2023年リマスターによって蘇る1987年の〈伝説のホルショフスキー/カザルスホール・リサイタル〉
その時はまだ、ただの音楽ファンに過ぎなかった私が、1987年にオープンしたばかりのカザルスホール(東京・御茶ノ水)でのミエチスラフ・ホルショフスキー(1892~1993)の貴重なコンサートを聴きに行くことが出来たのか、その経緯も理由もまったく思い出せないのだけれど、チェロの巨匠カザルス(1876~1973)の共演者として、忘れがたい『ホワイトハウス・コンサート』(1961年)でもその名をアレクサンダー・シュナイダーと共に連ねていたホルショフスキーは、私たち世代にとっては伝説の演奏家のひとりで、彼が生きている間にその実演に接する事ができるなど、思いもしていなかったのは事実である。
しかし、1987年12月9日、20時開演の予告通り、ホルショフスキーはカザルスホールの舞台の上に現れた。1892年6月23日レンベルク(現在のウクライナ、リヴィウ)に生まれた彼は95歳を超えていた訳だが、ステージに登場する時も、そしてピアノに向かっている間も、まったくその年齢のことを感じさせなかった。私にとっては彼の弾くショパンの音の輝きが、その後のピアニストを聴く基準ともなってしまったほど、みずみずしく、また新鮮なものであった。
90歳を超えた頃から改めてソロ・ピアニストとしての活動を積極的に行うようになったホルショフスキーについてのドキュメンタリー『100歳のピアニスト ホルショフスキーの奇跡』も1992年にレーザーディスク(CBSソニー)でリリースされたし、ノンサッチ・レーベルからもカーティス音楽院でのライヴ演奏を収録したCDが3枚ほど出されてたと記憶する。まさに時代はホルショフスキーを求めていた。1992年にはニューヨーク、カーネギーホールで100歳記念リサイタルを予定していたが、それは残念ながらキャンセルされ、ホルショフスキーは1993年5月22日にその長い人生を閉じた。
ホルショフスキーからモーツァルトの極意を教えられたというマレイ・ペライア(マルボロ音楽祭で出会った)が1983年にオールドバラ音楽祭(イギリス)に師を招き、そこから再びソリストとしての注目が集まったホルショフスキーの晩年は、おそらく最も充実した時代だったのかもしれない。ふたつの世界大戦やホロコースト、革命をくぐり抜けた音楽家たちの演奏を、それをまったく経験していない私たちのような世代が聴くことの意味は、さらに混沌として来た今こそ、改めてしっかりと受け止めてみるべきだ。
さて、その伝説の〈カザルスホール〉での2日間のリサイタルだが、まず今回の『メモリアル・ボックス』は2023年DSDリマスターによる3枚のハイブリッド・ディスク、プラス映像(ブルーレイ・ディスク)1枚の構成となった。12月9、11日のリサイタルはアンコールも含めて完全に収録されている。ディスク1、2に収録された第1日目のライヴでは、当初はショパンの前にヴィラ=ロボスの2曲“満ち潮引き潮”“飛べ、飛べ、ハヤブサさん”の演奏が予定されていたが、それを弾き忘れたのか、ホルショフスキーはショパンを弾いた後に楽屋に戻り、その後ヴィラ=ロボスを演奏した。それらも含めて、すべて当日の演奏順に再現されている。この中では、バッハの “イギリス組曲第5番”ショパン “即興曲第1番”“ポロネーズ第1番”などが今回初CD化された。ディスク3は2日目の12月11日公演をアンコールまで完全収録し、ディスク4はブルーレイ化された映像によって、1日目の公演を、当初の発表通りの曲順に並べ替えた形で見ることができる。ドキュメンタリー「100歳のピアニスト ホルショフスキー」も〈AI超解像技術〉によるアップコンバートで、自宅でのインタヴューなども交え、1991年のルツェルン音楽祭などでのライヴの模様を伝えてくれる。またカザルスホールでの2日間のライヴ録音から全演目を重複なしに収録した2枚組のアルバムもSACDとしてリマスターされた。今に蘇る演奏家としてのホルショフスキーのみずみずしさ、その驚きをもう一度、体験し直したい。