Page 2 / 2 1ページ目から読む

他とは違うぞ!という反骨心

 豊かな奥行きがあってめっぽう頑丈な歌の向こうにそびえ立つ世界へさまざまなにイメージを走らせながら、現在進行形である自身の表現をブラッシュアップさせようとする果敢な試みの数々。今回はそこに〈等身大〉の要素が強まったことで作品全体に魅惑的な複雑さがもたらされているし、憧れだけで進んでいるのではなく別の新しい景色を描き出そうと日夜奮励を繰り返す彼の音楽的な基本姿勢が見えやすくなっているはず。そんな本作の構成要素のなかでも、あの頃の歌謡曲へのオマージュの在り方はひときわ際立っていると言えよう。例えば、全曲を共同プロデュースした神谷樹とのデュエットで聴かせる“夏の終りのハーモニー”(オリジナル:井上陽水&安全地帯)ではドゥワップ調のコーラスを敷き詰めて、オリジナルとは別種のロマンティシズムを演出していたりする。煌びやかにコーディネートされたサウンドをあっさりトレースしたりせず、一度ガバッと剥ぎ取って曲の核をガシッと掴み取る。その作業にまず時間をかけるのがジャンク流。そんな成果は“テレフォン・ナンバー”などにも顕著に顕れていて、不器用な男がひとりホテルで酒を食らうかのような、バブリーさとは無縁の物語を想像させられる。なかでも真骨頂は、荒井由実の名バラード“雨のステイション”での歌いっぷりだ。舞台となった西立川駅前はジャンク フジヤマが歌うことで警報級のどしゃぶり状態になり、びしょ濡れのまま極寒に耐え続ける男の情熱的な失恋物語へと様変わりしている。

 「そもそもシティ・ポップの根幹にはたいてい泥臭さがある。それをどうにかお洒落にコーディネートしようと切磋琢磨した結果、ああいうサウンドに行きついたと僕は思っていて、そこを取っ払っちゃうとすごく軽くなっちゃう。だからけっこう試行錯誤しましたね。“ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER”(オリジナル:杉山清貴&オメガトライブ)なんかも、サビの〈夏物語~〉の箇所を杉山清貴さん風に伸ばしちゃうと強すぎるって声があったんでスパッと切った。そこの空きスペースに神谷くんが〈Never Ending Summer~〉って裏メロのフレーズを作って入れてくれました。あと“WINDY SUMMER”って原曲は切れ味の鋭いブラス・セクションが要を担っているんですけど、そのフレーズをあえてギターで弾いてみたり。で、カッティングも8分で打って、後ろでベースがしっかりとグルーヴを紡いでいく感じにした。イメージ的にはPARACHUTEのようなフュージョン・バンドっぽいアプローチ。そういうことをやっている人っていまほとんど見かけなくなったじゃないですか。20年前だったら、〈なんだ、フュージョンか〉なんて言われた可能性もあるけど、もはや誰も口にしなくなっている」。

 続いて〈等身大〉の要素についても言及せねば。その側面を担っているのは、98年発表というアルバム中ではもっとも若いbenzoの“真昼”だ。この珠玉のメロウ・グルーヴこそ、ジャンク フジヤマにとって真のリアルタイム・ミュージックといえる1曲なのである。

 「大学の頃、ドラマーの神谷純平といっしょにバンドを始めて、最初にめざしたのがbenzoで。彼から渡されたアルバム『benzoの場合』を聴いて、東京で音楽をやりたいなと思ったんです。下北沢の路上にカホンとアコギ持ち込んでライヴをやっていた頃を思い出しましたよ。小田急がまだ地下に埋まっていなかった、煩雑な雰囲気の下北沢の街のことを」。

 再開発前の下北沢の街に漂っていたヴィレッジ感覚というかダウンタウン感覚を存分に嗅ぎ取れるこの絶品なジャンク・ヴァージョンに身を浸しながら〈憧憬都市〉を思い描いてみれば、他の〈シティ・ポップ〉作品とはいささか異なった街の地図が頭のなかに広がるのだった。

 「僕が好きな〈シティ・ポップ〉にはどっか反骨心みたいなものが流れていて、そういったエネルギーがこちらに伝わってくるかどうかが重要で。benzoが好きだった、バンドを始めたての僕らも常に牙を向いていましたね、〈俺らは他とは違うぞ!〉みたいに。あの頃、僕らのバンドは〈ブッキングしづらい〉ってよく言われてましたよ。ロックでもなけりゃ、お洒落系でもないし、諸先輩方の中に入れてもらっても浮いてしまうし。振り返ると、僕らの世代って80sサウンドを毛嫌いする風潮があって、とにかく90年代はアンチ80sが溢れていた。でもそのなかで僕は〈関係ありません〉って顔してひとりでこういうサウンドを追求していたんです。いまはもう〈昔からやってますけど〉って感じ。だから、学生の頃に部室でギターかき鳴らしながら吠えてた僕を知っている人は、このアルバムを聴いたら、なんにも変わんないな、って思うはず(笑)」。

 アルバム・タイトルの発想の源泉にもなっているオリジナル・ラブ“流星都市”のカヴァーを筆頭として、気骨のあるAORがひしめき合う本作は、コツコツと美意識を鍛えながら孤高のシティ・ポップ道を歩き続けてきた、ジャンク フジヤマの只者じゃなさを改めて広く知らしめるはずだ。