弾かれたゴーストノートの追憶
没後2年が経過した松永孝義のアルバムに今あらためて耳を傾けようとする人は、彼の偉大さを他人から言われずとも何かしら理解しているはずなのであって、僕が今更どうこう彼を誉め讃えるのはどうにも気が引ける。そうかと言って当たり障りのない称賛コメントで済ませられる相手では勿論ない。もう覚悟を決めよう。僕の無知や恥、そして自戒を松永ファンの前に晒しながら、知られざる(敢えてこう言い切ろう)松永孝義の魅力を掘り下げたいと思う。
松永孝義 『QUARTER NOTE ~The Main Man Special Band Live 2004-2011~』 Precious Precious/Pヴァイン(2014)
中学1年生の頃から両親のタンゴ・ユニットを通じて松永さんに慣れっ子になっていた僕は、コントラバス(ウッドベース)というものは誰が弾いてもああいう音(搾り出すような弓弾き、大太鼓のようなピチカート)がするものと思い込まされるほどに松永イズムに触れ過ぎていた。若さ故の愚かさで、彼というミュージシャンの有り難みを大して感ずることなく僕は成人してしまった。
勿論それでも松永さんが、何かしら特別な人間であることを感じているつもりではいた。日本のタンゴのゴッドマザー藤沢嵐子さんのリサイタルで彼が弾いたピアソラ作曲“キーチョ”での美しくも壮絶なコントラバス・ソロには、臨席していた本場アルゼンチンの著名なタンゴ・マスターたちも舌を巻き、1カ月後には松永さんに新曲を献呈するほどだったのだから。
しかし、である。松永孝義の、世界的に見ても唯一無二の音色に、むしろ僕は麻痺してしまっていたのだ。いや、生意気にも松永さんの個性の裏にある弱点(特徴があれば弱みが生ずるのは当然なのに)に批判的ですらあったと言える。道ひと筋で、作為を全く感じさせない、それでいて濃厚な〈個〉を発露している松永さん……という重大な事実に気付きもせず、僕はおこがましくも、彼の〈自然体なプレイ〉に対してこそ業を煮やしたのだ。言ってみれば〈能ある鷹は爪を隠す〉、あるいは〈大巧は拙なるがごとし〉(本当に巧い人は、凡人にはむしろ下手に見えることがある、の意)とでも言うべき松永イズムにまんまと騙されていたわけだ。今これを書きながら深く恥じ入っている。
〈松永さんが巧いのはわかってるよ! 違う才能を持った人と出会いたいよ!〉という誤った判断は、しかし決して無駄ではなかったのかもしれない。日本のタンゴのレベルアップを図ろうと孤軍奮闘する中、普通のレベルのベーシストに満足を得られず四苦八苦したお陰で、やっと松永孝義の真の偉大さを分からせてもらえたのだから。
実のところ、彼の偉大さに麻痺してしまっていたのは恐らく当時の大人たちも同様だった。今でこそアストル・ピアソラのお陰でずっとオープンになったとはいえ、ひと握りのマニアが牛耳るしかなかった離れ小島のような当時のタンゴ世界にあっては、松永さんのタンゴ以外での業績は全く理解されず、したがって他ジャンルでの松永ファンをタンゴのフィールドに引っ張り込もうなどという戦略的な発想にも繋がらなかった。さらに追い討ちをかけるように、松永さん自身の音楽以外の超個性、はっきり言えば非・社会性が、その素晴らしい音楽性を殊更に覆い隠してしまっていたことは否めない。手帳をもたず、スケジュールをすべて脳内で管理する主義(!)だったため、MUTE BEATとのダブルブッキングは少なくなかったし、僕の実家に奇特なタンゴ・マニアから松永さんについての匿名のクレーム電話がかかってきたり(曰く、見た目が汚な過ぎるから何とかしろ云々)しているうちはまだ良かったが、閏年でもないのに当日を2月29日と思い込み、3月1日のコンサートについぞ現れなかった(〈ベースの音が小さかった気がする。64歳・女性〉というアンケートに抱腹絶倒した)りしたことは確かに彼のチャームではあったかもしれないが、こういった事がいつの間にか当時のおじさんたちと、30代前半の松永さんとの間に、せっかくの音楽的評価を損ねるような溝を作ってしまったのは確かだった。勿論それは彼の自己責任という他ないだろうが、そこにはやはり、音楽ジャンルの違い、すなわち業界の常識の物差しの違いが松永さんを苦しめた、という不運も少なからずあったように思う。
松永さんという一人のミュージシャンが関わったジャンルは膨大だった。MUTE BEATのエレキ・ベーシストの信奉者は、燕尾服を来てベートーヴェンを弾いていたコントラバス奏者・松永孝義を想像だにしないだろうし、その逆も然り。あるいはロンサム・ストリングスを好む人がタンゴの閉ざされ(ているように見える)し門を叩くことはまずないだろう。しかし、〈何故だかわからないけれど、松永さんは格別!〉と言うに違いない全ての松永ファンに知っておいて欲しいことがある。
彼があらゆるジャンルで尊敬を集めたのは、単に天賦の才能に恵まれたからだけではない。高校生のとき突如病に襲われた松永さんは、〈一度死にかけた息子を厳しく鍛えてやってください〉との母上の要望で、ただでさえ恐ろしいことで有名なコントラバスの教授(当時NHK交響楽団のメンバー)から厳格な指導で鍛え上げられた。一度はオーケストラへの入団なども考えたが、結局はクラシックとは正反対の、怪しい葉っぱと酒にまみれたレゲエの世界と出会い開眼した。音楽ジャンルの極端から極端、そしてそれぞれの世界の核を体得する中で、低音プレイヤーとしての自我を発見し、いくつもの奇跡を生んだのだ。
そして敢えて特筆すべきは松永さんの肉体的ハンディだろう。彼は常人が知り得ない哀しみや苦しみ、やり場のない怒りというものを確かに抱えていたのだ。僕にはむしろその事が彼の音楽性を形作っていたように思えてならない。
エレキ・ベーシストとしての松永さんしか知り得ないファンには、どうか彼のコントラバスの重み、うねり、そして時として怒気を含んだ中に、常にうっすら滲み出ている悲しさと優しさを新たに知って欲しい。それが松永さんという人間を理解し、真に弔うことに繋がるのだから。
LIVE INFORMATION
~ 松永孝義 三回忌ライブ ~
松永孝義 The Main Man Special Band『QUARTER NOTE』CD発売記念ライブ
2014年7月11日(金)東京・西麻布 音楽実験室 新世界
開場/開演:19:00/20:00会場
出演:松永孝義 The Main Man Special Band 桜井芳樹(ギター)/増井朗人(トロンボーン)/矢口博康(サックス/クラリネットl)/福島ピート幹夫(サックス)/エマーソン北村(キーボード/コーラス)/井ノ浦英雄(ds, per)/ANNSAN(パーカッション)/松永希(宮武希)(ヴォーカル/コーラス)/ayako_HaLo(コーラス)
ゲスト:松竹谷清(ヴォーカル/ギター)/ピアニカ前田(ピアニカ)/Lagoon/山内雄喜(スラック・キー・ギター)/田村玄一(スティール・ギター)
http://shinsekai9.jp/2014/07/11/the-main-man-special-band/