いい加減、子どもになろうぜ!
『ママとあそぼう ピンポンパン』はフジテレビで1966年から1982年まで放送された。気がつけば、少なくとも民放ではこうした“幼児向け”番組は姿を消し、少し方向性や対象年齢は異なるが、テレビ朝日日曜朝のヒーロータイムやいくつかのアニメ、あるいはNHKの『みんなのうた』あたりにそのスピリットが残存しているのかもしれない。高度経済成長の時代から、「ママ」も「パパ」もそのおかれた状況は大きく異なり、子どもとあそぼうにもママも忙しくなった反面、NHKも『おとうさんといっしょ』といった番組をつくらないといけなくなっている。また、子どもへのまなざしも、子どもからのまなざしも変化したということもあるかもしれない。子どもも遊んだりふざけてばかりはいられなくて、シューカツ予備軍として高度に管理されている。いや、しかしそもそも、子どもってなんだ? 誰だ? 私なんぞはいいトシこいて「いい加減、オトナになってください」とか若いもんにいわれる始末で、オトナってのもなんだよ?ともいいたくなるわけだけど…。
今回、二代目お姉さんの石毛恭子(1971~1974年)、三代目の酒井ゆきえ(1975~1978年)、四代目から最後となる大野かおりと井上佳子(1979~1981年)をそれぞれ一枚ずつに収録した三枚組を聞いてみると、そんな、大枠・外枠な感じの「社会」(あるいはオトナ)の事情はともかく、子どもたちそのものになってしまおうと企んだかのような音楽関係者のノリに驚いてしまう。ちなみに「初代渡辺直子お姉さん時代は、童謡や絵描きうたなどがほとんどでオリジナル楽曲が少なかった為、今回CD化はしませんでした」(コロムビア担当者さん)とのことだけど、ちょっと聞いてみたい気もする。
BS放送の普及は、この同時代のさまざまなテレビドラマの全話再放送などにふれる機会にも開かれ(録画してヒマな時に見れるし)、さいわいなことにアナクロニズムといわれようがノスタルジイさんといわれようが、浸りきることを可能にしてくれている。既に終わった「平成」の若者たちに「昭和っぽい」とバカにされようが(そのうち、やつらも「平成っぽいっすね」と小馬鹿にされるのだろうが、そもそも年号の時間にスタイルは宿るのか?) そうしたドラマの音楽も驚くほどの実験に満ちていることを(再)発見させてくれる。本作もまたしかりなことにあらためて感銘を受けている。ある年代以上は必ず知ってる「がんばらなくっちゃー」の『ピンポンパン体操』は、阿久悠作詞・小林亜星作曲、1971年。今の時代では「がんばらなくちゃ」なんてまさに(特に弱っている人には)禁句なフレーズのひとつだ。このピンポンパン的「がんばらなくっちゃー」といいながらの脱力感もまた許されないリジッドな社会だからこそなわけだけど。
時代が一回りしたとかいう気はこれっぽちもないが、かといって、忘れられていた・知られざる音楽の(再)発見とはなるだろう賛嘆すべきCD化だ。いや、なによりも、こんな時代(だからこそ)、「いい加減、子どもになろうぜ!」とのコールにどう私たちがレスポンスするかということだというべきか。