息遣いだけで心を掴む稀代のヴォーカリスト
ピアノと弦楽隊による壮麗な演奏をバックに、玉置浩二が粛々と橋掛かりを渡ってくる。ほどなくして本舞台の中央まで到達すると、彼は不意に立ち止まる。そして慈しむように両手で包み込んだマイクをゆっくりと顔に近づけ、スッと息を吸い込む。やがて今度は吸い込んだ息を吐き出す音がマイクに伝わり、かすかに場の空気を震わせる……。
言葉を発し意味を伝える手前のほんの一刹那に、息遣いだけで聴き手の心を掴んでしまう、そんなヴォーカリストが日本に、いや世界にいったいどれだけいるだろうか? すっかり人口に膾炙し、もはや通念となった感すらある〈玉置浩二=稀代のヴォーカリスト〉という認識が、まあたらしい啓示であるかのように胸に迫ってくる。そして一拍遅れて、そのことを改めて実感できている喜びが湧いてくる。
本日8月18日にBlu-ray、DVDおよびLPの3形態でリリースされた「Chocolate cosmos ~恋の思い出、切ない恋心~」は、玉置浩二が2020年11月に東京・渋谷のセルリアンタワー能楽堂にて行った無観客コンサートの記録である。冒頭の息遣いをめぐる官能的な一瞬を経て、コンサートは“終わらない夏”で幕を開ける。玉置は高音部で朗々たる歌唱を惜しげもなく披露したかと思えば、今度は消え入りそうな声音で切ない思いを吐露するというように、発声を自在にコントロールし、一曲一曲に異なるニュアンスの陰影をつけていく。弾けるような筋肉を強靭な知性で制御するアスリートのごときその様に圧倒され、いまさらのように惚れ惚れとしてしまう。
しかしこのコンサートを特別たらしめているのは、どうも玉置を中心とする演者たちの力だけではないように感じられる。たとえば、“終わらない夏”のサビにおいて玉置が繰り返す〈まだ終わらない夏〉〈まだ終わらない夢〉という夢幻的なフレーズは、あたかも現実そのものであるかのように一種異様な説得力を持って響くが、それには演者たちを包み込む能楽堂という場の特殊な力が大きく作用しているのではないだろうか。
歌声が呼び起こした能楽堂という場の神聖な力
能の舞台においては、〈いまここの現実〉と〈かつてここにあった(そしてもうここにはない)現実〉というふたつの現実が交錯する。そこでは〈いまここの現実〉を代表する人物と〈かつてここにあった現実〉を代表する霊的存在が同等のリアリティーを備えており、彼らは舞台上で濃密に対話しながら夢ともうつつともつかない独特の空間を作り上げていく。そしてその摩訶不思議な時空間に観客として身を委ねていると、ここがどこなのか、自分がいったい誰なのか、だんだんとわからなくなっていき、ただ陶然とするばかりになってしまう。その豊かさの前では、〈空想/現実〉や〈自分/他人〉といった二項対立はあまり意味をなさないもののように感じられてくる。
数多の舞台が演じられてきた能楽堂という場所には、能が本来的に持つそうした未分化なエネルギーが役者たちの汗と共に浸み込んでいることだろう。そして玉置はみずからの肉体を震わせ声を発するというプリミティヴな営みを通して、能楽堂に浸み込む霊的な力を呼び起こしてしまったのかもしれない。まるでイタコのように。そんな絵空事を本気で信じてしまいたくなるくらい、能楽堂で歌う玉置は崇高な迫力を湛えており、そして何より美しいのだ。
だが、それは果たして絵空事と言い切れるだろうか。玉置の歌声はそのとき、本当に能楽堂の霊妙な力を引き寄せていたのではないだろうか。たとえば、“僕は泣いてる”の転調部における〈寂しくて 寂しくて〉というフレーズのなんとも哀切な響き。あるいは、“消えない夜”において抑制的な調子で披露される、ファルセットの艶やかさ。そして、“田園”の導入部におけるアカペラのまるで地鳴りのような力強さ。例を挙げればきりがないが、玉置の歌唱の細部がふと心の琴線に触れ、自分の存在を根幹から揺さぶっているのに気付くとき、そこに彼個人の力を超えた何かが宿っていないと断じることは極めて難しいように感じられる。
もちろん〈どの曲のどの部分にとりわけ強く心を動かされるか〉は、聴く人によって変化するだろうし、同じ人であってもその時々のコンディションによって変化するだろう。したがって、ぜひ本作を実際に味わい、一曲一曲のパフォーマンスの肌理に触れる中で、自分にとっての〈心動かされるポイント〉を発見してみてほしい。だがそれがいかなる箇所であったにせよ、その背後には能楽堂特有のエネルギーが横溢しているに違いない。
