Page 2 / 3 1ページ目から読む

ここにはあるのは祈り――パンデミック下、音楽は一番重要ではなかった

――そして、新作『Naked Truth』はカルテットによるアルバムです。この多大な含みや素晴らしい余韻を抱えた聴き味を認めて、これはまさしくECMから出るにふさわしい内容であると思いました。

「OK。それについては自分では判断しにくいな。だって、ぼくは何らかのスタイルに合わせようとして音楽を作っているわけではない。まあ、潜在意識の中にはそういう所があったとしても、ぼくはその都度その都度、自分の内なる魂を外に解放している。それがたまたまECMにフィットするのかもしれないし、それがECMっぽいと捉えられるのかもしれない。逆に、〈『Big Vicious』はECMっぽくない〉と言われるのかもしれないよね。でも、それは自分が判断することではなく、外部の人間が判断すればいいことだ」

『Naked Truth』収録曲“Part II”

――今作はCOVID-19のパンデミックがなかったら出てこない内容であると思いました。というのも、『Naked Truth』という表題にしても、最後の曲で現況を把握した先に新たなフェイズを求めるような内容を持つ詩(ゼルダ・シュナーソン・ミシュコフスキーによるヘブライ語のものを英訳したもの)を自らナレーションしているのもそう深読みさせます。また、余白を与えようとするように曲のタイトルを付けずに番号で表記したり、ブックレットのなかにはレコーディング中のどうということのないくつろいだ日常を写し出した写真を入れてもいます。そうした要件を認めると、今作はCOVID-19が導いたダークな状況を経なければ出てこなかった音楽であると位置づけたくなりました。

「まったくその通りだ。パンデミックのためぼくは家にいる時間やアイデアが生まれても寝かせておける時間を持て、平常時の〈ツアーで移動して、ライブをして〉といういつもの活動をしていたら絶対に生まれなかった曲を形にすることができた。それができたのは、自分を省みる時間がしっかり持てたことに他ならない。それって皆もそうだと思うんだけど、誰もが人生を一旦ストップしなければならない状況に陥ることを強いられたからね。でも、ぼくにとってはそれがいいタイミングで訪れたと思っている。家にいることができる時間や子供と過ごせる時間を持ち、そして愛という意味をもう一度考え直すこともできた。

意外にも音楽という項目は、そうした時間において重要なものではなかった。だから、そういう渦中にできた音楽は音楽そのものというよりも、そこにそういう状況にいた自分が投影されているのが要点であり、それゆえ各々の曲はタイトルのないものになったんだ」

――そして、何より音楽自体がパンデミックを通過したゆえの聴き味に満ちていると、ぼくは感じてしまいます。すごく祈りのような感覚や慈しみの情にあふれていますから。もちろん、スピリチュアルでもありますし。それで、その総体はジャズでしかありえない、秀でた技量や鋭敏なインタープレイの先にある、ミュージシャン同士の会話の精華と言えるようなものになっています。ぼくはその事実に感激するとともに、これこそは2022年に出てしかるべきアルバムだと思いました。

「さっき音楽が一番重要ではなかったと言ったけど、それは要するに人間の経験する事象に比べたら、音楽の位置は筆頭にはないという意味なんだ。パンデミックが導いた家族や友人や対自分とかいったものの関係性を熟考する時間を経て、それが音楽にしっかり戻っていった。

だから、祈りがここにはある。言わば、ぼくはずっと瞑想を続けていたような所がある。何を祈るかということではなくてどう祈るか、ひいてはどう演奏するかということをぼくはひとえに考えていたように思う。だから、パーフェクトなメロディーをどう書くかではなく、どのように自分は演奏するべきであるのかを熟考した。レコーディングの際はいかに自分のセンシティブな部分や脆い部分を自ら許すかに心を留めたんだ。

それから、そもそも必要な物は何かというのをすごく考えた。演奏するに際して必要のないもの、自分にとって必要のないもの、そうした無駄なものを削ぎ落としていくことについても、ぼくはすごく考えた。そうした過程を経て最後に残った音楽はすごく重要な、演奏しなきゃいけないという核心だけが残ったという気がする」