(左から)黒川隆介、中尾憲太郎
取材協力:CRAFTHOUSE TALKIE'S
 

気鋭の若手詩人・黒川隆介が洋邦/新旧を問わず、気になるアーティストの楽曲を1曲ピックアップし、その歌詞を咀嚼して、アンサーソングならぬ〈アンサーポエム〉を書き下ろすこの連載。5度目の特別編となる今回は、連載第14回で黒川氏が“鉄風 鋭くなって”のアンサーポエムを書いたNUMBER GIRLのベーシスト、中尾憲太郎さんと対談を行います。


 

自分のいる場所はアンダーグラウンドだと思っていた

――まずはお二人の出会いを教えていただけますか。

中尾「出会いは共通の友人のジュエリー・デザイナー(DAIZEN)がいて、彼のポップアップショップがあったときに隆くん(黒川)が手伝ってたんだよね」

黒川「そうですね、詩を書いて」

中尾「お店にも立っていて。そのとき僕はそのブランドのTシャツをデザインしていて、それで紹介してもらったし、他にも友人づてで繋がっていたっていう。それが一昨年」

黒川「僕はもちろんナンバーガールを聴いていたので光栄でしたね。ナンバーガールと僕の出会いは、十代の頃にきれいな憧れのお姉さんの先輩がいて、〈隆ちゃんナンバーガールって知ってる?〉って言われたのがきっかけで。当時、流行りとか何がカッコいいのかとか右も左も分からなかった自分にとっては、色んなことを知っててイケてる先輩からのオススメの音楽がナンバーガールだった。それもあってナンバーガールの最初の印象は、カッコいい人たちが聴いている音楽っていうイメージでしたね。学校で仲良かったやつもナンバーガールを聴いていたって後々で知ったし。

最近よく思うのは、SNSで何十万人、何百万人にフォローされることも大事なのかもしれないけれど、本当に〈この人たちかっこいいな〉〈この人たち素敵だな〉って思ってる人たちにきちんと届くことも大切だなって思っているんです。中尾さんは、今でも昔でも、自分のやっている音楽をどういう人に聴いてほしいって意識されていましたか?」

中尾「いやいや、全然意識していないかな。昔はもちろんSNSなんかないし、今までの〈ザ・ロックンロール〉みたいな文化が当時の福岡にも強くあったから、とにかく人と違うことをやりたかったんです。19歳、20歳ごろで、周囲の同世代のバンドも〈人と違うことをやりたい〉っていう空気を持っていて、彼らと隔月でオールナイトのイベントをやったんですよ。今では当たり前だけど、当時はDJとバンドが一緒にやるイベントがなくて、それがすごく楽しくて。そういう中で向井(秀徳)くんたちと出会って、バンド結成に至るわけだけど。だから当時は〈誰かに届けたい〉なんて広い視野は持ち得てないし、自分のいる場所はアンダーグラウンドだと思っていた。でも、そういうイベントをやって人が集まってくるっていうのは楽しかったな」

黒川「憲太郎さんとしては、どういう人たちから支持があるのか、感じていましたか?」

中尾「僕はパンクとかハードコアが好きで、向井くんはギターロックが好きだし、他のメンバーも違う趣味があって。バラバラだけど、そういう音楽好きが集まる空間だから、そういう人たちには支持されていたのかなと思う。バンドのブレーンとしては向井くんがいたから、基本は向井くんの趣味が中心だろうね」

黒川「当時の音源を聴いたりライブ映像を観たりしてどう思いますか?」

中尾「今思うと当時は、アメリカの音楽シーンに強く影響を受けていたから、〈そういうものを自分たちがやりたい〉とか〈タイムラグを埋めたい〉っていう意識があって、あの頃の時代にそういう考えがフィットしたんじゃないかなと思う。たぶん国内で同じような似たことが同時多発的に起きていたんだろうな。チャートに変動があっても、ああいった歪んだギターの音楽が引っかかる人たちは一定数いて、それが90年代は表立っていたんだろうね。その後カウンターロックの時代が来つつ、今でも若い人たちにも聴いてもらっているんだなって思う。当時も僕は、自分たちの音楽がメインストリームだって思ってやってはないから。めちゃくちゃハマる人がクラスに一人いればいいなっていう認識だったね」

黒川「なるほど。僕の中でのカッコいい先輩とか、クラスの流行に詳しい友達が知ってる音楽っていうイメージとリンクしてきます。音楽に触れるきっかけって、そういう人が聴いているっていうことは多いですよね」

