ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国民的歌手、ヤドランカ没後5年記念アルバムがリリース

 早いものでヤドランカが亡くなって5年が過ぎた。彼女はバルカン半島にまだユーゴという国が存在していた80年代に縁あって日本を訪れた。しかしほどなく国の解体がはじまり、民族対立のからんだ戦争が、複数の民族の血をひく彼女の居場所を奪った。内戦終結後も心の傷は癒えず、ユーゴが分裂してできた国ボスニア・ヘルツェゴヴィナやクロアチアにときおり仕事で戻ることはあっても、2011年まで日本にとどまり続けた。

JADRANKA 『シュトテネーマ ~あの歌が聴こえる~』 コロムビア(2021)

 叔父のジャズ・バンドで16歳から音楽活動をはじめた彼女は、ポップな人気歌手としてユーロビジョン・ソング・コンテストやサラエヴォ・オリンピックの舞台にも立った。しかし彼女の音楽にはジャズやポップだけでなく、伝統的な音楽の要素も含まれていた。アルバムのタイトル曲は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの伝統歌謡セヴダ(セヴダリンカ)に根ざしている。セヴダの起源はバルカン半島のオスマン・トルコ占領時代にまでさかのぼる。イスパニア王国から追放され、地中海各地に離散したユダヤ人もこの音楽の成立に貢献したらしい。ムスリムの娘にセルビア人青年が淡い想いを寄せる“エミーナ”はそんな歴史を感じさせるセヴダの名曲。そしてこのアルバムのジャケットでヤドランカが持っているサズは、セヴダに使われてきたトルコ伝来の弦楽器だ。

 日本で交流した音楽家は、小室等、coba、佐久間順平、鬼怒無月、高良久美子、芳垣安洋、久米大作、喜多直毅、AYUO、姫神、坂田美子、高木正勝、松武秀樹、長山洋子、国吉良一、服部克久、坂本龍一ら、驚くほど多岐にわたる。このアルバムにはNHKスペシャル『ローマ帝国』の“宿命”(渡辺俊幸と共作)や、「幻想水滸伝」のゲーム音楽“予感”(山内雅弘と共作)も収録されている。

 いくつもの文化が交錯する場で、排除ではなく寛容と共存の夢を信じ続けたヤドランカ。今年3月にはボスニア・ヘルツェゴヴィナの伊藤眞日本大使がバニャ・ルカの墓地を訪れて献花したが、外交官がわざわざ日程を割くほど、彼女はいまも特別な存在なのだ。