(左から)蜷川べに、呉青峰

呉青峰(ウー・チンフォン/Qing Feng Wu)は、台湾の音楽シーンで絶大な影響力を誇る人気バンド・蘇打綠のボーカリストとして知られるアーティストだ。2018年のソロデビュー以降は台湾のグラミー賞こと金曲奨(Golden Melody Awards)を受賞するなど、同地を代表するシンガーソングライターとして活躍している。そんな呉青峰が、ソロ3作目となるアルバム『馬拉美的星期二(マラルメの火曜日)』をリリースした。コンセプチュアルな作り込み、グローバルで多彩なゲストとの音楽的挑戦が光る本作には、なんと日本から和楽器バンドの津軽三味線奏者・蜷川べにが参加している。そこで今回は、来日した呉青峰と蜷川べにとの特別対談を実施。作り手どうしの対話は深い部分にまで及び……。 *Mikiki編集部

※ソーダグリーン(sodagreen)。2001年に結成されたインディーバンドで、2017年に3年間活動休止したのち復活、現在は魚丁糸(ユーディンミン/oaeen)という名前で活動している

呉青峰 『馬拉美的星期二』 Decca(2022)

 

呉青峰 × 蜷川べにの音楽を通じた対話

――『マラルメの火曜日』は、どのようなコンセプトの作品なのでしょうか。

呉青峰「19世紀末のフランスでは、マラルメという詩人がプライベートサロンを開催していたんです。このアルバムをある種のサロンとして、あらゆるアーティストを招いて対話するなかで〈創作とはどういうことなのか〉に向きあい、〈これまで自分ひとりで創作するだけでは到達できなかった、違う作品を作ることができないか〉というのが今作の主題であり核心的なテーマでした」

『馬拉美的星期二』収録曲“(......Le Petit Prince)(feat. 大橋トリオ)”

――蜷川べにさんを招いた“(......Siren Salon)”は、どのような世界観の楽曲なのでしょうか。

青峰「英語だと〈Siren Salon〉ですが、中国語では海妖サロンを意味する〈海妖沙龍〉というタイトルになっていて。海を司る神獣や妖怪は、自分の潜在意識における誘惑などの象徴なんです。

最初のイメージは大海原なんですが、浮世絵も脳裏をよぎり、自然と三味線の音色が自分のなかで広がっていきました。〈三味線の音色を取り入れたい〉と思い、べにさんのバンドや作品、ネットに上がっている映像なども拝見させていただき、お声がけした経緯があります」

『馬拉美的星期二』収録曲“(......Siren Salon) (feat. 蜷川べに)”

蜷川べに「この楽曲は青峰さんの経験や個人的な思いいれが反映されているんですか」

青峰「実をいうと、このアルバムの楽曲は夢うつつの中で作ったんです。夢のなかにいるようなウトウトした状態で思いつくことって、普段はしない発想だったり夢から伝えられるメッセージだったりすると思うんですよね。

それをキャッチして作品に落としこんでいくということは、無知な海人である僕が未知なる大海原を航海していくようなもの。僕はその大海原が豊かな命を育む海なのか、それとも自分を命の危険にさらす海なのかを知らないし、もしかすると楽しく歌を歌っているなかで自分がボロボロになっていくことに気づいてないかもしれない。そういった自分と創作の関係性は僕の経験の蓄積であり、夢うつつのなかで体現していったひとつの結果が“(......Siren Salon)”といえるのかもしれません」

蜷川「ありがとうございます。とても腑に落ちました」

――〈腑に落ちた〉ということは、青峰さんから楽曲を受け取ったときに今のお話にでてきたような要素を感じとっていたということでしょうか。

蜷川「はい。初めて楽曲を聴かせていただいたときに、曖昧なものの美しさをすごく感じて。おっしゃっていたような無意識や夢うつつのなかで生まれた世界観を大切にしたいと思ったんです。

和楽器バンドでレコーディングするときは、受け取った楽曲の音源やコード譜をもとにアレンジを考えていくのが各パートの仕事。でも、今回の作品については、そのやり方に楽曲をはめこんでいいのかという疑問がありました。コードに沿って決まった音楽をやるより、ちょっと外れたアレンジを必要とされているように感じたんです。明るさや華やかさ、ふわっとした世界観を三味線でどのように表現しようかと。結果的にソロパートは何パターンか録って青峰さんに選んでいただく形にして、それ以外は印象的なフレーズをもとにして決めたフレーズを弾かせていただきました」

青峰「べにさんが返してくださったソロパートは、全パターンが素晴らしかったです。どのアレンジも自分の想像通りだったし、想像を超えるものでもあった。もちろん僕のほうから修正をかけることはなく、すべてのパターンにおいて提出していただいた状態ですでに完成されていたように思います」

蜷川「曖昧な美しさをいかに表現するか、余白の部分は悩みましたね」

青峰「〈余白〉というワードを出してくださって、とても嬉しいです。僕がそれぞれの曲につけているタイトルは、〈鍵かっこ〉的なものでしかないですし、やはり音楽は〈こういうことを伝えたいので、受け取ってください〉というものではなく、リスナーの耳や手に渡り解釈され理解されて完成するものだと思うので。一方で、とても申しわけない気持ちもあります」

――申しわけない気持ち、ですか。

青峰「べにさんに楽曲をお渡しする際に、最低限の翻訳をした説明文はつけさせてもらいましたけど、僕から親切な説明をしなかったんです。僕も余白を大切にしているからこそ、余計な解釈はせず自由に創作してほしいし、アレンジしてほしかった。実験的な意味もこめて、あえて詳しい説明はせず、歌詞も伝えなかったんです。メロディーラインを聴いたときに、その世界観や作品に対して起こる反射的な反応は、すごく直接的なものだと思うし、そういった音楽の対話を大事にしているので。先ほどのべにさんのお話を聞いて〈音楽で対話できていたんだな〉と思いました」