つかみどころのない、だが穏やかに寄り添う音

 ピアノの前にちょこんと大きな身体を近づけ、ニコニコと微笑みながら軽やかなタッチで鍵盤を操る。アレハンドロ・フラノフがピアノを弾く様子を見ると、まるでラグタイムかスウィング・ジャズでも披露してくれそうな面持ちなのだが、実際に繰り出す響きはなんとも不思議なものだ。メロディアスだがどこかつかみどころがなく、時にはあてずっぽうに鍵盤を叩いているようにも感じる。しかし、どうやっても難解にはならないし、それどころか、じんわりと人間味がにじんでいたりもする。とにかく、ユニークなピアニストであることに間違いない。

 フラノフが日本で認知され始めたのは、フアナ・モリーナの傑作『Segundo』(2000年)に全面協力した頃からだ。アルゼンチン音響派と呼ばれたムーヴメントが我が国でも話題になり、フェルナンド・カブサッキやモノ・フォンタナなどとともに注目を集めた。フラノフのソロ・アルバムも続々と紹介されてきたが、シタールのような民族楽器を駆使したり、トイ・ポップやアンビエントにも通じるエキセントリックなサウンドを生み出すマルチ楽器奏者という印象だろう。だから、彼をピアニストとして認識していない方も多いはずだ。しかし、彼の真髄は、実はこのピアノにあると言っても過言ではない。

ALEJANDRO FRANOV Albricias panai(2018)

 ピアノ・ソロに関していえば、これまでに『Melodia』(2005年)と『Solo Piano』(2014年)の2作を発表しているが、今回発表された『Albricias』では、ますますリリカルに響き、フラノフ・サウンドの骨格が浮き彫りになっているのがわかるだろう。例えば、2009年の傑作『Digitalia』の表題曲をセルフ・カヴァーしているのだが、原曲の猥雑なテクノ風ミニマル・ミュージックが本来持っていたメロディが美しく響く。他の楽曲も、穏やかながら表情豊かで彩りに溢れているのだ。

 〈音の妖精〉とも呼ばれるアレハンドロ・フラノフ。その名に違わない、詩情に満ちたピアノ・ミュージックがここにある。