アルゼンチンの音楽シーンから新しい風が吹いてきた。風の名前は、アルゼンチン北西部の小都市・サンフアン出身のデュオ、カンデ・イ・パウロ。カンデとは、ヴォーカルを務める淑女、カンデ・ブアッソのこと。そして相棒を務めるは、かねてより彼の地で名を馳せていたマルチ・プレイヤーのパウロ・カリッソである。両者の出会いはカンデが15歳だった頃、パウロが彼女にピアノをレッスンしていた間柄だという。その後再会を果たした2人、パウロは独学でジャズとオペラを学び、コントラバスとヴォーカルの技術を身に付けていた。彼らが手を組んで音楽活動を始めた2017年、YouTubeで公開された“Barro Tal Vez”の演奏動画がいきなり世界的な評価を獲得、一躍注目株となる。以後、シングルをリリースしながら本格デビューに向けて着々と準備を続けてきたのだが、MVなど時折届けられる映像がどれも印象的なものばかりで。最初は一瞬、担当楽器が逆では?と思ったりしたけれど、容姿端麗なカンデがコントラバスを手に美声を轟かせる姿がやたらと画になっていて、ついついリピートしてしまったほど。
そしてようやく到着した噂の2人のファースト・アルバム『Cande Y Paulo』。こちらもまた極めて画になる曲揃いなのであった。所属は名門のデッカ。プロデューサーに任命されたのが巨匠ラリー・クラインということからも、レーベルがこのニューカマーに寄せる期待度の高さが窺い知れよう。収録曲はカヴァーが主で、ジョージ・ガーシュイン“Summertime”やニール・ヤング“Sugar Mountain”、ジェイムズ・ブレイクもカヴァーしたファイストの“Limit To Your Love”に、ドラマ「ナルコス」で有名になったホドリゴ・アマランチのボレロ“Tuyo”まで色とりどり。曲中に流れるムードもさまざまで、ヨーロッパ的な退廃と官能の香りを醸すものや、土臭いUSルーツ・サウンドに寄っていく局面もあったりするが、概して言えば、ふたりの佇まいがそのまま音に表れたものが多い印象だ。もっと言うと、両者の掛け合いが生み出すエモーショナルな空気感が演奏全体を覆っていて、生々しくも温かい人間模様が描かれていく。
また独特なトーンを特徴づける要素を探るうえでは、母国語のスペイン語が大きくフィーチャーされていることもポイントのひとつで、ボサノヴァ調に料理されたヴェルヴェット・アンダーグラウンド“I'm Waiting For The Man”や、アンソニー・ウィルソンのギターが紡ぐ幽玄な音色も絶品な“Barro Tal Vez”にとりわけ彼ららしい個性が滲んでいる。それからフォルクローレの大家、アタウアルパ・ユパンキの“Preguntan De Donde Soy”に、自分たちのルーツに対する真摯な姿勢が垣間見えるのも特筆すべき点だ。
しかし何といってもカンデのヴォーカルである。時に陰鬱で内省的な表情を浮かべながら闇を手探りしていたかと思えば、低音を活かして妖艶かつ情熱的な側面をアピールしたり、あるいは幼くあどけない感じから枯れた風情を纏ってガラリと変化させるなど、曲世界に応じてキャラクターを巧みに演じ分けている。そこにラリーの映像喚起力の高い音作りが施されていくから、詩情豊かな映画を観ている気にさせられるのだ。
本作の抗い難い魅力についてさらに言うと、簡単に結論へと辿り着かない謎めいた部分が随所に散りばめられている点も挙げておかなければ。これからもっとたくさんの作品に触れないと、彼女たちの実像を言い表すことは困難。そんな底知れぬ可能性を持った逸材である2人だが、日本盤のみのボーナス・トラックとして梶芽衣子“修羅の花”のカヴァー・ヴァージョン(しかも梶本人と共演)を繰り出してくるあたりもミステリアスさに拍車をかける理由になっていたりする。しかしよりによって梶芽衣子をチョイスするとは。最高だ。
カンデ・イ・パウロ
アルゼンチンのサンフアンで結成されたカンデ・ブアッソ(コントラバス/ヴォーカル)とパウロ・カリッソ(キーボード)のデュオ。ブエノスアイレスでの音楽活動を経てサンフアン国立大学で教授を務めるパウロと、かつて彼がピアノを教えたことのあるカンデが再会。2017年に劇場の企画で披露したルイス・アルベルト・ スピネッタ“Barro Tal Vez”のカヴァー動画がYouTubeで1千万以上の再生数を記録して脚光を浴びる。2020年にデッカと契約し、ラリー・クラインのプロデュースでコンスタントに楽曲配信を開始。今年に入ってファイストのスペイン語カヴァー“Limite En Tu Amor”を発表し、ファースト・アルバム『Cande Y Paulo』(Decca/ユニバーサル)を6月4日にリリースする。