インタビュー

ケント・ナガノ(Kent Nagano)が語るペンデレツキへの想い、代表曲“ルカ受難曲”の人間味あふれる魅力

©SergioVeranesStudio

“ルカ受難曲”が際立っているのは、その根底が非常に人間的なものだからです。

 第2次大戦後の世界の作曲界をリードする存在であったポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキが今年の3月29日に亡くなった。1933年11月23日生まれであったから86歳だったことになる。我が国では“広島の犠牲者に捧げる哀歌”(60年)の作曲家として音楽ファン以外の人々にも知られ、2003年と2004年には来日してNHK交響楽団を指揮し、指揮者としての存在感も示していた。

 ペンデレツキの作曲技法のなかで、一般的によく語られるのが1960年代に確立された〈トーン・クラスター〉の手法である。そして、その手法を用いた創作の頂点に位置する傑作が、演奏時間が70分にも及ぶ“ルカ受難曲”とされる。もともとはミュンスター(ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州)のカテドラルの創建700周年を記念して委嘱された作品で66年3月30日に初演された。それ以後、世界各地で取り上げられてきた大作である。

KENT NAGANO,MONTREAL SYMPHONY ORCHESTRA,LUCAS MEACHEM,SARAH WEGENER,MATTHEW ROSE 『ペンデレツキ:ルカ受難曲』 BIS(2020)

 録音も多いが、特に近年の録音として注目されたのが、ケント・ナガノ指揮のモントリオール交響楽団による2018年7月20日、その年のザルツブルク音楽祭のオープニング・コンサートで演奏されたライブ録音で、これはBISレーベルから今年リリースされた。晩年のペンデレツキと親しく、その作品の良き理解者でもあったナガノは、ペンデレツキの死去に際して、こんなコメントを出している。

 「クシシュトフ・ペンデレツキ氏の逝去は、音楽と人生を愛するすべての人にとって大いなる損失です。(中略)あらゆる世代が彼の音楽にかこまれて育ち、彼の作品は音楽的にも社会的にも重要な衝撃を与えました。(後略)」

 そのナガノにメール・インタヴューをすることが可能になったので、ペンデレツキへの想い、“ルカ受難曲”の魅力などについて、詳しく伺った。まず、2018年のモントリオール響とのザルツブルク音楽祭での録音について。

 「このプロジェクトは、ザルツブルク音楽祭のディレクターでもありピアニストでもあるマルクス・ヒンターホイザー氏との話し合いから生まれたものでした。ペンデレツキの“ルカ受難曲”はその初演から1年後、60年代末にザルツブルク音楽祭で演奏され、ヒンターホイザー氏はそれを50年振りにザルツブルクに持ち帰ることを提案されました。創作から50年という歳月を経たいま、“ルカ受難曲”が20世紀の傑出した、そして様々な影響を音楽界に与えた作品であるということは我々の誰もが認める所でしょう。私は氏と同様に、この作品をずっと前から知っていて、過去に演奏もしてきています。創作されてから半世紀後に、再び作曲家と共同でこの作品に取り組むことは、ザルツブルク音楽祭の脈々と流れる歴史の中で、21世紀の聴衆、オーケストラ、合唱と参加するソリストたちにとって素晴らしい経験となるだろうと考えました」

 このザルツブルク音楽祭での録音を前にして、ケント&モントリオール響はペンデレツキの85歳の誕生日記念に招かれ、クラクフで“ルカ受難曲”を演奏し、さらにザルツブルク音楽祭のオープニングで、作曲家臨席のもと、録音となった演奏を行った。この作品は大規模なオーケストラだけでなく、合唱も非常にスケールが大きく、また音楽的にも高度な難しさを持っているので、その準備もなかなか大変だったと思う。

 「おっしゃる通り、この作品は、合唱団にとって特に難しいと言えるでしょう。幸いなことにモントリオールの私たちの優れたコーラスは十分に準備されていましたし、クラクフとザルツブルクでは、ペンデレツキ氏が推薦した、彼自身がこの作品を指揮した時に共演したひじょうに経験豊富なコーラスも参加しました」

 ケントが感じる“ルカ受難曲”の魅力についても聞いた。

「この作品は約70分にも及ぶ無調音楽です。無調音楽と聞くと、反射的に身構えてしまうかもしれませんが、実は私たちは自然の中で無調に囲まれています。初めて聴く方に言いたいのは、まず〈無調〉という用語を一瞬だけ忘れてみてください、ということです。この作品の中には調性的な部分もあり、長調と短調の和音が楽曲のつなぎ目となっていて、それが構造の転換に重要な役割を果たして居ます。それは、私たちがそれまで一度もそこに行ったことがなくとも、自分たちが正しい方向へ向かっていることを保証してくれるロードマップのようなものです。こうした調性的なつなぎ目のロードマップを持っていることで、いくばくかの安心感と自信を持つことが出来るでしょう。

