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 『ラヴァーズ・キス』には、サーフィンをしている男子を、女の子たちが海辺でみているシーンが。

 「今では考えられないぐらいの男女格差もあった。/サーフィンは男の子がするものだった。女の子は彼氏が波に乗ったり巻かれたりするのを浜辺で膝を抱えて眺めているのが普通だった。冬は焚き火の横でブランケットに包まれたりしながらね。私の地元の鎌倉界隈では、よく見かける風景だった。寒そうだけど、あの行為には一種のカタルシスもあっただろう。」(甘糟りり子『バブル、盆に返らず』、光文社)

 時代時代の男女のありかたはちがう。吉田秋生は、その時代時代に敏感に反応してきた。さりげなく。「男のくせに」っていうのがよくない、と、また、「女であると/いうことが/時どき どれほどの/屈辱をもたらすか…/あなたたち男には/わからないでしょう」とは『吉祥天女』。お姫様の話ばっかりの絵本を買ってくる父親が、娘を「うちのお姫さまだから」といって、つれあいが内心「親バカ…」とおもうのも、大学4年生の追い出しコンパの男性たちの会話に「なんだか いやだな/こういう話」と黒い背景のなかで独白するのは『櫻の園』。『詩歌川百景』ではパワハラが、ミクロに、さまざまにくりかえされる。描かれた時代とシンクロする差異のあらわれを、吉田秋生はおろそかにしない。

 『ラヴァーズ・キス』と『詩歌川百景』、人物たちは十代なのに、それぞれずいぶんと違う。前者の制服やTシャツの高校生と、後者の高校を卒業してしごとをしはじめている子たちと、ほぼおなじ年代とは。それでいて、読みすすめていると、それぞれに違和感なく、あたりまえ、なのだ。絵もだいぶ違う。『詩歌川百景』の描きこまれた背景と、人物の顔がクローズアップされたときの白ヌキの背景。『ラヴァーズ・キス』の人物と、背景。ことばの、文字の、多さ少なさも。

 短くない歳月、描かれてきた物語=歴史には、時代時代の刻印がある。描き手じしんの変化もある。『海街diary』の冒頭のエピソードはガラケーに電話がかかってくるところからはじまる。ガラケーはスマートフォンになり、末の妹すずのボーイフレンド風太は、中学の同級生たちのなか、唯一スマートフォンを買ってもらえず、SNSのNYAINからはずれている。

 『海街diary』も『詩歌川百景』も、子どもから老人まで、登場人物の年齢幅が広い。わき役もいるだろうが、それぞれにたしかな過去が、経験があり、若いものたちは詳しく知らないかもしれないながらも、そのひとがいることを測っている。山猫亭のおじさんや湯守の倉石さんがいるだけで、奥ゆきは深くなる。奥ゆきは『海街diary』のオーデンの詩句や、『ラヴァーズ・キス』の扉に引かれたランボーとヴェルレーヌの原詩でもまた。

 少女マンガ、という呼称は、いまもあるのだろうか。少女マンガを描いていても、ある時期から、少女よりもっと年齢の高い層にむけてスタイルを変えるひともいた。読者とともに、作家も、作品もおとなになっていく。そんなところもあった。

 少女マンガが、ひとつの教育装置としてはたらいていた。吉田秋生はそうしたマンガのはたらきのかたちを変えない。マンガが教えてくれるものを、娯楽や気晴らしであるとともに、べつのはたらきをももっていることを、保持しつづける。いま渦中にある十代に、すこし前に過ぎたはずの二十代に、むけてのみならず、いまの十代二十代もかつてと変わっていないところがあることをおとなたちに伝え、変わっていることもあるのを納得させる。恋愛がある時期に人生の大切なことであることは変わらない。ただ無邪気に恋愛をする、誰かが誰かを好きになるだけじゃない。誰かが誰かが好きになることの困難もありうる。ひとが複数いて、血がつながっているとかいないとかではない、もっとべつのつながりもあることも。

 都会とは異なった、いや、探してもみつからないさまざまな情報が、音が、色が、『海街diary』『詩歌川百景』にある。ひとが生きているとは、ひとを好きになるとは、ひととひととのあいだを感じるとは、生きものとしてのものすごくあたりまえの大事なことを、口幅ったい言いかたなら豊かさを、吉田秋生は描く。そこではネットをのぞいている背を曲げている暇なんかない。なつかしい、忘れかけているものをノスタルジックに、でなく、ヴィヴィッドないまのこととして。

 


PROFILE: 吉田秋生(Akimi Yoshida)
8月12日東京都生まれ。武蔵野美術大学卒。1977年、別冊少女コミック(小学館)にて「ちょっと不思議な下宿人」でデビュー。『カリフォルニア物語』『BANANA FISH』『ラヴァーズ・キス』『河よりも長くゆるやかに』など多くの代表作があり、その多くが映画化、舞台化されている。1983年『吉祥天女』で第29回、2001年『YASHA −夜叉−』で第47回小学館漫画賞を受賞。2007年に鎌倉に暮らす家族の絆を描いた『海街diary』で第61回小学館漫画賞、第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門 優秀賞、マンガ大賞2013を受賞。現在は「月刊flowers」で活躍中。

 


寄稿者プロフィール
小沼純一(Jun’ichi Konuma)

8月13日東京都生まれ。著書に批評的エッセイとして『武満徹逍遥』『本を弾く』『映画に耳を』ほか、創作として、新刊『ふりかえる日、日 めいのレッスン』と『sotto』『しっぽがない』など。