Photo by Harald Hoffmann

作曲家のアイデンティティと自身のアイデンティティを探求する三浦謙司の意欲作

 2019年、パリで開催されたロン・ティボー・クレスパン国際音楽コンクールのピアノ部門において、三浦謙司が優勝という快挙を成し遂げた。その優勝記念としてデビュー録音が企画されたが、コロナ禍の影響で延期され、2021年11月15日~17日にようやく実践された。これはフランスのサンリスにあるサン=フランプール礼拝堂で行われている。

 「993年に建造され、ルイ7世によって再建された古い教会です。1973年にピアニストのジョルジュ・シフラが買い取り、若い芸術家のためのホールとして改修し、シフラも演奏・録音に使用していました。ヤマハのピアノが置いてあり、今回はその楽器で録音しました。コロナ禍でなかなか録音が決まらず、ずっとスタンバイ。それが録音の1週間前に決まり、シフラは大好きなピアニストですので、この教会で録音できることに悦びを感じました」

 三浦謙司は長年ヨーロッパで暮らし、自身のアイデンティティの探求に努め、それが彼の音楽の根幹を成している大切な面でもある。アルバムタイトルも『アイデンティティ』。

三浦謙司 『アイデンティティ~フランク、武満徹、ラヴェル、ドビュッシー:ピアノ作品集』 Warner Classics(2022)

 「CDというのは半永久的に残りますので、コンサートとは違う意味でプログラム構成は時間をかけてじっくり考えました。僕はいまベルリン在住ですが、世界のどこでも住めると考えています。これまでいろんな土地に住みましたが、自分のアイデンティティを常に意識し、演奏ではそれを表現しています。作曲家も多種多様なアイデンティティを作品で表し、自身の生き方を生涯に渡って追求している。その意味で、まずベルギー人ですがフランスで活躍したフランク(ハロルド・バウアー編)の“前奏曲、フーガと変奏曲”で開始します。フランクは複雑な環境で生きながら、ドイツ人のような構成のしっかりした作品を書いています。ハーモニーは晩年のリストのよう。これに武満徹の最初と最後の作品へと続けます。武満はジョン・ケージの考えに共鳴し、そこから自身の日本人としてのアイデンティティを模索しています。今回は人間性を前面に出したいと考え、多少のミスタッチは修正していません。完璧な出来には興味ないので……」

 次いでラヴェルの“水の戯れ”“高雅で感傷的なワルツ”、ドビュッシーの“6つの古代のエピグラフ”“喜びの島”が登場する。

 「ラヴェルとドビュッシーはよく一緒に演奏されますが、まったく異なる作風と表現を備えています。今回は有名な作品を並べるのではなく、マイナーな曲も含め、その曲から作曲家の真意を受け取ってほしいと思い、選曲しました。ラヴェルとドビュッシーは同時代に同じ場所で活躍しましたが、個性が際立つよう選曲に工夫を施しています」

 三浦謙司の演奏は非常に端正で落ち着いた、自然体のピアニズム。気負いや気取り、また作為的な面がまったくなく、作品の内奥にひたすら迫っていく奏法で、ひとつひとつの音がこまやかにていねいに紡がれていく。

 「僕は音楽のみならず常にいろんな面に好奇心を抱き、新たなことを探求する心を失わず、自分の知らないことに疑問をもつことが大切だと思っています。いまイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの著した『サピエンス全史』を読んでいますが、知らないことを知るのは大いなる悦びです。宇宙物理にも興味があり、関係した書籍も読んでいます。クラシックだけではなくビートルズやピンクフロイドの録音も聴き、彼らがアルバムに込めたコンセプトを探るのもおもしろい」

 さまざまな方向性に常にアンテナを広げている彼は、今回のアルバムのジャケットにも一家言をもつ。あえてピアノを入れず、本人の上半身の写真だけでデザインした仕上がりだ。

 「いつの日か休憩、拍手なしで1時間通してこだわりの選曲で演奏会を行いたい。僕自身も聴衆も全身全霊で音楽に没入する。そんな時間を共有したいのです。感情に訴え、精神性に訴える。音楽は一瞬にしか生まれないはかなさがある。そこに一番魅了されるのです」

 


三浦謙司(Kenji Miura)
2019年、アルゲリッチが審査員長を務めたロン・ティボー・クレスパン国際コンクールで優勝及び3つの特別賞を獲得、新たな才能としてその名を世界に知られる。これまでに第4回マンハッタン国際音楽コンクール金賞受賞、第1回Shigeru Kawai国際ピアノコンクール優勝、2017年スタインウェイコンクールベルリン第1位をそれぞれ獲得。第9回浜松国際ピアノコンクールで奨励賞及びにAAF賞を受賞。2014年4月、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学に入り直し、Eldar Nebolsinに師事。

 


LIVE INFORMATION
東京交響楽団 名曲全集第181回
2022年11月12日(土)神奈川 ミューザ川崎 シンフォニーホール
開演:14:00

■曲目
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調

三浦謙司 ピアノ・リサイタル
2022年11月13日(日)神奈川・横浜 港南区民文化センター ひまわりの郷
開演:14:00

■曲目
J.S.バッハ:パルティータ 第1番 BWV825
ブラームス:3つの間奏曲 Op.117
ショパン:バラード 第3番 Op.47
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
ボルトキエヴィチ:10の前奏曲 Op.33~No.3,6,8
J.S.バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ

兵庫芸術文化センター管弦楽団 第137回定期演奏会
2022年11月18日(金)兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール
2022年11月19日(土)兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール
2022年11月20日(日)兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール
開演:15:00

■曲目
ラフマニノフ(生誕150年):ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30

九州交響楽団 第410回定期演奏会
2023年2月11日(土・祝)アクロス福岡 シンフォニーホール
開演:15:00

■曲目
ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15

広島交響楽団 第428回定期演奏会
2023年2月23日(木・祝)広島文化学園 HBGホール
開演:15:00

■曲目
ラフマニノフ(生誕150年):ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30

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