 また、ペンデレツキの作曲の流儀は、私たちが日常的に経験し、ともに生きている様々な人間的なものをひじょうに身近に感じさせるものだと言えるでしょう。これらは、ハーモニーの構造といったことを超越しているように思えるほど純粋な形で表現されています。すべてがひじょうに〈人間的〉です。“ルカ受難曲”の中で私たちの前を次々に通り過ぎて行くこの一連の絵画は、決して私たちを孤独にし、迷わせ、疎外感の中に漂わせることはありません。私たちは親しみやすいものに包まれ、このことがこの作品を特別なものにしているのだと思います。この作品と同じ時代に作られた作品が次々と消えてしまっているのに、なぜこの作品が今も演奏会でプログラムされているのでしょうか? “ルカ受難曲”が際立っているのは、その根底が非常に人間的なものだからです」

 確かにこの“ルカ受難曲”は新約聖書のルカ書の言葉などをテキストに用いているが、いわゆるエヴァンゲリストではなく、スピーカーという語り手を通してキリストの受難の物語が語られて行く。このケント氏の録音ではポーランドの俳優であるスワヴォミル・ホランドがその語り手を担っているが、その声は親しみやすく、まさに複雑な音楽のなかで、私たちに語りかけて来る。そこにオーケストラとコーラスの重厚な表現が加わることで、スケール感が際立って来る。

 また音楽的にみれば、バッハへのオマージュとして〈B-A-C-H〉の音型が取り込まれ、いわゆるバロック期に特有な下降2音による〈ため息のモチーフ〉が取り込まれるなど、時代を超えた音楽的な手法が使われている点も注目すべきだろう。

 ケントとペンデレツキとの交流は長い。

 「彼の音楽を最初に聴いたのは、とても若い頃にサンフランシスコ交響楽団が演奏した“広島の犠牲者に捧げる哀歌”でした。60年代以降、ペンデレツキの特別な作曲の意志と創造力は世界的に認識されることになりましたが、彼の芸術的表現の信条は、常に自明であることと同時に説得力がありました。彼はロマン的であり続けたにもかかわらず、前衛芸術家として際立った存在です。伝統主義者であり、時代の誘惑に抵抗し、防衛することが出来たペンデレツキですが、それでも彼は飽くことなく実験を続けました。無調、偶然性の音楽、電子音楽を大胆に創作しましたが、彼はなにより作品のメッセージ自体と、それがその作品を聴いた人々の潜在意識に響くことに関心を持っていました。また、ペンデレツキは人間に対する理解と世界観を伝統的な作品形式で前面に押し出したヒューマニストでもありました。ペンデレツキは(メシアンのように)敬虔な信仰心を隠そうとはしませんでした。彼なしでは、ヨーロッパのキリスト教の伝統と世界の社会的発展との時を超えた結びつきを想像することは出来ません。こうしたことがユニークで創造的な作曲家として、ペンデレツキを他の作曲家と一線を画す存在にしているのだと思います」

 新型コロナ・ウイルス感染症のパンデミックという世界的な情勢のなか、いま再びペンデレツキの音楽に込められたメッセージ、そしてそれに共感するケント・ナガノの想いを私たちは共有したい。

 「歴史というものが、クラシック音楽はヒューマニズムの最も純粋な表現であることを証明しています。良い時代も悪い時代も常に音楽は私たちに忠実に寄り添ってきました。音楽はきっと、21世紀も、それ以降も、私たちを導いてくれることでしょう」

 と、ケントは力強いメッセージを最後に送ってくれた。

 


ケント・ナガノ(Kent Nagano)
1951年カリフォルニア生まれの日系3世。84年、小澤征爾の代役としてボストン響でマーラーの交響曲第9番を指揮して脚光を浴びる。ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、シカゴ響といった世界一流オーケストラと定期的に共演するほか、これまでにリヨン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ハレ管、ベルリン・ドイツ響の音楽監督を務め、現在は、ハンブルク市音楽総監督およびハンブルク州立歌劇場とハンブルク・フィルの首席指揮者を務め、モントリオール響音楽監督、イェーテボリ響首席客演指揮者を兼任。また、ベルリン・ドイツ交響楽団の名誉指揮者でもある。

 


クシシュトフ・ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki) 【1933-2020】
1933年生まれ、ポーランド出身の作曲家/指揮者。クラクフ音楽院で学んだ後、1959年のポーランド作曲家協会主催の新人作曲家コンクールで三つの最高賞を受賞し注目を浴びる。60年代にはトーンクラスター技法による作品を手掛け、「広島の犠牲者に捧げる哀歌」で不動の地位を獲得。指揮者としても古典から現代作品まで幅広いプログラムを取り上げてきた。映画の分野でも評価され、アンジェイ・ワイダ監督「カティンの森」、スタンリー・キューブリック監督「シャイニング」など、数多くの映画に使われている。2020年3月29日にクラクフにて死去。

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