沈黙の次に完成された響き

 バンドネオン奏者、ディノ・サルーシのことを私たちの世代が知ったのはECMからリリースされたアルバム『Kultrum』(83年)だった。彼はこのアルバム以前に、数枚のアルバムをアルゼンチンRCAからリリースしていた。その音楽はサルーシの音楽というよりサルーシたちの音楽だった。当初フォルクローレのようなアンサンブルは、のちにフュージョンのバンドにまで変化した。『Kultrum』は、たった一人になった彼が投射する音が、アルゼンチの平原に代表される自然で満たした。それはある意味、その風景の中に棲息する動物のようになったサルーシの息、ブラジルの音楽家、ナナ・ヴァスコンセロスが響かせるアマゾンのような音楽だった。生き物たちのコレクティブな意識が創り上げる影絵のような音世界。そしてサルーシの音楽はここでも複数形だった。

DINO SALUZZI 『Alboras』 ECM(2020)

 2020年、久しぶりのソロ・アルバム『Alboras』がリリースされた。その音楽はバンドネオンだけで奏でられ、ジャケットにはバンドネオンを座って演奏するサルーシがいる。しばらくしてこの写真がこれまでにはないサルーシの音楽に対する姿勢を映していることが、この音楽を聴くうちにわかってきた。初めてひとりのサルーシがここに現れた気がした。一曲一曲、入念に仕上げて、一音一音を丁寧に発音していく。バッハのパルティータを弾くクレーメルのように。誰もが孤独を感じるだろう。この静かなバンドネオンに、完成された音楽に。2015年、サルーシは、ピアノ独奏のために書いた曲を集めて、アルバム『Imagenes』をECMからリリースしていた。この時レーベルが作成したプレス・リリースによると、彼はずっとピアノのための曲を書いていたという。ピアノの美しい動きをとらえた見事な曲集だった。しかし先入観なしにこの音楽を聴いてそこにサルーシを聴きとることができる人が何人いるだろうか。そう思ったとき、今回のアルバムに聴こえる孤独が少しわかったような気がした。彼が求める音楽の完成を求めて、サルーシは作曲家として孤立している。彼が聴きたいと願う音楽の成就を求めて、演奏者として作曲家サルーシと距離をおいたのだ。