中尾「僕は高校生の時に、BOØWYとかユニコーンとかが出てくるバンドブームがあって。そういうのもなんとなく友達と聴いてはいたんだけれど、ある時イギリスのパンク・バンド、クラッシュ(The Clash)のファースト・アルバム(『白い暴動』)を聴いた時に〈なんじゃこりゃ!!〉と思って、部屋で一人で盛り上がりすぎて、どうしていいか分からずに畳の上でゴロゴロしていたんだけど(笑)。これまで聴いたことのない音楽を聴いた感じがしたし、異様な引っかかりがあった。その時もクラスに一人共感してくれる人がいたね。自分の中ですごく衝撃的な出来事だった」

 

そろそろ〈言葉〉の次のフェーズへ

黒川「憲太郎さんには、この〈アンサーポエム〉の“鉄風 鋭くなって”の回を読んでいただき、感想を直々にいただいて跳ねて喜んだんですけど、改めて僕の詩に感じたものを教えていただければ……」

NUMBER GIRL、2000年の楽曲“鉄風 鋭くなって”
 

中尾「隆くんのこれまでの詩をすべて読んだ訳ではないんですけど、文章とか言葉のリズムが急に変わったり、時間軸が動いたり戻されたりするのが好きで、頭の中も体もグッと動く気がするの。気が付くと道に迷っていて、だけど適当に歩いていたら知っていた道に戻ったみたいな。そういうのが面白かった。今話題の『TENET テネット』みたいな感じだよね」

黒川「ありがとうございます。当時送っていただいた感想、読み上げていいですか? 〈最後にどんどんリズム感がくるんだけど、安定感ではなくて、何でもない日常がこちらの視点で逆に殺伐さを加速させるというか、読み進めるとどんどんスピードが上がってきて、最後の一行の文字の大きさがドン!と倍になる感じ! キリキリしました〉。改めて読んでも嬉しい感想です。憲太郎さんにとって、言葉や歌詞はどういう存在なんですか」

中尾「言葉を使う人はすごいなって尊敬するし、怖いなとも思う」

黒川「憲太郎さんは言葉をすごく大切にされている人だなと思ったんです。例えばご一緒に呑んでいても、勢いでしてる会話ってあるじゃないですか。そんな時でも〈それ本気で言ってる?〉って話し手に確認をして、〈ちゃんとした言葉にしたほうがいいから、もっと考えて言ったほうがいいよ〉っていう問いかけをしたりすることもあって」

中尾「そう、言葉って面白さもある反面、雑さというか、その言葉を相手がどう捉えるかの概念は喋る人に委ねられているわけじゃない? だから人によって印象が違ったり誤解が生まれたりする。だから日常の会話でも、〈言葉ありきで喋る瞬間〉を感じると興醒めするんだよね(笑)。言葉に言わされているみたいな感じがあって。

一方で、例えばTwitterの140文字で何でも言えるかっていうと、そんなことはなくて、正しく自分の意見を伝えようと思ったら本1冊ぐらい必要だと思うんだよね。そのもどかしさがすごくあって。そういう意味では言葉なんて無くなってもいいなと思う。もっと複雑な記号とかで正しく情報が伝わればいいのにって。

個人的には、別に何かを人に伝えたいとか思ってはないんだよね。自分なりに〈爆発〉を起こしたいだけで。言葉って素晴らしいなとも思いつつ、些細なことで誤解を生みたくないっていう意識があるから、そろそろ次のフェーズに行かないかなとも思っている。そういうのはプロデュース業をすることになって余計意識するようになったことかな」

黒川「いろんなものの作り手の方とお会いする機会が多いんですけど、憲太郎さんは純粋に〈カッコいい〉っていう感覚でした。どんなものにも実は〈良い/悪い〉っていうことは無くて、〈カッコいいか、そうじゃないか〉だと思っていて、だから僕の中では〈カッコいい〉っていうのはものすごく大事な感性なんですよね」

 

