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照れくさい歌詞をヤッチンに歌わせる

――The Good-Byeのすごさって、サウンドだけじゃなく歌詞も洋楽のように楽しめるところなんですよ。“YOU惑-MAY惑”や“にくめないのがニクイのサ”は、歌詞のキャッチーなフレーズがいちいち耳に残ります。洋楽の、英語はよくわからないけど知ってる単語だけ聞き取れる感じに近いと思うんです。日本語の曲は歌詞がダメだとわかるじゃないですか、日本語だから(笑)。ロックじゃない!とか思っちゃう。The Good-Byeは完全にロックの歌詞ですね。

曾我「それはやっぱり、義男の才能だね」

野村「深い詞が書けなかったから(笑)」

曾我「パッと聞いた時に耳に残る言葉をチョイスしてるよね」

野村「そういえば、“YES! YES!! YES!!!”(86年)の歌詞にはエピソードがあって。プリプロと撮影を兼ねて、ビクタースタジオから車で清里に向かったんだよね。車に乗る前、ヤッチンから〈この曲の歌詞、書いといて〉ってテープを渡されて、車のなかでかけたら“YES! YES!! YES!!!”のデモだったんです。清里に着いた時には詞を書き上げて、ヤッチンに〈はい〉って渡したな」

――車のスピード感があの詞に表れているんですね!

野村「高速を走っていなかったら、もうちょっと緩い詞だったかも(笑)」

衛藤「書くの早いよね~!」

野村「ヤッチンの曲って、褒めるわけじゃないけど(笑)、〈♪ラララ〉とかインチキ英語の歌が入ってるから早く書けるんですよ。他のアーティストに作詞を依頼されても時間がかかってしまいますね」

――お2人は以心伝心なんでしょうね。

野村「でも、たまにめんどくさいのがあって。歌が入っていないデモね。自分で書けないからこっちに回したなっていう(笑)。そういう時は〈くっそー、仕返しだ!〉って、歌うのが照れくさいストレートな詞を書くんです(笑)。〈君を愛してる〉みたいな詞を書いて、〈どうだ!〉ってね。自分じゃ歌えないからさ(笑)」

 

The Good-Byeは日本語ラップの先駆者?

――野村さんの言葉遊びが独特になってきたのが“摩訶WHO SEE議”(85年作『ALL YOU NEED IS…グッバイに夢中!』収録曲)からだと思うんです。あの曲にはコマやメンコが出てきますよね。

野村「あの曲は、近所の(中野の)川島通り商店街の最後のところにあった駄菓子屋がモデルなんです」

――そうだったんですね! フュージョンファンクにジャポニズムをプラスしたサウンドは?

野村「あれはね、クリームをファンクにしただけなの(笑)。(エリック・)クラプトンのクリームの8ビートの曲(“Sunshine Of Your Love”)をファンクにしたらカッコいいかもって」

クリームの67年作『Disraeli Gears』収録曲“Sunshine Of Your Love”

――大好きな曲なんですよね。当時から評価されていましたか?

野村「どうなんだろう? アルバムの1曲目だもんね。シングル(“気分モヤモヤ サラサラ チクチク”)のB面が先だっけ? だから、毛色の違うサウンドになってるんだよね」

川原伸司「アルバムが先だね。あれもジャニーさんが気に入った曲だった」

野村「あの曲の最後では、〈ラップってのをやってみようぜ〉と挑戦してみたんです。でも、日本に上陸する前だったからさ、朗読になっちゃってるわけ(笑)」

曾我「〈♪麦茶に抹茶に僕ヨッちゃん〉ね(笑)」」

野村「〈4LDK住みたいな〉とか(笑)」

――“摩訶WHO SEE議”の発展型が“花のお江戸は華盛り”(88年作『ALBUM』収録曲)だと思っていましたが、改めてクレジットを見ると、あの曲の作詞は衛藤さんなんですね。

野村「あの曲のラップはパーフェクトなんですよ。〈やられた! なんで俺が書けなかったんだろう〉と悔しかったもん」

衛藤「(笑)。あの歌詞は、江戸語辞典を3冊くらい買ってきて、良さそうな言葉を書き出して組み立てていったんですよ」

The Good-Bye 『Album』 ビクター(1988, 2004)

――The Good-Byeのみなさんは、作詞をする時に色々と研究するんですね。野村さんの“浪漫幻夢(Romantic Game)”(87年作『#6 Dream』収録曲)も……。

野村「星の本を買って、望遠鏡まで買ったからね!」

衛藤「あと、ギリシャ神話の本ね」

野村「星の回り方ってのがあるからさ、それをちゃんと勉強して、〈この星からこの星へ、こう行けるかな? おっ、行ける行ける!〉なんて考えながら書いたんだよね」

The Good-Bye 『#6 Dream』 ビクター(1987, 2004)