いまを生きる人間と霊的存在が同じ地平で邂逅し、めくるめく劇を繰り広げる能の舞台さながら、玉置浩二はこのコンサートを通して幻想とも現実ともつかぬ不思議なひとときを創出し、えも言われぬ幸福感を私たちにもたらしてくれる。それを最後まで体験し終えたあかつきには、平板に思えていた目の前の日常も、かつて生きていた無数の人々といまを生きている無数の人々、それぞれの〈現実〉が織り重なった、分厚いシンフォニーのように思えてくるのではないだろうか。
RELEASE INFORMATION
リリース日:2021年8月18日
■Blu-ray Disc+CD
品番:COZB-1783
価格:8,800円(税込)
■DVD+CD
品番:COZB-1781
価格:7,700円(税込)
TRACKLIST
映像
1. オープニング
2. 終わらない夏
3. ママとカントリービール
4. 僕は泣いてる
5. 泣きたいよ
6. 消えない夜
7. むくのはね
8. 雨
9. 愛を伝えて
10. 君がいないから
11. 夢の都
12. Winter Leaf~君はもういない
13. 田園
14. 特典映像
CD
1. 終わらない夏
2. ママとカントリービール
3. 僕は泣いてる
4. 泣きたいよ
5. 消えない夜
6. むくのはね
7. 雨
8. 愛を伝えて
9. 君がいないから
10. 夢の都
11. Winter Leaf~君はもういない
12. 田園
■LPレコード
品番:COJA-9428
価格:4,180円(税込)
TRACKLIST
Disc 1
A面
1. 終わらない夏
2.ママとカントリービール
00:00:00
B面
1. 僕は泣いてる
2. 泣きたいよ
3. 消えない夜
Disc 2
A面
1. むくのはね
2. 雨
3. 愛を伝えて
B面
1. 君がいないから
2. 夢の都
3. Winter Leaf~君はもういない
4. 田園
LIVE INFORMATION
玉置浩二 Concert Tour 2021 故郷楽団~Chocolate cosmos
2021年9月2日(木)18:00~ 神奈川・相模女子大学グリーンホール 大ホール
2021年9月6日(月)18:00~ 北海道・札幌文化芸術劇場 hitaru
2021年9月7日(火)18:00~ 北海道・旭川市民文化会館 大ホール
2021年9月14日(火)18:00~ 石川・本多の森ホール
2021年9月18日(土)18:00~ 大阪・東大阪文化創造館 Dream House大ホール
2021年9月20日(月)18:00~ 和歌山県民文化会館 大ホール
2021年9月23日(木・祝)18:00~ 静岡・富士市文化会館ロゼシアター
2021年9月26日(日)17:30~ 京都・ロームシアター京都 メインホール
2021年9月27日(月)18:00~ 京都・ロームシアター京都 メインホール
2021年10月2日(土)17:00~ 熊本城ホール
2021年10月4日(月)18:00~ 福岡サンパレス
2021年10月8日(金)18:00~ 山口・周南市文化会館
2021年10月9日(土)17:00~ 岡山市民会館
2021年10月13日(水)18:00~ 長野・ホクト文化ホール・大ホール
2021年10月18日(月)18:00~ 東京・Bunkamura オーチャードホール
2021年10月19日(火)18:00~ 東京・Bunkamura オーチャードホール
2021年10月24日(日)17:00~ 静岡・菊川文化会館アエル
2021年10月28日(木)18:00~ 兵庫・神⼾国際会館こくさいホール
2021年10月29日(金)18:00~ 兵庫・神戸国際会館こくさいホール
2021年10月31日(日)17:00~ 広島文化学園HBGホール
2021年11月4日(木)18:00~ 宮城・東京エレクトロンホール宮城
2021年11月5日(金)18:00~ 福島 とうほう・みんなの文化センター
2021年11月9日(火)18:00~ 東京・府中の森芸術劇場 どりーむホール
2021年11月13日(土)17:00~ 茨城 ザ・ヒロサワ・シティ会館 大ホール
2021年11月15日(月)18:00~ 大阪フェスティバルホール
2021年11月16日(火)18:00~ 大阪フェスティバルホール
2021年11月22日(月)18:00~ 東京国際フォーラム・ホールA