©Gregory Batardon

ヨーロッパの名だたる振付家を虜にする伊藤郁女の新作

 心の中では思い合っていても、それをなかなか表に出せず、ぎこちない関係のままという父娘は、日本には少なくないのではないだろうか。ダンサーの伊藤郁女(いとう・かおり)と、その父で彫刻家の伊藤博史が共演する「私は言葉を信じないので踊る」に見られるのも、一筋縄ではいかない、複雑な、けれども奥底では強い力で引き合っている父娘の姿だ。

 舞台上には、郁女と博史の二人、あとは椅子と、博史が作ったオブジェだけ。博史に向けた郁女の質問の録音が流れ続ける中、郁女は強い葛藤やエネルギーを感じさせるソロを踊るが、舞台端に座った博史が質問に答えることはない。ひとしきりソロを踊ったあと、郁女はマイクの前で、ダンスを始めた頃のことや幼少期に父から言われたことなどを語り、そのまま、今度は録音ではなく直に、博史への質問を次々と発していく。「どうしてクスクスが好きなの?」「彫刻で何を表現したいの?」「なぜ、ママが来るとスカイプを切っちゃうの?」「ピナ・バウシュって知ってる?」すると博史は、これらに応えるかのように、ゆらゆらと踊り始める……。

 本作では、矢継ぎ早に質問する郁女に対し、博史の口から十分な明確さとヴォリュームを持った言葉が出てくることはないし、開演後しばらくは、手を組んだりユニゾンで動いたりといった〈いかにも〉なデュオは展開しない。だが、舞台中盤になると、彼らは向かい合い、一緒に歌い、あるいは同じ動きをし始める。そして終盤には、組んで踊るチャーミングな場面も。だが、いずれの瞬間においても、二人はちょっと照れくさそうだったり、どことなく張り合っているように見えたりするのが、印象的だ。どれだけ信頼し理解し合ったとしても一人ひとりが孤独であるという芸術家の本質も、そこから浮かび上がってくる。

 父と娘であり、芸術家同士である二人。恐らくは両者の個性ゆえに、郁女の幼少期から、影響も共感も反発も、人一倍強かったであろうこの父娘が、時を経て、舞台という場(実は博史もかつて演劇をやっていたという)で今一度向き合う。いわばそのドキュメンタリーが、この「私は言葉を信じないので踊る」だ。観客の前で展開するのは、ダンサー同士の研ぎ澄まされた踊りでもなければ、俳優同士の息の合った演技でもない。不器用な芸術家親子の心の通い合いを目撃するという、特別な鑑賞体験が、私達を待っている。

 


LIVE INFORMATION

伊藤郁女「私は言葉を信じないので踊る」
出演:伊藤郁女(娘)、伊藤博史(父)

○7月21日(土)・22日(日)15:00開演
会場:彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
○7月27日(金)19:00開演、28日(土)14:30開演
会場:穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
○8月4日(土)19:00開演、5日(日)14:00開演
会場:金沢21世紀美術館 シアター21