NAKAMURA Hiroyuki

ピアニストで作曲家、電子音楽家の中村浩之(NAKAMURA Hiroyuki)が、自身の名義のアルバムとしては初となる作品を2枚立て続けにリリースした。1枚はピアノの音を素材に電子音響のようなサウンドも散りばめたソロ作『Look Up At The Stars』。もう1枚はもともとダンス公演の劇伴として作られた、中村が率いる10人編成アンサンブル〈Beyond Boundary Chamber Orchestra〉によるジャンル越境的なアルバム『SITA』だ。

中村浩之は2009年に電子音響ノイズ作品のデビューソロEP『TRITONOMICS』をアメリカのレーベル〈Overlap〉から発表。同年にチェロ奏者の穴田貴也、コントラバス奏者の服部将典を率いた自身のトリオ〈NH-Trio〉を結成し、2011年にはサックス奏者の宇津木紘一とともにユニット〈UN.a〉を始動、さらに2014年にクラシカルポップユニット〈JOY-S〉を主宰してきた。なかでも現在まで断続的に活動を続けるUN.aは、2015年にファーストアルバム『Intersecting』を〈PURRE GOOHN〉からリリース、ゲストボーカルを迎えたエレクトロニックジャズ風の音楽は21世紀の現代ジャズとも共振するジャンル混淆性を備えていた。

他にも楽曲/アルバムのプロデュースや講師業、レーベル運営、映像制作など多方面で活躍する中村。「今は〈場〉を作ることに興味がある」と語る彼に、これまでの音楽活動の変遷から2枚の新作アルバム、そして2023年5月27日(土)にJR川崎駅からほど近くで開催する屋外コンサート〈VENUSの祝祭〉についてまで伺った。

NAKAMURA Hiroyuki Project “Beyond Boundary Chamber Orchestra” 『SITA』 ダイキムジカ(2023)

 

クラシックピアノ、ピアソラ、坪口昌恭

――中村さんは昭和音楽大学をピアノ科で卒業された後、映画美学校で学ばれたんですよね?

「そうです。僕は富山県出身なんですけど、もともとは作曲をやりたくて。当時の先生に〈作曲をやるならピアノ弾けなきゃダメだ〉と言われて、それで高校からピアノを再開して、なんとか大学もピアノ科で入りました。大学時代はクラシックのピアノの先生に師事して、毎日6時間ぐらいレッスンを受けていましたね。そのおかげで良い成績で卒業できました」

――当時目指していた作曲というのは、どういった種類の音楽でしたか?

「最初に作曲をやりたいと思った中学の頃は、坂本龍一さんとか久石譲さんとか、ああいった音楽ですね。けれど高校の時に、ちょうど世間で流行っていたこともあって、ピアソラにハマったんです。そこで全てが変わった感じがします。ピアソラになりたいと思ったというか。演奏がちゃんとできる上で作曲をやるというスタイルに憧れたこともあって、ピアノにも打ち込みました」

――大学卒業後、映画美学校に入学されたのはなぜでしょうか?

「クラシック漬けだった高校の時にCorneliusとか渋谷系の色々な面白い音楽を教えてくれた地元の知り合いがいて、その人が映画美学校に行ってたんですよね。それと、実は大学時代に僕、東京ザヴィヌルバッハにハマったことがあって。それもあって通うことにしました。電子音楽も勉強したかったのでシンセサイザーを買って。横川理彦さんからDTMについて習ったり、菊地成孔さんから楽理を学んだり、岸野雄一さんの講義を受けたり。大友良英さんも講義をしに来ていて、ものすごく影響を受けました。映画美学校では本当に面白い音楽にいっぱい出会ったので、人生の方向性が大きく変わりましたね。

それと僕にはピアノの師匠が3人いるんですけど、1人は坪口昌恭さんなんです。弟子入りをお願いしたことがあって、一時期はボーヤみたいなこともしていました」

――ピアソラにしても東京ザヴィヌルバッハにしても、いわゆる古典的なクラシック音楽というより、コンテンポラリーな音楽に興味があったんですね。

「でも、やっぱり一番好きなのはショパンだし、古典は大好きなんですよ。僕のもう1人のピアノの先生が遠藤志葉さんという、日本最高峰のバッハ演奏者で。バッハ国際コンクールで4位になったこともある凄腕の方なんです。だから僕もバッハをひたすら勉強して、大学では古典的なクラシックとずっと向き合っていました。最後に1曲だけスクリャービンをやらせてくださいと言って怒られたぐらいですから(笑)。

なのでソロピアノだと、正直言ってジャズで聴けるものなんかないとさえ思っていた。クラシックの方がよっぽどいいだろうと。クラシックを超えるジャズピアノの人というと、ブラッド・メルドーぐらい。メルドーは別格です。メルドーがいたから色々なミュージシャンが出てきたところはある。いまだに神様みたいに感じていますね」

――大学卒業後にクラシックの道に進もうとは考えなかったのでしょうか?

「大学に入学したばかりの頃、〈向いてないからピアノやめた方がいいよ〉と高名な先生に言われたことがあって。それで、その先生をギャフンと言わせてやろう、というのが大学時代の僕の目標だったんです(笑)。結果、4年後に良い成績でその先生を驚かせて卒業することができた。そしたら今度はその先生が〈中村くんはプロになれる〉と言ってきたので、もうクラシックはやめようと思ってグランドピアノを売りました(笑)。

でも、クラシックで食えないということは大学の頃からわかっていたし、面白くない世界だなと感じていました。クラシックは好きだけど、クラシック業界に興味はなかったというか」