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“明日なき世界”と“風に吹かれて”のつながり

――でも、『COVERS』の制作にメンバーはあまり乗っていなかった……?

「清志郎さんがリーダーで作ったと言っていいと思います。(山口)冨士夫さんやジョニー・サンダースの参加も、よかったと思いますね」

――いいバランスですよね。

「当時の清志郎さんは、ソウルやブルースについては語っていたのですが、ロックやポップスのルーツは表に出さなかった。『COVERS』には、そのルーツが感じられます。

たとえば、“明日なき世界”は、まるでオリジナルのようにフィットしている。原曲はP.F.スローンで、65年にバリー・マクガイアが歌ってヒットした曲ですね。それを関西フォークの高石ともやさんが日本語訳して歌っていてましたが、アティテュードはロックそのものでした。

『COVERS』収録曲“明日なき世界”

バリー・マクガイアの65年作『Eve Of Destruction』収録曲“Eve Of Destruction”

高石ともやの69年作『坊や大きくならないで 高石友也フォーク・アルバム第3集』収録曲“明日なき世界”

P.F.スローンはボブ・ディランの“風に吹かれて”にインスピレーションを受けてこの曲を書いたそうで、ベトナム戦争中にアメリカの歌い手たちが感じたことを歌っていたのを思うと、清志郎さんの姿も重なります。それが日本に受け継がれ、初期のRCもそのなかにいましたから。

『COVERS』収録曲“風に吹かれて”

ボブ・ディランの63年作『The Freewheelin’ Bob Dylan』収録曲“Blowin’ In The Wind”

『COVERS』は1曲目に“明日なき世界”、2曲目に“風に吹かれて”が置かれていますが、清志郎さんはこの2曲のつながりをご存知だったんだと思います。

あとで知ったのですが、ジョニー・サンダースも87年のライブでこの曲をカバーしていたそうです。『COVERS』にはジョニーの声を入れていますし、同時期に2人がこの曲にアクセスして録音作品に結実させたのは、ロックの重要な伝説です」

ジョニー・サンダースの83年作『Hurt Me』収録曲“Eve of Destruction”

――そうですね。

「そして、この頃のRCの作品は元祖オルタナバンドとしての色が特に出ているサウンドで、時代に合っていた。ローリング・ストーンズ風に聴かせるのですが、ロックンロールだけに終始しない音楽性なんです」

 

バブル真っ只中の日本、3.11まで届かなかったメッセージ

――しかし、『COVERS』は、6月に発売中止されることが発表されます。

「発売中止になったとき、原子力発電はそんなに大変なものなんだと初めて知りました。当時はバブル真っ只中で、社会的な事件より狂乱の世界のほうが勝っていましたから。海外のアーティストが〈ノー・ニュークス〉と叫んでも届かなかったんです」

――僕がRCを聴き始めたのがちょうどその頃で、記憶に強く残っています。

「発売中止は僕が東芝EMIに入る直前ぐらいの出来事ですが、放送禁止などはそれまでにもあったので大きな衝撃はなかったんです。ただ、中止の理由がわからなかった。〈原発って、そんなに悪いものなのかな?〉と。僕たちの少年時代、原子力は未来のエネルギーだと刷り込まれていた気がしますし。

そして、中止の理由がわかると、ロックに関わる多くの人々がその問題を考えた。それまで原子力が大変なリスクを孕んでいることは知られていなくて、リアリティがなかったんです。

黒柳徹子さんは、そのことを言葉にされていましたね。武道館での清志郎さんのトリビュートライブ(2011年)で、〈私たちはあのとき、あなたの話をもっとちゃんと聞いていればよかった〉とコメントされていたんです。『COVERS』を象徴していますよね。

その後、発売中止が新聞やテレビのニュースに取り上げられ、清志郎さんが有名人だったことと原子力という巨大エネルギーの問題がぶつかって、大事件になってしまった」

――清志郎さんが表紙の「ロッキング・オン・ジャパン」の88年7月号には、〈どうして、今、反戦反核なのか〉と打ち出されていますね。

「そのインタビューで清志郎さんは〈自分の作品を弾圧された〉と語っていて、〈弾圧〉という言葉を使っていたのが印象的でした。

あと、『GB』の別冊だったと思いますが、北中正和さんが『COVERS』に言及した原稿が載っていて、あの記事が経緯や背景をちゃんと追ったものだと思います。こういう題材は、日本の音楽メディアにとって初めてのものでした」

――発売中止の広告についても、教えてもらえますか?

「石坂(敬一/東芝EMI、当時の統括本部長)さんが清志郎さんをホテルオークラに呼んで〈このアルバムは出せない〉という話をしたとき、清志郎さんは灰皿を投げたことになっていますが、実際は投げていません。

それで、清志郎さんは、発売中止について〈素晴らしすぎて発売出来ません〉という広告を新聞に出してほしいと言ったと。近藤さんがすぐに枠を押さえようとしたのですが、いっぱいで大きなスペースを押さえられなかったので、あの小さなサイズになってしまって。それが逆にミステリアスさを醸し出して、大ニュースになった。

それと、『COVERS』がキティからリリースされたあと、佐野元春さんが“警告どおり 計画どおり”を出しているんですね」

――『COVERS』のリリースの3日後、8月18日ですね。

「その後、THE BLUE HEARTSが“チェルノブイリ”という曲を出すんです。この3作は衝撃的でした。

しかし、それ以降、『COVERS』はアルバムの本質とちがう方向に転がり、RCは〈反原発ロック〉なんて名付けられてしまって、清志郎さんは反逆の象徴になり、プロテストソングを多く歌うようになって、その年の野音も全然ちがうものになってしまった……」