包容力ある優しい歌たち 偉大なるシンガー・ソング・ライター最後のベスト
バルカン半島の音楽を最初に意識して聴いたのは、ブルガリアの女声コーラスだった。レッド・ツェッペリンもファンだというノンサッチ盤のブルガリアの村の音楽やフィリップ・クーテフ合唱団のライヴ・アルバムに出会って耳を奪われた。その次は旧ユーゴスラビアのエミール・クストリッツァ監督の一連の映画、特に『ジプシーのとき』と『アンダーグラウンド』に使われた音楽だった。前者のテーマ曲《聖ジョルジュ祭=エデルレジ》やロマのバンドの演奏は忘れがたく、後者にはブラスバンドの響きとブルガリアの女声コーラスを合体させるという荒技もあった。両方の音楽を担当したゴラン・グレゴヴィッチが、若いころレッド・ツェッペリンばりのロック・バンドを結成していたという話を後で知って納得したことも、いまは遠い思い出だ。
ブルガリアの女声コーラスのアルバム『ブルガリアン・ボイスの神秘』が、イギリスのポスト・パンク期を代表するインディ・レーベル4ADから発売されてミリオンセラーになったのが、ワールド・ミュージック元年の1987年。前述の『ジプシーのとき』が1989年。その間の1988年にユーゴスラビアのヤドランカは東芝EMIの邦楽制作部門からデビューし、ユーゴの曲の日本のポップス風編曲や日本語ヴァージョン、日本のポップスのカヴァー作品などを発表した。インディーズのオーマガトキに移ってからは、『サラエヴォのバラード』や『ベイビー・ユニバース』などの名盤で評価を高め、ソングライターとしても活躍を続けた。
ジャーナリスティックには旧ユーゴ内戦のサウンドトラックのように扱われることが多かったが、彼女の音楽の魅力はかぎりなく優美な歌声にあった。文明の十字路バルカン半島の多様な音楽の要素の混合も味わい深かった。日本、ボスニア、フランス、アメリカの才能による『ベイビー・ユニバース』のような洗練された音楽は、彼女が国外で暮らしていなければ生まれなかっただろう。
「ありがとう」を意味するタイトルがつけられたベスト盤『フヴァーラ』の曲は、そんな彼女の全キャリアから選ばれている。《あなはどこに》《一日がもっと長ければ》といった代表曲から、子規や一茶の句に彼女が曲をつけた《俳句》、NHKみんなのうたの《誰かがサズを弾いていた》といった日本語の歌まで16曲。国の分裂という現代史の悲劇に巻きこまれても、それを外から俯瞰する視点を失わなかったことが、彼女の音楽を時代や場所をこえたものにしていた。このアルバムを聴いていると、5月に亡くなった彼女がいまも東京に暮していて、ひょいと現われそうな気がする。