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1994~1998年
新たなダンスの可能性を追求、シーンの内外に影響を与える存在に

そのまま90年代なかばに向けてワープをひとつの中心としてIDM/エレクトロニカは急速にサウンドの幅を広げシーンを拡大していくことになるが、リチャード・D・ジェイムズが本人の奇人的なキャラクター性も含めスター化していったのとは対照的に、オウテカはただ淡々とサウンドの実験を邁進する。アンビエント/ドローンの要素を強めた『Amber』(94年)、一転インダストリアルな質感とグリッチを強めた『Tri Repetae』(95年)、ノイズを増しのちのブレイクコアの参照元となった『Chiastic Slide』(97年)……と、90年代のオウテカは、自身のルーツに軸足を置きつつサウンドの拡張性によって、ダンスに終始しないテクノに対して好奇心旺盛なリスナーの関心を引いたのだった。

95年作『Tri Repetae』収録曲“Dael”

97年作『Chiastic Slide』収録曲“Nuane”

ただいっぽうで興味深いのは、オウテカ自身はクラブ・シーンをけっして軽視しなかったことだ。94年には、レイヴを事実上禁止するために反復するビートを持つ音楽を規制した〈クリミナル・ジャスティス・アクト〉に反対する『Anti EP』をリリースしている。オウテカのトラックが複雑なビートを持っていることがそのまま、規制に対する抵抗になっているのである。のちにブースは『Anti EP』のことを振り返って、「多くの実験主義者たちはレイヴ・カルチャーやクラブ・カルチャーをバカにし過ぎている。それこそバカげているし、スノッブな態度だと思う」と発言している(出典:「ele-king」99年12月号)が、彼らは自分たちがどこから来たのか忘れていないのである。つまり、オウテカはけっしてダンスの否定ではない。ダンスのクリシェを否定し、新しいダンスの可能性を生み出すこと――その意志がのちの、真っ暗な部屋でただ音だけがあるオウテカのライブに繋がっていったのだろう。

94年作『Anti EP』収録曲“Flutter”

90年代に戻ろう。『LP5』(98年)の頃には、ビョークやレディオヘッドのようなビッグ・スターもオウテカに対する敬意や偏愛を公言するようになり、エレクトロニック・ミュージック・シーンの外側にも影響を与えていく。同作はいま聴くとオウテカにおける2000年代への助走とも取れるのだが、同時に彼らのはじめのディケイドにおけるひとつの完成形と言えるだろう。

98年作『LP5』収録曲“Rae”

 

2000~2005年
抽象的で複雑、激しく硬質な電子音楽を求めて

世紀をまたぐ2000年ごろはIDM/エレクトロニカがジャンルを超えて強い影響力を持っていた時期で、それこそレディオヘッドの『Kid A』(2000年)を経由してオウテカと出会うロック・リスナーも数多くいた。しかしオウテカはそうした世間からの熱い注目などまったく気に留めないように、『Confield』(2001年)以降さらに複雑化を極めていく。『EP7』(99年)などですでに取り組んでいたアルゴリズム作曲をさらに推し進めた同作では、きわめてアグレッシヴなランダム・ビートが暴れ回っている。

この時期のオウテカを象徴するのが、激しく叩きつけられるような打音が乱れる『Confield』収録の“Pen Expers”と、シングルとして映像つきで発表された“Gantz Graf”(2002年)だろう。金属音が吹き荒れ、まるで情緒を受けつけないようなカオティックなそのトラックは、そのあまりの迫力ゆえにいまでも彼らの代表曲であり続けている。ただ、いわゆる〈ブレイン・ダンス〉ともまた異なる、妙にフィジカルなファンクネスをこの時期のオウテカは有しており、たとえば4つ打ちのビートとはまったく違うやり方でダンサブルな領域に挑もうとしていたのかもしれない。

2001年作『Confield』収録曲“Pen Expers”

2002年作『Gantz Graf』収録曲“Gantz Graf”

しかしながら、2000年代のオウテカはトラックの抽象化と激しさを推し進め、また音色をさらに硬質なものにすることで次第にエレクトロやデトロイト・テクノといったルーツからも遠ざかっていく。端的に言うと、ポップさを失っていくのだ。いまから思えば、それは2000年代なかばには先鋭だったはずのIDM/エレクトロニカの多くが定型的なものに堕していたことに対する無意識的な抵抗だったのかもしれない。ただ8作目の『Untilted』(2005年)の頃には初期オウテカを愛するリスナーからは〈冷たすぎる〉との声もあったようで、もうオウテカは熱心なエクスペリメンタル・ミュージック・リスナーしかついて行けないものになったのかもしれない……という空気がこの時期にはあったように記憶している。