
〈RAINBOW2000〉の忘れがたき記憶から辿る、挑戦を繰り返す歩み
by 小野島大
アンダーワールドの初来日公演は94年の新宿リキッドルームだった。“Rez”の大ヒットで一気にテクノ~ダンス・ミュージックの最前線に浮上したころだったが、残念ながら僕はそれを観ていない。初めて観たのはその2年後の96年、富士山麓の遊園地で行われた〈RAINBOW2000〉でのライヴだった。
日本で初めての本格的な野外オールナイト・レイヴということで開催された〈RAINBOW2000〉は、いまや伝説として語り継がれているけれども、なかでもアンダーワールドのライヴは本当に素晴らしかった。4年ぐらい前にカール・ハイドにインタヴューしたらそのときのことをよく覚えていて驚いたが、日本にテクノやダンス・カルチャーが根付くかどうかという時期、ちょうど“Born Slippy Nuxxが”映画「トレインスポッティング」のテーマ曲に起用されて大ヒットしたころで、石野卓球やケンイシイのDJプレイの素晴らしさや細野晴臣の幽玄なアンビエント・セットの気持ち良さと共に、その夜の幸福感は今でも体のどこかに残っている。明け方の気温が低く凍えるような思いをしたことも。
〈RAINBOW2000〉の翌年の97年には〈フジロック〉が始まった。日本に本格的なフェス文化が生まれつつあった。その鍵となるのがダンス・カルチャーのロック・フェス的展開で、日本だったらボアダムスやROVOや電気グルーヴ、そして海外のアーティストだったらアンダーワールドこそがその主役だった。間仕切りのない自由な野外空間で好きにカラダを動かして踊るという文化がロック・リスナーの間で根付こうとしていた。
『Everything, Everything』の舞台となった99年の〈フジロック〉は現在の苗場に移っての最初の年で、とりわけ印象深い。以後も彼らは幾度となく日本で素晴らしいライヴをやっていて、どれも忘れがたい思い出だ。アンダーワールドは僕、いや日本人にとって特別なアーティストである。ダンス・ミュージックが好きで、アンダーワールドが大嫌いなんて奴には会ったことがない。日本人はアンダーワールドが大好きなのだ。
プロジェクト〈Drift〉が始まったとき、その無謀なチャレンジ精神に感服した。言うなれば毎週一回新曲とそのMVを作り発表するわけで、手間暇やお金がかかるだけでなく、彼らが長年培ってきた知識やノウハウや人脈があってこその企画である。〈TOMATO〉のサイモン・テイラーという頼れる相棒がいてこそだし、〈Drift〉プロジェクトの入門編として位置づけられるCD〈Sampler Edition〉の選曲と構成は、アンダーワールドを発掘したレーベル、ジュニア・ボーイズ・オウンのオーナー、スティーヴン・ホールが担当している。
これまで通りCDアルバムを何年かに1枚リリースすれば事足りるものを、あえて自分たちを駆り立てるように新しく困難、というよりは面倒な試みに身を投じてみる。なんでもカール・ハイドが「もうアルバムは作りたくない」と言い出したのが今回のプロジェクトのきっかけとなったようだが、そういう思いきりの良さが彼らにはある。彼らとしては昔ながらのCDアルバムのタイム感ではみずらの創作のモチヴェーションを、もっと言えば欲望を満たせないという思いがあったのだろう。
仲介者を通すことなく、いち早く、即座に、直接的に、リスナーと繋がりたいという欲望だ。いい曲が出たらすぐに発表したい、楽曲が出来上がったら直ちにリスナーと共有したい、と思うのはアーティストなら当然望むことだ。ストリーミング配信というインフラの普及もそれを後押ししたことだろう。アンダーワールドはさらに、楽曲を映像と共に提供することで、より広がりと奥行きをもった表現として提示することができた。
〈Drift〉プロジェクトで発表されているのは、現在までに32曲。自分たちの持てる手駒をすべてさらけ出し、なおかつ新境地を開拓するような意気込みに溢れた多彩な楽曲の数々。最近の彼らとしてはダークでアシッドでアグレッシヴなダンス・トラックが多いのも嬉しい。あたかもアンダーワールドというバンドの歴史を辿ったようでもあり、新しい試みもあり、あるいはこれまで表に出ることのなかった隠された側面があらわになっている感もある。ゲストも多彩で、メルト・バナナの鬼才ギタリスト、AGATAが“Altitude Dub”※に参加したことは嬉しい驚きだった。彼らの人脈の幅広さがうかがえる。
83年にフルーアというニューウエイヴ・バンドでデビュー、アンダーワールドと名を変えて地道に活動を続けたものの、どうにもパッとしない。そのまま消えてしまってもおかしくなかった。結局彼らは90年代になってダレン・エマーソンという若いDJをメンバーに迎えてテクノ~ダンス・ミュージック路線に大胆にシフトして成功を収めた。慣れ親しんだやり方に固執していたら、居心地のいい場所に安住しているだけでは今日のアンダーワールドは決して存在しなかったろう。
彼らはもはやテクノ~ダンス・ミュージックの最前線にはいない。リリースするごとにフロアの様相を一変させ、シーンを塗り替えていくような革新性はもはや望めないだろう。だがそれは彼らが戦う場所を変えたということに過ぎない。あの“Rez”から26年。彼らは依然健在である。