さあ、また始めよう
“Weird Dreams”
どこか宙ぶらりんなムードでアルバムは締めくくられるが、それは簡単な結末やわかりやすいエモーションを差し出そうとしていないから。本当の強さは、弱さを認識したときから始まる。こんなふうなモダンな音で、エクレクティックな形で、〈混乱している男〉を描き出せるギャズにはやっぱり〈クラス〉がある、と思う。男性にいま求められているのは、少なくとももう従来の男らしさではない。それに応えようとする彼の切実かつ繊細な試みは、オーセンティックでいて新しい、〈男性からの〉ロックンロールの方向を暗示しているのではないだろうか。