©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

ジャズな人が集まるジャズな空間

 現在日本には600軒近くのジャズ喫茶があるらしい。さて、その中で最も有名な店はどこだろう。

 人によってその答えはいろいろだろうけど、岩手県一関市にある〈ベイシー〉は、間違いなくベスト3に入るのではないか。〈ベイシー〉といえば、スピーカーもアンプもJBLで組んだ〈音のよさ〉が真っ先に語られて、全国から〈ベイシー詣〉をするオーディオ・マニアも多いわけだが、僕としてはそれだけが〈ベイシー〉の魅力だとは思っていない。

 もちろんいっぺん聴くと忘れられなくなるすさまじいサウンドであることは間違いないのだけど、僕が数年ごとにたまらなく〈ベイシー〉が恋しくなって東北新幹線に乗るのは、あのお店とオーナー菅原正二さんの発する〈ジャズのオーラ〉に包まれたいからだ、としか言いようがないのだ。

 

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

 この「ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)」(〈Swifty(すばしこいやつ)〉というのは、カウント・ベイシーが付けた菅原さんのニックネーム)は、やはり〈ベイシー〉と菅原さんの〈ジャズなオーラ〉に魅了された星野哲也監督が、その魅力をさまざまな角度から、とても丁寧に、愛を込めて綴ったドキュメンタリー映画だ。

 誰もがまず思う最大の難問は、いったいどうやって〈ベイシー〉の素晴らしい音響を映画で伝えるのか?ということだろう。星野監督が選んだ手段は、ヴィンテージ高級マイクを店の中に何本か立てて、それで拾ったスピーカーからの音を、ナグラ社のプロ用オープンリール・テープレコーダーに収録する、という、これ以上の正攻法はない、まさに〈アナログ〉な方法だった。もちろん、映画館ごとに再生する装置は違うわけだが、〈ベイシー〉の広い空間全体の鳴りや、迫力があって太くて切れがよくて温かい、という同店のオーディオシステムの個性がごく自然に感じられて、この選択は大成功だったと思う。カウント・ベイシー“エイプリル・イン・パリ”、マイルス・デイヴィス“バックシート・ベティ”、ビル・エヴァンス“マイ・フーリッシュ・ハート”など、僕がかつて〈ベイシー〉で聴いた記憶がある曲が次々に登場し、ああまた近いうちに行きたい! と思わずにはいられない。

 また、渡辺貞夫や坂田明、ペーター・ブロッツマンなどが〈ベイシー〉でおこなったライブ演奏の音もこの方法で録音されていて、これがまた実に自然でいいサウンドだ。僕はまだ〈ベイシー〉でのライブを体験したことがないのだが、次の機会にはぜひ行かなくては。

 そしてまた、これはさまざまな〈達人〉たちの顔と声、についての映画でもある。渡辺貞夫、坂田明、村上“ポンタ”秀一、ペーター・ブロッツマン、中村誠一といったミュージシャンたちが〈ベイシー〉を訪れ、それぞれがとてもいい顔、とてもいい声で、忘れがたい言葉を語る。

 フリージャズはジャンルではない、好きなことを好きにやるのが本当の〈フリー〉だ、と言う坂田明、60年代から現在に至る音楽シーンの変化を淡々と語るブロッツマン、ニューオリンズで出会ったタクシー運転手の話を、愉快な歌と共に披露する中村誠一、マイルスのレコードに合わせてドラムスを叩く村上秀一、サックスのリガチャー(リード留め)の違いで音が変わることを実演してくれる渡辺貞夫……。

 60年代のジャズ喫茶のことやビル・エヴァンスのピアノの音の〈小ささ〉についてコメントを寄せる中平穂積(新宿のジャズ喫茶「DUG」オーナー)や、シカゴでのブルーズとの出会いについて話す小澤征爾も含めて、何事かを極めた人たちは、本当にいい顔(いい表情、というべきか)をしているのだなあ、と、改めて感じ入ってしまった。そしてもちろん、菅原正二も〈いい顔といい声でいい話をする達人〉であるのだ。

 

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ

 菅原正二は言う。「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけだ」。この原稿を書いている7月現在、〈ベイシー〉はコロナ禍のために休業中だという。安心して〈ベイシー〉に行ける日を心待ちにしつつ、この映画を観て岩手県一関市の〈ジャズな空間〉と、そこの主である〈ジャズな人〉に思いを馳せることにしよう。

 なお、この映画の公開に合わせて、撮影時に菅原さんが店内でかけたアナログ盤のプレイバック音を収録したコンピレーション『プレイバック・アット・ジャズ喫茶ベイシー』(ユニバーサル・ミュージック)が、SACD/CD ハイブリッド盤とアナログ盤で9月2日に発売される。映画の中で流れていた曲、ジャケットが映っていた曲が中心の選曲で、映画のサントラ盤に準じるものだと言えそうだ。

 


CINEMA INFORMATION

映画「ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩」
監督:星野哲也
出演:菅原正二/島地勝彦/厚木繁伸/村上“ポンタ”秀一/坂田明/ペーター・ブロッツマン/阿部薫/中平穂積/安藤吉英/小澤征爾/豊嶋泰嗣/中村誠一/安藤忠雄/鈴木京香/エルヴィン・ジョーンズ/渡辺貞夫(登場順)ほかジャズな人々
配給:アップリンク(2019年 日本 104分)
©「ジャズ喫茶ベイシー」フィルムパートナーズ
www.uplink.co.jp/Basie/
◎2020年9月18日(金)より、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国公開