プレイヤーからプロデューサーを経験して、またプレイヤーに

黒川「プレイヤーだった憲太郎さんがプロデューサーを始めた経緯を教えてください」

中尾「昔ナンバーガールでレコーディングしている時に、向井くんが〈歌詞ができない〉って言ってて、スタジオで作業するのが1日空いたんですよ。その時に〈じゃあスタジオに楽器もあるし、アヒト(・イナザワ)くんが曲作ってるっていうからそれやろうよ〉ということになって、僕がドラムを叩いて(田渕)ひさ子ちゃんがギターを弾いて、アヒトくんもギターを持ってきて、ベースは後で入れたのかな……。その時の進行というか、ディレクションのようなことを僕がやっていたの。その後、それを見ていた当時のエンジニアの人が、エンジニアを辞めて新人発掘をやり始めるんだけど、その時のことを思い出して〈プロデューサーをやってみない?〉って言ってくれて。それでMASS OF THE FERMENTING DREGSのプロデュースをやったのが始まりだね。そこから若いバンドのレコーディングに関わるようになった」

黒川「これは貴重な秘話ですね……。実際にプロデュースをやってみてどうでしたか?」

中尾「すごく楽しかったのよ。ナンバーガールをやめて自分のバンドを始めて、レコーディングの現場自体も楽しいなと思っていたし、そこに他人が入るっていうのも苦じゃなくて、コミュニケーションを取りながらやるっていうのも楽しくて。言葉もそうだけど、音も人によって解釈は違うから、それをどう説明するか。どうやったらうまく説明できるか、そういうのを考えているうちに、情報として正しく伝えなきゃいけない、誤解を生まないようにしなきゃいけない作業だなと思ったのね」

黒川「そういう解釈の溝はどうやって詰めていくんですか?」

中尾「限られた時間の中で、バンドにはバンドの録りたい理想の音があって、そこにメンバー個人個人の理想もあって、僕の理想もある。それをできるだけ正しく自分なりに紐解いて解釈するっていうことだね。バンド内でも意外とコミュニケーションが取れていないことも多いから、みんなで納得するところを見つけつつ自分の意見も乗せる。それを録音して、コンソールルームで聴いた時にみんなが〈カッコいいな〉って言ってくれたら安堵するよね。そこまでが大変かな」

黒川「プレイヤーとして見ていたところから、プロデューサーという違う目線になりましたけど、それを経てさらにナンバーガールの再結成があってまたプレイヤーになるわけじゃないですか。視点とか、モチベーションに変化はありました?」

中尾「やっている当時も解散した後も、その当時は、少し前の自分を振り返れないところがあったけど、時間が経って改めて当時の音を聴いてみると、自分の感性に〈なんかいいじゃん〉って思うことがあって。例えば、自分のバンドで出来あがりを聴いたらまた違う欲求が出てきて満足できないこともあるけど、1年ぐらいして聴いてみたら〈いいじゃん〉ってなるんだよね。ナンバーガールはやってた内容が濃すぎたのか、そう思えるまでの時間が結構かかってたなあ。ある程度時間が経って、ふと聴いた時に〈すげえことやってんなあ〉〈濃いなあ〉みたいな気持ちがやっときた。当時は僕が言い出しっぺで解散したのもあるし、メンバーが結構ギスギスしていたのもあるから、聴けるまでに時間がかかったんだけどね」

黒川「再結成されて、時間はだいぶ空きましたけど、実際に音を出してみてどうでした?」

中尾「一番印象的だったのは、最初のスタジオの時に向井くんが〈それじゃあもうやろうか〉って言ってさらっと〈ドラムス! アヒト・イナザワ〉って言うわけですよ。そしたらアヒトくんが、“OMOIDE IN MY HEAD”の冒頭のドラムロールをバーッて叩いて、みんなで一斉にジャーンって音を出した時に、時空が歪んだような、足がすくわれるような感じがあって、その時は〈うわあぁっ!〉って思ったね。びっくりした、あれは」

黒川「一方で最近はモジュラーシンセもよくプレイされてるようですね」

中尾「アースクエイカー デバイセス(EarthQuaker Devices)っていうアメリカのエフェクター・メーカーのアンバサダーをやっていて、そのエフェクターを使うためにモジュラーシンセを揃えてみたんだけど、あれよあれよという間にハマっちゃって、楽器屋に通うようになり、シャッターが降りるまで店員さんを質問攻めにして(笑)。やりたいことがどんどん増えていってね」

黒川「それはベーシストとは違う感覚ですか?」

中尾「何でも一人で完結させられるのがベースと違うところだね。これまであまり一人で活動したことがなかったし、曲作りの中で打ち込みもシンセもやったことはあってもハマりきれなかったんだけど、モジュラーシンセをやるために猛勉強して。即興演奏が大好きで、即興性が高いのがとにかく楽しいからね」